これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

学校行事なんていらない

2009年09月17日 21時09分13秒 | エッセイ
 大学受験にそなえて、生徒に面接練習をしたときのことだ。
「あなたの長所と短所は何ですか?」
「得意な科目と苦手な科目を教えてください」
「趣味は何ですか?」
 ありきたりな私の質問に、その男子生徒は緊張した面持ちでつっかえつっかえ答えていた。何の変哲もない問いが続くと思っていたら、そうでもなかった。
「高校の行事では、何が一番印象に残っていますか」
「ハイ、行事はすべて欠席したので、参加していません」
 一瞬わが耳を疑い、昨夜ちゃんと耳かきで掃除をしておけばよかったと後悔した。
 しかし、どうやら聞き間違いではないらしい。
「え? 行事に出ていないのですか?」
 再度の質問に、彼は恥ずかしげもなく言った。
「ハイ。一度も出ていません」
 何でも正直に答えればよいというものではない。面接官の採点を考慮しない回答に、全身の力が抜けた。が、今から考えると、私も人のことを言えない生徒だった。

 私にとって、学校行事というものは面倒以外の何者でもなく、平常授業のほうが気楽で好きだった。遠足や修学旅行は楽しかったが、荷造り・荷解きが嫌いだったし、体育祭はイヤイヤながら競技に参加し、頑張っているふりをしてお茶を濁した。
 球技大会はバレーボールに出場予定だったが、競技開始までの2時間が退屈だったので、学校を抜け出し友達の家でテレビを見ながらおやつを食べた。頃合を見て学校に戻ったら、競技の進行が予定よりも早く、私たちのクラスはもう終わっていた。
「ひどいよ! 笹木さんたちがいないから、5人でコートに出たんだよ! 勝てるわけないじゃないっ!!」
 ひょっこりと体育館に現れた私たちを見て、バレーチームのキャプテンが感情むき出しで怒り始めた。たしかに、黙っていなくなったのは悪いけれども、真剣さが違いすぎたのだ。たかが球技大会だろうと高をくくっていたから、まさか負けて泣きべそをかくクラスメイトがいるとは思わなかった。みんな、適当にやるのではなかったのか?!

 文化祭だって似たようなものだ。1年生のときは、ドーナツ屋をすることになり、仕入係の友達に付き合ってひどい目にあった。一緒に仕入先の店に行き、価格や数量の交渉に同席したのだが、七面倒なやり取りがどうにも我慢できず、「早く帰りたーい」と心の中で叫び続けていた。
 2年生のときは全然協力しなかった。3年生になると、担任から「図書館で受験勉強してていいぞ」と言われた。教員になってからわかったことだが、担任の目から見ても私は「何の役にも立たないヤツ」だったのだろう。いても邪魔なだけだから、さり気なく追い払われたような気がする。私だって、クラスの士気を下げる生徒は害になるから、あれこれ口実をつけて隔離しようとするだろう。
 しかし、熱血な友人はこれが許せなかったらしい。わざわざ図書館までやって来て、怖い顔で怒った。
「みんな、一生懸命やってるのに、勉強してちゃダメでしょ!!」
 彼女とは、4年後、一緒に教育実習をした。私よりずっと教員ぽい性格だったのに、普通のOLを経験したあと、あっさり主婦の座に収まった。
 仕事の適性とチャンスは、必ずしも連動していないという格好の見本である。

 それから約10年後、クラス担任を持つようになると、180度違う立場が待っていた。まるで、模範的な高校生活を送ってきたような顔をして、生徒に偉そうなことを言う私がいた。
「明日は体育祭だから、休んだらダメだよ! 競技にでなかったら体育の欠席になるからね!」
「あと一週間で文化祭だよ! 残って準備しなさいよ!!」
 行事から上手く逃げおおせたと思っていたが、実は、先回りして待ち伏せされていたのだ。
「面倒くさい、やだよ~」と文句を言う生徒の気持ちが、実はとってもよくわかる。
 いっそのこと、「そうだよね、サボろうか」と誘ってしまいたい。
 どこかに、文化祭や体育祭のない学校があればいいのに。



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コメント (14)
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