先日、勤務している小学校の運動会を観に行った。
九時開始だったのに、到着は十時半過ぎであった。
到着と殆ど同時に、
三、四年生の「ソーラン節」の入場開始であった。
それは、南中ソーラン節であり、
大学生が演じた動画を、子供達と一緒に音楽の授業で視た。
運動会で七十数人の子供達が一斉に踊るソーラン節は、
なかなか見応えのあるモノだった。
私は、その中で踊っている特別支援学級の二人を視ていた。
一人は、とても楽しそうに踊っており、
もう一人は、真剣な顔付で真面目に踊っていた。
この二人、個体として、好感が持てていても、
全体の中では、腰が高く、動きが合っていない。
別言するなら、それは全体の中で、目立ってしまうような踊り方であった。
この場合の、踊り方上手・下手の基準は、動画で視た大学生の踊り方である。
子供達は、動画の「南中ソーラン」を目指して踊るよう先生達は指導していた。
これは、全体として素晴らしく観えていも、
個体を視ると下手である、いう事でもある。
もっとも、この準備は、二、三週間位なので、
もっともっと練習したなら、
その下手な個体も全体の影響・相互浸透で上手になって行くのだろう。
ここが仮に、全体の踊りが下手で、一人だけ上手だった場合はどうだろう。
私には、動画という基準がある。
しかし、動画を視ていない人の基準は何か?
それは、全体との同一性であり、全体との一致であろうか…
みんなと同じような踊り方が上手、
みんなと違っていたら、それは下手。
これは、言うなれば、「みにくいアヒルの子」なのだろう?!