今年も花粉症の季節がやってきた。
私の花粉症との付き合いは長い…
二十代前半からだから…
かれこれ…もう~
四十年は経つだろうか…
初めは、医者へ行って、痒み止めの薬を処方してもらっていたが…
飲んだ後の感覚が、少々変だったので、飲まなくなってしまった。
その後は、毎年も我慢の連続、痒みとの闘いであった。
そんな中、ある年、それは母が亡くなった年に気付いた。
何か・母の死に、囚われている時、花粉症・痒みは感じ取れない事に…
その体験を元に、痒みの我慢にトライしたが…
なかなか思っているような効果は難しかった。
それでも…
全く痒みを感じなかった年、
全く痒みを感じなかった場合、
痒くても直ぐに止まる・止められた時、
色々な体験をして来た。
その都度、その時の状況・状態、心理状態、
やっていた・関わっていた事…
そんな事を思い出して、考え続けて来た。
それでも、
今年は結構痒い、
痒みを我慢できない、
痒みを止められない…
そんな中、昨年の記事が、メールに届いた。
それを読んで思った~
ヤッパリ、今年の私も昨年の私も、…同じ私だった。
花粉症について思う事も、考える事も、やっている事も
みんな同じような、そんな私であった…と~
期待して待ってます。
宜しくお願いします。
花粉症の件、コロナの影響で時間あったのでブログに投稿しました。
スマホから打ったので、?、話が跳んでる?と思えるところもあるのですが
自分のアタマの中の像は、大体あんな感じでした。
何かのお役に立てれば嬉しいです。
なんと!まあ~
無神経と言うか?
恥知らずと言うか?
他人の個人ブログのコメント欄で、
よくぞ~ここまで~
以下のような言葉で
会った事もない他人を罵れるモノよ!
感心した!
>…阿呆みたいなことグチグチ書いてるよりも…
>…自分の独り善がりで医師の処方した薬は頭が馬鹿になると薬を飲む前から馬鹿なのを棚に挙げて勝手に止めてしまう。…
馬鹿はどっち?
過敏症の薬は、神経の働きを抑えるモノ。
神経の働きが抑えられば、頭脳の働きも低下…当然の結果でしょう。
因みに、
私は>…医師の処方した薬は頭が馬鹿になると…>とは書いていません。
私は、「飲んだ後の感覚が、少々変だったので、飲まなくなってしまった。」書いています。
如月氏の「馬鹿」とは、「感覚が、少々変」という事のようですね。
それって、私の「馬鹿」とは異なってていますね。
これじゃ~
私のブログ・記述の真意を理解するのは無理・無理のようですね!
もう、これ以上~
自由びとブログ・記述を視るのは、お止めなさい!
お宅の頭脳の為にならず、。
お宅の頭脳が壊れますよ!
もっとも…
お宅の頭脳は破壊された方が、
今よりもずっと賢くなれたりして、
以下は、お宅ココロとアタマの解析です。
他人を「阿保」・「馬鹿」と平気で罵れる者は、
端的には子供であり、幼児的認識の者、
子供・幼児は、他人を罵るのに、「罵詈雑言」言葉を用いる。
でも、
大人は「罵詈雑言」言葉ではなく、
相手の短所・欠点を的確に指摘する。
もっとも…
私の場合は、的確かつ厭味を込めて書くので、
これって、子供と大人のハーフ・ミックスですね。
>…自分の花粉症は自分で専門家に相談して処理しなさいな。…
本当に余計なお世話です。
私は場合は医者に行く程、
花粉症に困っていません。
今は自力解決が可能です。
相続税への執念は既にもう終了です。
現在は複式帳簿の書き方の習得です。
お宅も、ここ
自由びとブログへのコメント書き込みに執着するよりも、
もっともっとお宅の為になる建設的な事をしたら如何?
