「想い」について…
これは、以下の記事の続編である。
論理・論理的理解について…
2020-05-24 12:16:15 | 言葉・概念
上記の記事では、以下のように書かれている。
>初めに私は、息子の言葉から以下の論理を見て取った。
>「対象との関わり方が違っているから、その対象への認識・感情・想いが違う」
この場合のも認識とは、感情とは、想いとは、について考えた。
「想」いとは、「相(あるもの)に向かう心」と書いて、
あるものに向かって心で考えることを表す。
この「頭で考えるではなく、心で考えるとは?」
私の感覚として、
「心で考える」場合は、感情優位。
「頭で考える」場合は、理性優位。
なので、
「想う」とは、心と頭に関わるモノ。
「心と頭」は認識に関わるモノ。
だから、認識・感情・想い…と書いている。
さて、息子は、
自分の伯母に対する想い、と
母親の伯母に対する想い、は違う。と言い。
そう感じた訳は、
一人っ子の自分(息子)は、兄弟・姉妹間の想いを知らない・分からない…
たぶん…
息子は思ったのだろう~
『兄弟・姉妹間の想いとはどんな感じ?』と…
そのような息子の問題意識を分からなかった私は、
「対象との関わり方が違っているから、その対象への認識・感情・想いが違う」
と息子の言葉を解釈・理解してしまった。
なので、ここで、一人っ子の私が、兄弟・姉妹間の想いを想像・考えてみよう。
その為の言葉・論理は、
「人間は、対象との関わり方によって、その対象への想い・感情が形成される」
「人間は。創り創られるモノ・生き物」
「感情の始まり・源基形態は、快不快である。」
先ずは、他人と肉親の関わり方の相違。
普通、肉親は四六時中一緒に生活している。
でも、他人は違う。
普通、弟・妹は、生まれた時から兄・姉と四六時中一緒に生活。
でも、他人は違う。
また、兄弟・姉妹は、他の肉親と違って、年が近い。
そして、他の肉親に比べてほぼ対等な関係。
息子と伯母の関係は、息子が生まれてから、
毎年お盆・暮れには、福島の実家で過ごしていた。
家内は、伯母の妹であり、
二人は一つ違いの姉妹である。
当然、家内が生まれてから、
独立するまで、生活を共にしていた。
息子と伯母は、妹と姉の、
関係性から形成された、
それぞれの想いは、違うものだろう。
想いの根底にあるモノは、快不快であり、
感情とは、それらが入り混じった複雑なモノだろう。
相手が他人なら、不快を感じたら、離れればいい。
でも、姉妹だと、どんなに不快でも、生活は一緒。
そんな中、気付いた事。
息子が、福島の家内の実家で過ごしている時、
そこには、数か月早く生まれた同学年の従兄弟・××が一緒だった。
二人は、兄弟のように対等な関係で、十数年間、毎年のお盆暮れを過ごしていた。
だから、
息子の××への想いと私の××への想いは違っていて当然である。
息子の××への想いは、兄弟間のモノに近く。
私の××への想いは、甥っ子への想い…
ただ…××は家内の弟の息子なので
血のつながりのない甥っ子となろう。
ただし…血のつながりがあろうとなかろうと…
結局は、日々の互いの関係性が、想いを形成する事に変わりはない。