自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

サルナシ酒の仕込み

2020年09月19日 01時43分00秒 | 山菜
日曜日に孫1号と採取したサルナシを追熟させて、500グラムを1、8リットルの焼酎漬けにしました。

サルナシ採りは、このカントリー娘の年間ルーティンに刷り込まれました。
 
サルナシとはキウィフルーツと同じ落葉つる植物で、果実の形が梨に似ていて、猿が我を忘れて食べるということから「さるなし」の名が生まれたといわれています。果実は甘い香りを放ち、柔らかく熟した果肉はマンゴーに似てまろやかな甘味があります。
 



栄養価に非常に優れ、ビタミンCはレモンの約10倍、ショ糖・果糖・ペントース・アラビノガラクタン・ピロカテキン属のタンニン・ペクチンなどの他、タンパク分解酵素を大量に含むため、疲労回復、強壮、整腸、補血などの身体の働きを助ける効果があるといわれ、滋養強壮食品の超一級品として珍重されています。 
 

自分は砂糖を入れません。
 


 
お正月には完成します。取り出した実はジャムにします。
まだ残っているのは柔らかいものから生食にします。
 
 
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シベリア抑留3(ついにシベリアへ)

2020年09月18日 15時41分17秒 | シベリア抑留の記録

 目覚めたら夜になっていました。すでに樺太の陸も何も見えない夜の海でした。ぼんやりと母や父、兄のことを思い出していました。心のほとんど全部が不安でいっぱいでした。夜が明けて陸が見えていきました。樺太の海岸でないことは明らかでした。海岸のすぐ地区まで森林が茂っています。海岸に沿ってのスロー航海。これが観光であったら本当に最高の風景であっただろう。
 日が暮れて小さな港に入港しました。港と言っても桟橋もない船を横付けするだけの岸壁の港でした。後から、「ソフガワニ」という港だと聞かされました。

 

その頃になって、おにぎりが1個支給されました。これが乗船してから一昼夜ぶりでの食べ物でありました。下船と同時に貨物列車に身動きできないほど詰められて乗せられました。列車は、走り出しても、ゆっくりなスピードで進んだり止まったりで走行距離はそれほどないように感じていました。夜が明けて外が見えましたが昨日接岸した岸壁はすぐそこに見えました。まだ鉄道が未完成のためだと思われます。朝九時頃になってノロノロと動き出しましたが、今度は行ったり戻ったりのの繰り返しでした。日が暮れてから「トムニー」という小さな駅に到着しました。
 
続く
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シベリア抑留2(まだ捕虜という自覚はない)

2020年09月18日 05時06分48秒 | シベリア抑留の記録

 その日から重労働が始まりました。港に着いたソ連船から荷物を下ろしたり、また、荷物の積み込みの作業が毎日続きました。

 9月の末頃になって留多加まで草刈り作業に連れて行かされました。25日ほど草刈り作業を行って、大泊に着いてびっくりです。ロシア人の火の不始末から火事になって市街地は焼け野原になっていました。大泊に着いてすぐに衣料支給がありました。支給された衣料はすべて防寒具でした。ロシア人は、私たちを東京に帰すと言っていたのに、内地に帰るのにどうしてこんな防寒具だけを支給したのか、みんな不信に思い始めていました。

 

翌日午後3時に貨物船に乗せられました。いよいよ内地に帰られると思っていました。五時頃大泊港を離れ、その夜は湾内に投錨して、夜明けの出発を待っているようでありました。嬉しいはずですが、なぜかみんな不安そうで、誰一人口をききません。夜明けと同時に船は出航しました。しばらくして利尻島と礼文島が見えてきました。その直後です船は北に進路を変えました。ぜんそくで樺太の西海岸を進み、本斗(現ネグエリス)を過ぎ、三歳から過ごした苫舞や真岡付近が遠くに見えました。どんどん樺太が遠ざかって行きます。船内でロシア人と将校との話し合いがあったようですが全く駄目のようでした。ぼんやりと遠くなる樺太を眺めている内に眠ってしまいました。これが最後のゆっくりした睡眠になるとは思いもよりませんでした。

