悟得びと妄想の物語
この「妄想の物語」の始まりは?
中学時代―事ある毎の「面倒くさい!」発言を繰り返し続けた不平不満の時期…
大学時代―父と母との諍いに巻き込まれて不安・寂しさの時代…
新社会人時代―エンジニアの道から大きく外れて教職に就いた事での不安いっぱいの時期…
母親を失った後…寂しく不安だった時期…
家内の両親から一方的に婚約破棄の手紙を受けた後の時期…
その後の季節ごと・数年ごとに続いた、眠れない状態の日々…
そして、一ヶ月前から続いている、夜中目覚めて眠れなく始めた妄想から…
さて…以下が、その妄想結果である。
今回の妄想の始まりは、一年ぶりに読み返した
全集版「武道の理論」→「武道の復権」→「武道学綱要」の現在中途中…
この途中に何故か?「玄和の将軍」と「玄和の血潮」のテープが無性に聞きたくなり始め…
それらを、繰り返し聞き続けたら以下の歌詞への問い掛けからが生まれた。
↓
「悟得への道 辿るうち」
「将への道にめざめたり」
↑
何故に南郷継正は「悟得の道から将への道にめざめたのか?」
この問いへの解答過程が以下である。
将=将軍⇒征夷大将軍…国家の指導者…動物の脳細胞…単細胞の核…
私が求めている「悟りとは私自身の自由を求めての認識・頭脳活動…」
分かった…
南郷氏は「個人的な悟得への道」から「玄和会・組織的な悟りへの道(生成・発展への総括・統括の道)」に到達したのだろう…
悟りへの道とは、悟りとは何かを識る道=「悟り技を創る道」
悟得への道は、識った悟りを人生で駆使できるようする「悟りの技化の道」
確か…南郷氏の著書のどこかで「学・国家学」という文字を見た覚えが…
確か国家とは、国家の外側、缶詰の缶のようなモノ…詰められた中身は社会…
ならば、缶詰が単細胞なら、缶は細胞膜、中身が細胞質、中心が(細胞)核…
細胞核は国家の政府、細胞膜が国境、細胞質は経済……(何て…妄想)
細胞核は現象、細胞質は構造、本質は細胞核…
さて…今これから始める「世界観の物語」
~世界観と「いのちの歴史」神の物語~
世界⇔自然(世界観なし)、サルの時代は、世界⇔本能=生活できている・できるだろう自然の世界…
世界⇔指導者(世界観なし)初期のヒトは、本能的な指導者が連れて行ける場所が世界…
世界⇔自然→神々の世界、人々がイメージした神々の世界が自然の世界(神々の暮らしが人間に影響)
世界⇔神が創った世界・人間、神が創造した自然世界・神が創造した人間と世界。
ギリシャ時代から…神々の時代に「神の創出世界!」だけでは不満で、
「どのような神がどのような世界をとのように創出したか?」を問い始めた…
ローマ時代から…一人神=ローマ皇帝となれるような一神教へと…
神の存在を前提に世界を問うたのが哲学の「観念論」
哲学・観念論の完成形態が「⇔絶対精神⇔絶対概念⇔絶対理念⇔」の自己運動…
絶対精神の創出した世界・全体から部分・自然・社会・精神を考えるヘーゲル観念論。
現在の「唯物論」は、部分を唯物的・科学的に問うて部分から全体を考える。
世界観・絶対精神の世界がない「唯物論」…
南郷唯物論は、絶対精神の弁証法・自己運動性⇔自己の認識活動性へと求め…
モノ自体の運動性から実態かされたのが世界…
モノ自体の実態化世界を識る為に、個々の科学的知識・智慧を
「生々・生成・発展・衰退」な把握の為に、否定の否定、対立物の統一、相互浸透・量質転化…
南郷唯物論は、
南郷弁証法・重層弁証法を駆使して、
全ての科学的知識・智慧を総括・統括して、
過程的な世界像を己の観念内に構築し続けるモノ。
南郷世界観の始まりは、
モノ自体の運動性・弁証法の観念的な創出であり、
その時々の弁証法的な観念世界の創出である。
そこには
ヘーゲル絶対精神⇔モノ自体、
