これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

猫の倍返し

2008年10月02日 21時07分04秒 | エッセイ
 昨日、娘のミキを連れて、小泉今日子主演の映画『グーグーだって猫である』を観た。上野樹里が大好きなミキと、大島弓子ファンである私との利害関係が一致したおかげである。
 グーグーはとても可愛かったが、私は決して猫派ではない。実家で飼っていたセキセイインコを食べられたり、金魚を傷つけられたりしたせいで、むしろ嫌いだったくらいだ。
 猫を飼いたいと思ったことは、これまでに一度もない。

 小学生のころ、幼なじみがクロという猫を飼っていた。友達数人と一緒に、その子の家に遊びに行ったことがあり、縄跳びや缶蹴りをしていたらクロが現れた。
「わー、かわいいっ!!」
 友達が口々にクロの名前を呼ぶと、愛嬌を振りまいて近づいてきた。しかし、私が呼んでも反応せず、クロは知らんぷりをしている。聞こえなかったのかな、と私は首をかしげた。すると、幼なじみが勝ち誇った顔で、クロの気持ちを代弁しはじめたのだ。
「あのさぁ、砂希ちゃんは猫がキライだってこと、クロにはわかるんだよ。猫は、猫ギライの人には近づかないの。いくら呼んだって無駄だよ」
 まッ、失礼しちゃうわッ!! せっかく呼んでやったのに!!
 私はたいそう気を悪くして、クロと戯れる友人を見ているしかなかった。

 たしかに、猫には空気を読んだり、雰囲気を察する力があるような気がする。個体差があるから、ドンくさい猫はボヤボヤしているけれども、敏感な猫は危険を察知して素早く逃げたり、ほんのちょっとの隙を突いてエサをゲットしたりと賢い。
 飼い主に無様な姿をさらさぬよう、死期を悟ったら目に触れない場所まで行って寿命を迎えるとも聞く。また、飼い猫が死んだら病気が治り、まるで飼い主の身代わりになったかのようだ、なとどいう美談も耳にする。猫も恩返しをするのかもしれない。
 しかし、昔話の猫は執念深い性質として描かれ、祟るものとされていた。

 グーグーの映画が終わると、薄暮が迫っていた。夕食の支度をする時間である。門を開け、郵便物を取ろうとして庭に回り込んだら、何か柔らかいものを踏んだ。足元が暗くて、よく見えなかったのだ。
 ゴムまりくらいの大きさの、ムニュッとした感触が靴の下で感じられた。
 あわてて足の下を見ると、黒ずんだ球状のものがつぶれていた。
 「ああ……」と私は弱々しくつぶやき、思わず目を覆いたくなった。
 それは猫のフンだったからだ。

 まッ、失礼しちゃうわッ!! せっかく観てやったのに!!

 映画のあとだけに、余計に腹が立った。
 私は植木用のホースで靴底を洗いながら、心に誓った。
 猫なんて、一生飼わないからっ!!




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コメント (7)
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