 

続く

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喜志子さんの詩3

2020年09月17日 06時00分00秒 | 喜志子さんの詩
日暮し
 
情熱的な激しい夏なのだ
ある時ふっと夏の一面をみた
 
まねで意地を張った方が
ひとりの部屋で涙流すように
 
日暮しが遠くの方から聞こえる。
 
あまりにも静かなのだ 淋しいくらい
 
ほんの少しのこもれびが雲の間から
着物の染めのように大胆に空は流れ
母がそっと眼を閉じるかたすみから
日暮しの夢が聞こえる
 
深い林の中で もの悲しく泣き続ける
 
この人が作者です。多分20歳くらいの頃!
今、どこにいるのだろう?
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国勢調査の回答終了

2020年09月17日 03時49分00秒 | 
5年に一度行われる国勢調査調査ですが、立派な封筒に質問用紙回答用紙が入ったものが送られてきた。記入そのものはそれほど難しいものではないが、やっぱり面倒だ。
今回からはオンラインでの回答が可能という事で、スマホで回答できた。
ものの数分で完了した。


これからは全てこんなので処理してもらいたい。

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喜志子さんの詩2

2020年09月16日 03時24分00秒 | 喜志子さんの詩
好き
 
あまりにも多くの人がいると孤独を感じてしまう
 
かざはなをつかまえながら
空をみるのが好き
 
真白に積もった雪なつめながら
うつむきがちに歩くのが好き
 
まがった傘を盾にして
向い風に挑戦しながら進むのが好き
 
びじょびじょになったアーケードを
すべらないように緊張して歩くのが好き
 
そして
あなたとふたりで道のない道をぬかりながら歩くのが好き
 
例え長ぐつに雪が入ったとしてもたぶん心しだいで寒い朝も暖かくなるのでしょう
 
 


 
 
*会津は雪深い地域だから、大好きな彼氏がいて、2人きりで歩いていたんだな!
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喜志子さんの詩

2020年09月16日 02時15分00秒 | 喜志子さんの詩

自分が東北福祉大の2年次に大学にキャンパスに行政研究所という公務員養成施設が設置された。試験で合格した12名の専用のスペースが与えられ机椅子が貸与され、公務員試験の為の問題集なども12名分書架にたくさん準備されていた。

2回生から試験を受ける事ができたので実際には行政研究所には秋の試験で合格した2、3年が多かった。自分は行政研究所の2期生で、合格していたが、3期生に合格してきた一つ下の学生で会津の喜多方女子高出身の女子が隣の机になった。とても良く勉強していた。その子が時々ノートに詩を書いていた。ノートにびっしり何冊も書いている。
 
当時、自分はギターを弾いていたが、友人達と竹トンボという3人グループのバンドを組んでいた。
南こうせつが全盛期で、自分たちのオリジナル曲もたくさん作っていた。
 
行政研究所では会話禁止だったが、2人きりになった時があって、バンドで歌を作っている話から、その詩に曲をつけてあげるから1冊貸してくれないかと言って借りたノートを借りた記憶がある。
 
その後、教育実習や施設実習などが続き、行政研究所から足が遠ざかっていた事もあり、その子と会う事が殆どどなく、地元の大学の大学の専攻科に進学した。
 
つまり詩集は預かったままだった。断捨離中にその詩集がでてきた。これは借りたものだけにさすがに断捨離できない。しかし返す術もない。
 
19歳の女の子の詩を読み返した。高村光太郎を読んでいたようで、文学少女だったようだ。
 
当時住んでいるアパートは分かっていたが、男子禁制で、住所そのものは分からなかったので返却できなかった。そのまま40数年が経った。
19歳の女子の恋心や孤独や自然へ想いなどが詩で綴られている。
 
今どうしているかは分からないが今年還暦を迎えている筈だ。
 
でもこの詩集を持っていてもしょうがないので、一太郎PADというアプリでデジタル化して残す事にする。
 

このアプリがよくできていて、手書き文字もスマホの写真で撮影するだけで、ほとんど文字化けせずにテキストに変えてくれる。ほんの数分で一ページをデジタル化できた。
これが武藤喜志子さんの詩だ。
 