ヘーゲル絶対概念⇔自然・社会・精神の統括・統一的な南郷唯物論的絶対概念
ヘーゲル絶対理念⇔南郷唯物論的絶対概念の弁証法的変化・運動させた南郷唯物論的絶対理念。
悟りの構造―
宗教的な悟り―肉体・感情を刺激・通しての「心の悟り」
学問的な悟り―肉体・頭脳を刺激・通しての「頭の悟り」
南郷氏的な悟り―肉体・武道・空手を通しての「頭脳・身体的な悟得」
さてさて妄想もボチボチ限界であろうか…
そこで以下に私は、思う!考える!思惟!思索する事にした。
私の妄想に正当性がある…とするなら…もっとも…なくても以上のような
妄想可能な私はである私の妄想の根源的精神は、
今の私の生活・学校での子供・先生…達との関係性を非常に楽なモノにしている。
それは、私の気持ちが楽に…子供達も気持ちを崩さずに私の注意・話を聞いていてくれる。
また、他の先生達にも、以前よりずっと楽に話しかけられる私を感じる。
そうそう…私は、過去に南郷師範の御講義で四度質問している。
一度目は、東大生が師範にした脳についての質問・内容・論理が「腑に落ちなかった私」の質問。
結果は、師範の御怒りを頂戴して…
その場で「足が震えて」いる事を隣に座っていた仲間の私の足への視線で気付かされて。
師範に激怒され怒鳴られた~「お前の専門は何だ?」「そんな専門外の質問はするな!」
それ以後…日々頭に浮かぶ「問い掛け」を…師範に質問可能か否かの判断できず…悩みの日々であった。
二度目は、ある日ある時、ある場所の師範御講義で「技が軽いとは?」のような質問をしました。
その解答は、後で当時の練習ノートで確認。
三度目は、「人間は何故、人を好きになるのでしょうか?」
その時師範に「これは非常によい質問である」と言われた。
四度目は、
母親が亡くなって(当時は自覚不能な大きな不安)から…
忘れもしない…原稿用紙数枚に過去から現在まで書いて、
そして現在の私の状態(狂いそうな自分が怖い)になっている理由を問うたのです。
師範が一読後開口一番「え!~これ全部に答えるのか?」
私―「オス!最後の部分(本当に狂ってしまうの?)です。」
そして師範の答えは
「昔…父親の葬式であまり好きではなかった酒?を飲んで、好きになった…」(後で事実確認)
それは、何か大きな変化がある時、人は感情・好み…が激変する。
あと…「人が大志を抱いた時、体の感覚が変わる…」…そんなような事でした。
最後の方で「…人間は醜いモノ……」と言ったよう事を言われた。
以上の四つの質問を弁証法的論理で捉えると?…「今後の課題であろう」
もし仮に、以上のような私の妄想が正当であるなら…
その始まりは「武道の理論」を書き始めた南郷継正であり、
大学で松濤館空手をやっていた私と南郷継正の「武道の理論」との出会いであり、
悲しみ苦しんだ…大学時代以降の私の人生体験・経験であり、
南浦和・玄和会本部での実物の「南郷継正」との出会いであり…
中途挫折・退会で、出会った月刊「空手道」の誌面での「武道講義」との出会い…
あの時、強烈な想い「再び玄和会!南郷継正に!」…
しかし、実に不思議な事に、そんな中、突然のはがき、それは玄和会新宿支部へのお誘いである。
その時、思い出しました、大学時代に三一書房に「玄和会の場所を教えて」手紙を書いた事を。
でも…その返事が来なかったので、市谷の「東海堂?」に空手着を買いに行ったついで「玄和会の事を尋ねたら」確か…「岩?さんの電話番号」を教えてくれて南浦和道場へ入会した事…
そんな強烈な想いの時期に「新宿支部からのハガキ」…これって過去のあの手紙のお蔭…?
そんな玄和会も退会して何年経っただろう…
そろそろ…怖い現実社会での護身の為に、
再び「玄和会の武道・護身空手」を何て…想いを抱いているのだが…
この「妄想の物語」の始まりは?
