さて、この表題は、<「栄養」について考える>だから、
先ずは、「栄養とは」?、であろう。
そこで辞書を調べたら、以下のように書かれていた。
「生物が生命を保ち、元気を出す為に、体に取り入れる養分」
次は、「考える」とは?
「考える」を考えるには、
私ではなく、他人の認識(師範)とするモノの記述・認識を借りて、
私の思っている考えるを動かす事だろう。
そこで、師範の「生命史観」を用いて、私の認識を動かし考える事にする。
ここで、考える栄養とは、私にとって栄養だから~
私の生命を保ち、私を元気にするのが栄養となろう。
生命とは、生命体の活動・代謝である。
生命と生命体とは、機能と実体の関係である。
生命を保つためには、生命活動・機能を維持可能な、実体・身体の栄養。
元気にする為には、実体・身体を活発に活動させる。機能の為の栄養。
ここで私にとって必要な栄養とは、二通り~
身体・実体への栄養。
認識・機能への栄養。
私は人間、人間は雑食性の動物だから、
基本的には好き嫌いなく何でも食べる。
私は人間、人間は認識的実在だから、
その機能・認識は本能的ではなく、教育・自然的に技化・育つ。
身体・実体への栄養は、比較的理解し易いが…
機能・認識への栄養となると…少々難しいモノがあろう。
人間の機能・認識とは、像である。
それも、視覚中心として映像的な「像」である。
その認識が外界の変化に関係しながらも、ある程度は無関係に、
元気・活発な状態を維持可能なモノが栄養となろう。
私にとっての「元気」な状態とは、
前向きに、積極的に、物事と関わる…そんな事。
それは、今・現状維持ではなく、未来・変化を受け入れられる状態。
前向きとは、後ろを向きたい現実があるから、の前向きであり、
積極的とは、消極的になりたい現実があるから、の積極的である。
そう、それもこれも変化であろう。
何もなければ、前も後ろもなく、積極的も消極的もない。
私にとっての、元気にする栄養とは、
日々の子供達の関りからの変化・成長…であり、
息子の日々の成長でもある。
しかし、全ての人にとって、
他人の成長・家族の成長が栄養になるとは限らない、
ならば、人間にとっての認識・機能への栄養とは何か?
それは、端的には、運動・変化を喜び・快感して感覚可能な認識であろう。
最後に、
脳細胞の栄養とは、身体・実体への栄養であり、
頭脳の栄養とは、認識・機能への栄養となろう。
これが、
ブログ
「鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~」の
記事
「何を食べるべきか(3)〜脳そのものに必須の食べ物とは?〜」への
現在の私なりの解答である。
再度の読み返しの結果、
以下のような事を認識した。
実体の栄養とは、雑食する・何での好き嫌いなく食べる事。
実体・機能的の栄養とは、そのバランスを考え、人間に身体維持可能な食べ方のしゅ。
機能的栄養とは、元気にするための認識創出維持の為の認識・創像方法の習得。