祈り
まず体をきれいに洗うのです
髪も、手も、足も、胸も
自分であることを自覚するために
大いなる山々の奥に源の発する渓川で
私の祈りをかき消すせせらぎ
自由放奔に伸びきった花々
名もない小さな花々
その中でなら、自分のすべてを出すことができる
それが私の領分だから
 
恥かしくて恥かしくて
コンクリートの壁に書くことができず
えんぴつをもてあそんで
 
急流の中に足を入れてたのとき
2つの嘆息が体からふるえるように発散する
なんという自然なのだろう。
緑りの葉からすけてあをい空がみえる
 
ザックを背負いながら感じた
なんて私ば余計なものばかり得ようとしてきたのだろ
 
今時の学生がこんなの詩を書けるだろうか?
 
 
 
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シベリア抑留1(父の手記より)

2020年09月15日 12時44分21秒 | シベリア抑留の記録

私が昭和20年8月15日の終戦を迎えた時、樺太東海岸の大泊から30キロほど離れた三ノ沢という所におりました。私たちは、一期の初年兵教区を大泊の教育大隊を終えて三ノ沢で一期の検閲を受けるための訓練に日夜張り切っていた時でした。
  終戦と同時に私共が大日本帝国軍隊の最後の初年兵になったのです。私共がソ連参戦を聞いたのは17日頃だと思います。後で分かったことですが実際に参戦したのは、8月8日だったそうです。連隊本部との連絡が取れなかった約10日議に私共の部隊に連絡が入ったのでした。

 18日は朝早くからソ連兵の上陸に備えて陣地の構築に入ったのです。10時頃だと思いますが、土地の人がやってきて、日本はソ連にも降伏したというニュースを今聞いてきたと言いました。小隊長がそのニュースを確認したところ本当でありました。後は陣地も何も必要ありません。暗い気持ちで兵舎に戻りました。その晩は、無礼講で夜遅くまで酒宴が開かれました。
 翌朝8時起床・点呼も終わり体操をしていると海上を2隻の軍艦が走っていました。和つぃたちのバート愛は海岸のすぐ近くにありました。小隊長が双眼鏡で確かめましたがどこの軍艦かは分かりませんでした。

   朝食の準備を終えて、2階の自分の部屋の窓から外を見るとソ連兵が立っていました。手を上げて外へ出ろと言っているようでした。私共は朝食もとらずに大泊港に連れて行かれ15時頃大泊女子高等学校に収容されたのです。

続く

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本荘由利で好きなラーメン屋10選 9位 華月

2020年09月14日 14時57分33秒 | ラーメン

旧金浦町郊外で国道7号線沿いににかほ陣屋の手前にあります。

以前は、グランド大間に店を出していましたが、高速道路が開通してグランド大間は、閉鎖しています。その後、廃業したラーメン屋を改装して現在の場所に移転しています。ぐるなびでにかほ市のラーメン店で1位です。

 

酒田の月系ラーメンで平打ち縮れ麺で、魚だしあっさりスープとワンタンが売りです。

メニューはたくさんありますが、ピリ辛華月ワンタンがベストです。

ピリ辛華月ワンタンがベストです。

 

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秋を見つけた

2020年09月14日 05時56分00秒 | アウトドアー

土曜日はサルナシを採った。追熟中だがもう食べられるものがある。

 
 
元々キュウイの原種なので、滋養強壮効果がある。
 




 
今日のデザートで食す。
まだ多くは食べられない。
 
後、昨日の朝に由利原で色付いた山法師を発見した。
 



でも殆どは青いままだ。
今年は山法師の実付きも良くない。
アケビも全くない。暖冬で花が早く咲きすぎたのに4月以降の寒波で蜂たちの活動が遅くなったせいだと思う。
コロナ禍で大変なのに農作物もこれでは大変だ。
 
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