中学時代―事ある毎の「面倒くさい!」発言を繰り返し続けた不平不満の時期…
大学時代―父と母との諍いに巻き込まれて不安・寂しさの時代…
新社会人時代―エンジニアの道から大きく外れて教職に就いた事での不安いっぱいの時期…
母親を失った後…寂しく不安だった時期…
家内の両親から一方的に婚約破棄の手紙を受けた後の時期…
その後の季節ごと・数年ごとに続いた、眠れない状態の日々…
そして、一ヶ月前から続いている、夜中目覚めて眠れなく始めた妄想から…
さて…以下が、その妄想結果である。
今回の妄想の始まりは、一年ぶりに読み返した
全集版「武道の理論」→「武道の復権」→「武道学綱要」の現在中途中…
この途中に何故か?「玄和の将軍」と「玄和の血潮」のテープが無性に聞きたくなり始め…
それらを、繰り返し聞き続けたら以下の歌詞への問い掛けからが生まれた。
↓
「悟得への道 辿るうち」
「将への道にめざめたり」
↑
何故に南郷継正は「悟得の道から将への道にめざめたのか?」
この問いへの解答過程が以下である。
将=将軍⇒征夷大将軍…国家の指導者…動物の脳細胞…単細胞の核…
私が求めている「悟りとは私自身の自由を求めての認識・頭脳活動…」
分かった…
南郷氏は「個人的な悟得への道」から「玄和会・組織的な悟りへの道(生成・発展への総括・統括の道)」に到達したのだろう…
悟りへの道とは、悟りとは何かを識る道=「悟り技を創る道」
悟得への道は、識った悟りを人生で駆使できるようする「悟りの技化の道」
確か…南郷氏の著書のどこかで「学・国家学」という文字を見た覚えが…
確か国家とは、国家の外側、缶詰の缶のようなモノ…詰められた中身は社会…
ならば、缶詰が単細胞なら、缶は細胞膜、中身が細胞質、中心が(細胞)核…
細胞核は国家の政府、細胞膜が国境、細胞質は経済……(何て…妄想)
細胞核は現象、細胞質は構造、本質は細胞核…
さて…今これから始める「世界観の物語」
~世界観と「いのちの歴史」神の物語~
世界⇔自然(世界観なし)、サルの時代は、世界⇔本能=生活できている・できるだろう自然の世界…
世界⇔指導者(世界観なし)初期のヒトは、本能的な指導者が連れて行ける場所が世界…
世界⇔自然→神々の世界、人々がイメージした神々の世界が自然の世界(神々の暮らしが人間に影響)
世界⇔神が創った世界・人間、神が創造した自然世界・神が創造した人間と世界。
ギリシャ時代から…神々の時代に「神の創出世界!」だけでは不満で、
「どのような神がどのような世界をとのように創出したか?」を問い始めた…
ローマ時代から…一人神=ローマ皇帝となれるような一神教へと…
神の存在を前提に世界を問うたのが哲学の「観念論」
哲学・観念論の完成形態が「⇔絶対精神⇔絶対概念⇔絶対理念⇔」の自己運動…
絶対精神の創出した世界・全体から部分・自然・社会・精神を考えるヘーゲル観念論。
現在の「唯物論」は、部分を唯物的・科学的に問うて部分から全体を考える。
世界観・絶対精神の世界がない「唯物論」…
南郷唯物論は、絶対精神の弁証法・自己運動性⇔自己の認識活動性へと求め…
モノ自体の運動性から実態かされたのが世界…
モノ自体の実態化世界を識る為に、個々の科学的知識・智慧を
「生々・生成・発展・衰退」な把握の為に、否定の否定、対立物の統一、相互浸透・量質転化…
南郷唯物論は、
南郷弁証法・重層弁証法を駆使して、
全ての科学的知識・智慧を総括・統括して、
過程的な世界像を己の観念内に構築し続けるモノ。
南郷世界観の始まりは、
モノ自体の運動性・弁証法の観念的な創出であり、
その時々の弁証法的な観念世界の創出である。
そこには
ヘーゲル絶対精神⇔モノ自体、
