自分が東北福祉大の2年次に大学にキャンパスに行政研究所という公務員養成施設が設置された。試験で合格した12名の専用のスペースが与えられ机椅子が貸与され、公務員試験の為の問題集なども12名分書架にたくさん準備されていた。
2回生から試験を受ける事ができたので実際には行政研究所には秋の試験で合格した2、3年が多かった。自分は行政研究所の2期生で、合格していたが、3期生に合格してきた一つ下の学生で会津の喜多方女子高出身の女子が隣の机になった。とても良く勉強していた。その子が時々ノートに詩を書いていた。ノートにびっしり何冊も書いている。
当時、自分はギターを弾いていたが、友人達と竹トンボという3人グループのバンドを組んでいた。
南こうせつが全盛期で、自分たちのオリジナル曲もたくさん作っていた。
行政研究所では会話禁止だったが、2人きりになった時があって、バンドで歌を作っている話から、その詩に曲をつけてあげるから1冊貸してくれないかと言って借りたノートを借りた記憶がある。
その後、教育実習や施設実習などが続き、行政研究所から足が遠ざかっていた事もあり、その子と会う事が殆どどなく、地元の大学の大学の専攻科に進学した。
つまり詩集は預かったままだった。断捨離中にその詩集がでてきた。これは借りたものだけにさすがに断捨離できない。しかし返す術もない。
19歳の女の子の詩を読み返した。高村光太郎を読んでいたようで、文学少女だったようだ。
当時住んでいるアパートは分かっていたが、男子禁制で、住所そのものは分からなかったので返却できなかった。そのまま40数年が経った。
19歳の女子の恋心や孤独や自然へ想いなどが詩で綴られている。
今どうしているかは分からないが今年還暦を迎えている筈だ。
でもこの詩集を持っていてもしょうがないので、一太郎PADというアプリでデジタル化して残す事にする。
このアプリがよくできていて、手書き文字もスマホの写真で撮影するだけで、ほとんど文字化けせずにテキストに変えてくれる。ほんの数分で一ページをデジタル化できた。
これが武藤喜志子さんの詩だ。
祈り
まず体をきれいに洗うのです
髪も、手も、足も、胸も
自分であることを自覚するために
大いなる山々の奥に源の発する渓川で
私の祈りをかき消すせせらぎ
自由放奔に伸びきった花々
名もない小さな花々
その中でなら、自分のすべてを出すことができる
それが私の領分だから
恥かしくて恥かしくて
コンクリートの壁に書くことができず
えんぴつをもてあそんで
急流の中に足を入れてたのとき
2つの嘆息が体からふるえるように発散する
なんという自然なのだろう。
緑りの葉からすけてあをい空がみえる
ザックを背負いながら感じた
なんて私ば余計なものばかり得ようとしてきたのだろ
今時の学生がこんなの詩を書けるだろうか?