ここへの執着は、
元々が「阿保」・「馬鹿」的お宅頭脳が…
それが「スーパー馬鹿・阿保」化ですよ。
それで自分の独り善がりで医師の処方した薬は頭が馬鹿になると薬を飲む前から馬鹿なのを棚に挙げて勝手に止めてしまう。
大人ならそれこそ処方された薬に副作用だとか弊害がないのか納得いくまで医師と話し合うもんじゃないんですか?薬って誰かの思いつきで突然にそこにあるものじゃありませんから、治験だとか何だで承認されて患者に投与されるまでに時間がかかってますからね、だから今の日本の花粉症治療というのも世界基準だと考えて良いのではないでしょうか?
今では目薬だとか飲み薬だとかばかりではなく貼り付ける薬もあるみたいですけど、でも電車内で見ただけで花粉症だと分かる人なんかだとマスクで顔を隠していても涙や鼻水でグショグショになってるのが分かりますから気の毒で仕方ないですよね。
自由びと氏のように痒いと思って掻いたら快感だという、この快感だというところに何かの含みがあるようにも感じるんですが、まあ心理療法が自律神経の働きを調整してアレルギー反応を少なくする効果はあるようだというのは心療内科なんかでも言ってることのようですがね。
ただ、生命史観からどうたらこうたらというのは業として患者に施す医療行為としては社会的・世界的に通用しませんから、それは南郷派の重鎮の本田ナニガシが司法解剖で検察側から疑似科学だと撥ね付けられた事例でご理解いただけるでしょ?
しかし、南郷派は医学系の人間が多いと聞きますけど、自由びと氏の花粉症の相談にも乗ってくれないんですか?
ちなみに南郷氏の「花粉症はココロの病」というのは連載の読者である「心理学科学生」へであり、専門職でもない素人の補助・お前じゃない!なんて刺激の強い文句を書いちゃいましたけど、専門職も上にいくと良い収入もらってるみたいですよ。
南郷派の紙庭さんの看護師のセミナーなんか何十万円もするみたいですしね、自由びと氏も相続税の計算ばかり執念燃やして自力でやるのではなく、自分の花粉症は自分で専門家に相談して処理しなさいな。
伏龍さん
花粉症のブログ記事
宜しくお願いします。
如月さんコメントへ
>これって南郷氏のために南郷氏の判断で終刊になった可能性もあるな…
どうなのでしょうか?
経営に関わっていない一個人の為に、
会社がそんな事をするでしょうか?
それって、如月さんの詮索・妄想なのでは?
「全ては疑いうる!」そうですから…
如月さんも、御自身の見方・考え方を「疑った」ほうが、
無難だと私は思いますが…
私の「花粉症」が軽症なのは、
重症化しないよう気を付けているからでしょうか…
「花粉症」があるのではなく、季節の変化を過敏なの故に、
自分で「花粉症」と呼ばれている症状を創り出してしまっている、
という事でしょうね。
始まりは、
ただのくしゃみ・鼻水、涙に鼻・目の痒みに過ぎなかったモノを、
無視も我慢もできずに、気にし過ぎ、関わり過ぎの結果、
「花粉症」化した、という事なのでしょうね。
敏感でも、図太いとか、忙しくて気にする余裕のない人とか、
鈍感で、繊細さの欠片もない人…には無縁の症状でしょうね。
でも、そんなに長く患ってたら花粉症の治療方法だとか対処の仕方だとか詳しくなってるものだと思うんですが。いわゆる「プロの患者」というやつで、私も花粉症ではありませんけど若年のころから患ってる部分があって、それに関しては色んな病院だとか治療するところに何とか治したいと通いまくりましたから、他人の相談には乗れるんだと思ってますけどね。
それで、南郷氏が雑誌の連載で書いていたのって色んな読み取り方が読者によって出来るのだと思うんですけど、あれって「看護学生・心理学科学生のための」なんてタイトルが付いていたでしょう?いま少し調べたら南郷氏の連載がちょうど60回になったときに綜合看護も終刊になったんですよね。それって南郷氏のために南郷氏の判断で終刊になった可能性もあるなと私は見てるんですがね。現代社さんの収益に南郷派は大きな存在でしょうから。