ヘーゲル絶対概念⇔自然・社会・精神の統括・統一的な南郷唯物論的絶対概念
ヘーゲル絶対理念⇔南郷唯物論的絶対概念の弁証法的変化・運動させた南郷唯物論的絶対理念。
悟りの構造―
宗教的な悟り―肉体・感情を刺激・通しての「心の悟り」
学問的な悟り―肉体・頭脳を刺激・通しての「頭の悟り」
南郷氏的な悟り―肉体・武道・空手を通しての「頭脳・身体的な悟得」
さてさて妄想もボチボチ限界であろうか…
そこで以下に私は、思う!考える!思惟!思索する事にした。
私の妄想に正当性がある…とするなら…もっとも…なくても以上のような
妄想可能な私はである私の妄想の根源的精神は、
今の私の生活・学校での子供・先生…達との関係性を非常に楽なモノにしている。
それは、私の気持ちが楽に…子供達も気持ちを崩さずに私の注意・話を聞いていてくれる。
また、他の先生達にも、以前よりずっと楽に話しかけられる私を感じる。
そうそう…私は、過去に南郷師範の御講義で四度質問している。
一度目は、東大生が師範にした脳についての質問・内容・論理が「腑に落ちなかった私」の質問。
結果は、師範の御怒りを頂戴して…
その場で「足が震えて」いる事を隣に座っていた仲間の私の足への視線で気付かされて。
師範に激怒され怒鳴られた~「お前の専門は何だ?」「そんな専門外の質問はするな!」
それ以後…日々頭に浮かぶ「問い掛け」を…師範に質問可能か否かの判断できず…悩みの日々であった。
二度目は、ある日ある時、ある場所の師範御講義で「技が軽いとは?」のような質問をしました。
その解答は、後で当時の練習ノートで確認。
三度目は、「人間は何故、人を好きになるのでしょうか?」
その時師範に「これは非常によい質問である」と言われた。
四度目は、
母親が亡くなって(当時は自覚不能な大きな不安)から…
忘れもしない…原稿用紙数枚に過去から現在まで書いて、
そして現在の私の状態(狂いそうな自分が怖い)になっている理由を問うたのです。
師範が一読後開口一番「え!~これ全部に答えるのか?」
私―「オス!最後の部分(本当に狂ってしまうの?)です。」
そして師範の答えは
「昔…父親の葬式であまり好きではなかった酒?を飲んで、好きになった…」(後で事実確認)
それは、何か大きな変化がある時、人は感情・好み…が激変する。
あと…「人が大志を抱いた時、体の感覚が変わる…」…そんなような事でした。
最後の方で「…人間は醜いモノ……」と言ったよう事を言われた。
以上の四つの質問を弁証法的論理で捉えると?…「今後の課題であろう」
もし仮に、以上のような私の妄想が正当であるなら…
その始まりは「武道の理論」を書き始めた南郷継正であり、
大学で松濤館空手をやっていた私と南郷継正の「武道の理論」との出会いであり、
悲しみ苦しんだ…大学時代以降の私の人生体験・経験であり、
南浦和・玄和会本部での実物の「南郷継正」との出会いであり…
中途挫折・退会で、出会った月刊「空手道」の誌面での「武道講義」との出会い…
あの時、強烈な想い「再び玄和会!南郷継正に!」…
しかし、実に不思議な事に、そんな中、突然のはがき、それは玄和会新宿支部へのお誘いである。
その時、思い出しました、大学時代に三一書房に「玄和会の場所を教えて」手紙を書いた事を。
でも…その返事が来なかったので、市谷の「東海堂?」に空手着を買いに行ったついで「玄和会の事を尋ねたら」確か…「岩?さんの電話番号」を教えてくれて南浦和道場へ入会した事…
そんな強烈な想いの時期に「新宿支部からのハガキ」…これって過去のあの手紙のお蔭…?
そんな玄和会も退会して何年経っただろう…
そろそろ…怖い現実社会での護身の為に、
再び「玄和会の武道・護身空手」を何て…想いを抱いているのだが…