ポチの女房

専業主婦のつぶやき

マッサン 第90回

2015-01-17 22:13:29 | マッサン
マッサンは、大将に退職届を出します。
大将は、マッサンがいつやめると言い出すかと思っていたと。しかし、一番きついときに言い出したと。
「おまえは、鴨居を捨てるんか。」
マッサンは、自分が信じるウイスキーをつくるには、大将の元を離れるしかないと。

大将は、マッサンに「おまえは、経営者にはなれん。」
会社のために、頭をさげられないようでは、ダメだと。
マッサンは、10万円を投資してもらえるように、大将に頭を下げます。
大将は、10万円の小切手をきってくれます。しかも、退職金なので返さなくてよいと。

大将はエリーに、「この先、何があろうと、どこへいこうと、わては、エリーちゃんの味方や。」

英一郎が、再びマッサン宅へ。
「今度は、お二人の背中を押す番だと思い直しました。」と言って、「ウヰスキー研究室」の看板を渡します。

※本日のgood
大将がマッサンに「お互いしのぎおうて、ウイスキー事業を盛り上げていこう。」
10万円を返さなくても良いというところもですが、太っ腹な大将、素敵すぎです。
私も、「鴨ロス」になりそうです。
堤さんにドラマで会えなくなると寂しいです。

大将は、やめて欲しくないというのが本音だったと思います。
それでも、マッサンを責めることなく、経営者としての心得を教え、高額な退職金まで出してくれ、リアル大将も、こんな人だったのかも知れません。
堤さんは、本当に大将を魅力的に演じてくれました。

シャーロットさんが、堤ファンなのも、わかる気がします。

☆次週への期待度○○○○○○○○(8点)
いよいよ北海道編が、始まります。
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マッサン 第89回(1/16)

2015-01-17 21:48:32 | マッサン
エリーは、マッサンをつれて家主の野々村宅へ、やってきました。
野々村と一緒にいたのは、飲食店経営をしている渡芳利。
マッサンが、北海道でウイスキーづくりをするのに、少なくとも50万円かかると。
工場ができてから、5年の熟成期間がいると。
ウイスキーを商品化するまで、別のものを売る必要があると。
エリーが、りんごジュースをつくって売ることを思いつきます。

りんごジュースを作って売る計画を示すと、出資すると渡が、言います。ただし、10万円は自分で出すように。
当時の10万円は、今の貨幣価値だと5000万円。

英一郎が、マッサンを訪ねてきます。
マッサンが、鴨居商店をやめようとしているのを聞き、「僕らを見捨てるんですか。」

マッサンとエリーは、大将のところへ。

※本日のgood
マッサンの「わしゃあ、日本人の舌をうならせてみせます。」という意気込み。
ドラマでは、短期間で決めたように描かれていますが、鴨居商店をやめること、ずいぶん悩んだに違いないです。

りんごジュース、いろいろと前振りがありました。
しかし、りんごジュースだけで、やっていけるものでしょうか。
売れるかどうかもわかりません。

10万円、どうやってつごうをつけるのでしょうか?
政志にも頼めないと言ってましたっけ。

英一郎の怒る気持ちも、よくわかります。

☆次回への期待度○○○○○○○○○(9点)
マッサンと大将の決別でしょうけど、大事な回だと思います。
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音楽も良いです

2015-01-17 15:57:28 | 音楽
現在、ゲームでは、『信長の野望 創造 PK』をやっていますが。
信長の野望の前は、ずっと『モンスターハンター3』をやってました。
最近、某CMで、モンスターハンターの曲が流れるので、買いました。
ジンオウガ二匹狩りで挫折してしまったけれど、4が、PS版が発売されたら、やってみたいです。
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あれから20年

2015-01-17 09:28:14 | 日記
阪神・淡路大震災からです。
もっぱら、テレビでもその話題です。
ニュースでも、被災者の方々がクローズアップされています。
当時、衝撃的な災害でした。
その数年後に東北でまた大きな地震が起きるとは、予想もつきませんでしたが。
テレビの情報によりますと、阪神・淡路大震災と東北大震災とでは、亡くなった方々の死因が、全く違うようです。
阪神・淡路大震災では、圧死や窒息死だったのが、東北大震災では、津波による溺死の人が多かったと。

この2つの震災を教訓に、防災体制も変わりました。
建物の耐震基準が大きく変わりました。
わが家的には、地震保険に加入しました。

20年たった今でも、震災の傷は癒えていません。
この日を区切りにまた新たな震災から○年が始まります。
心にいつまでも、刻まなければならない日だと思います。
1995年1月17日。
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