ま、それで「心理学科学生のための」なんてタイトルをつけてることもあって「花粉症はココロの病」なんて書いたんじゃないかと思うんですよ。季刊誌の連載が60回って十五年くらいの長い期間ですし、なんでも南郷氏の連載が始まってから大学の哲学科に進学した人物が南郷氏の連載の影響で?哲学から心理学に方向転換して今や学者の仲間入りしてるなんて話もありますしね。
私も「もしかしたら」と「心因性の花粉症」というのを検索してみたんですが流石にそれは出てきませんでしたが、心身症の専門病院で認知行動療法で花粉症が改善したなんて論文がありましたよ。
それに薬物療法と心理療法とを組み合わせてる病院さんもありましたけど、南郷さんが書いたニュアンスは「花粉症はココロの病」(の面もあるから)心理学の資格とったら専門家として花粉症の治療もやって収入を得て女房や子供を養いなさい、なんてところじゃないかと思いますね。
ですが、まあ、心理療法って結構な金額とるみたいですから自由びとさんのように他人にはビタ一文払いたくないなんて人には敷居が高いでしょうけどね。
花粉症に鍼灸が効くとうたってる治療院もありますけど、こればっかりはご自分で足を運んで自分に合うか合わないかを判断してもらわないことには他人には分からないもんですからね。
でも、花粉症というと先ずは鼻の三大症状のくしゃみ、鼻水、鼻づまりなんて聞きますから、自由びとさんのは多分に軽症なんでしょうね。
コメントありがとうございます。
南郷先生の「花粉症」についての記述は私も読みました。
実際に、その通りだと実感もしました。
それは、母が亡くなった年の事です。
それまで毎年、痒くて痒くてたまらない「花粉症」なのに…
その年は、全く感じませんでした…
(それは、この言葉知って過去の体験を振り返った時の事です。)
他にも、塾で授業中は痒くて掻き続けている生徒でも、
休み時間には全く掻いていなかったり…
私の場合も、家では痒くて掻かずにはいられないのに…
勤務中は、痒みを殆んど気にかかりません。
「夢講義」で、この言葉を知ってからは、
痒くなると、その事を思い出し掻かずに我慢しました。
我慢すると…少し経つとスーと消えてゆくのも実感しました。
でも…そうですね…
ここ数年、以前の私にに比べて、心が弱く?なったようですね。
父が亡くなる前後数年に色々な事があり。
精神的に疲労したから…なのかも…
その為か、痒くなると、
我慢出来ずに搔いてしまっています。
すると、その掻く事が快感になります。
それは体の底から感じる超快感なのです。
その後は、その快感を求めて、更に掻き続ける事になり、
目の周りが赤くなって、少々腫れてやっと掻くのを止める、のです。
それが昨年の事です。
今年は昨年の事を反省して、昨年程に掻かずに我慢しています。
最近の私は、南郷先生の御著書も以前程に読むことがなくなって…
怠け気味ですね。
ここらで、初心に帰って、頑張らねば!ですね。
伏龍さんのブログ・記述・言葉…
私には、とても励みになっています。
今後も、やり続けて下さい。
>…説かれることを生命の歴史に尋ねて、認識の誕生の原点に帰って理解することで、自身のココロを整えることおこなっています。
とは?
具体的に、どんな感じですか?
参考にしたいので、教えて頂けたら、有難いです。
南郷先生がどこかで、確か『夢講義』で、花粉症について端的にはココロの病であると説いておられたと記憶しています。
自身はそこに説かれることを生命の歴史に尋ねて、認識の誕生の原点に帰って理解することで、自身のココロを整えることおこなっています。
以来十年間、一度も酷い花粉症の症状は出ていません。
自由びとさんの花粉症の量質転化がどのレベルかは分からないのですが、一般的には症状の軽減は可能であると思います。