寛弘八(1011)年
まひろが、賢子を助けた双寿丸と遭遇。
まひろは、礼を言います。
糸は、賢子と双寿丸の身分違いを強調しますが。
父の死を知らない敦成親王。それを見ている中宮。
「見るままに 露ぞこぼれる おくれにし 心も知らぬ 撫子の花」
中宮の悲しい気持ちが表れています。
帝ともっともっと語り合いたかったと言う中宮。
新しい帝が内裏に入る日が決まっていません。
手はずを公任に頼みます。
三条天皇としては、道長が邪魔なのかもしれません。
三条天皇は、道長の兄、甥、息子を側近にすると言います。
頼通ではなく教通というところが、三条天皇の意地悪なところだと思います。
道長は頼通に、「おまえが先頭に立つのは、東宮が天皇になるとき。」。
亡き一条天皇の四十九日に、三条天皇は、内裏に入ります。これも、いかがなものかと思います。
道長には、関白になって欲しいと言いますが、道長は、断ります。
三条天皇は、娍子を女御にすると言い出します。
まひろと道長の会話。
「道理を飛び越えて、敦成様を東宮に立てられたのはなぜでございますか。より強い力をお持ちになろうとされたのは?」
まひろの言葉は、辛辣ですね。
道長は、「おまえとの約束を果たすためだ。」と答えます。
「これからも、中宮を支えてやってくれ。」
彰子を慰める和歌の会。
赤染衛門、まひろ、和泉式部が、歌を詠みます。
これらの和歌が、どうなのかは、さっぱり私には、わまりません。
そこへ、清少納言が、敦康親王からのお届け物・つばき餅を持ってきます。
清少納言にしたら、敦康親王のことが忘れられていくように思ったのでしょう。
赤染衛門が、「今は歌を披露している、優れた歌詠みであるあなたも詠んではいかがか」
「ここは私が歌を詠みたくなるような場所ではございませぬ」 とキッパリ断る清少納言。
まひろは、清少納言は、得意げな顔をした、ひどい人になってしまった……。 と書き記します。
紫式部と清少納言って、仲良くなかったと思ってました。最初の頃、仲よさげなのに違和感がありました。
ようやく想像通りの関係になったように思います。
敦康親王が中宮のところへやってきます。
御簾ごしでは、お顔が見えないと、御簾を超えて、中宮の顔をみにいきます。
一同驚きます。
そのことを知った道長は、敦康親王が二度と内裏にあがれぬようにと、行成に言います。反発する行成。
道長の取り越し苦労ではないかと思うのですが、道長の命令は、ききいれられるのでしょうか。
賢子と乙丸が、都を歩いていると武者行列と出会います。
その行列に双寿丸。
「帰ってきたら、また夕餉によりなさい。」と言う賢子。
本当にやってきます。
まひろも帰ってきます。偶然でしょうか。
双寿丸という人、悪い人には見えませんが、どうみても、賢子とは釣り合わない気がします。偏見かな。
道長が彰子に苦言を呈しています。
「これまでのように、お会いになるのは、いかがなものか。」「敦成様と敦良様をお慈しみくださいませ。」
彰子は、まひろに、「父上は、敦康様をはじき出そうとされているのであろうか。」
まひろは、「仲間をお持ちになったらいかがでしょう。」とアドバイス。
彰子は、弟たちを呼びます。
「困ったときは、皆の力を貸して欲しい。」と頼みます。
彰子にとっては、心強い味方ができた格好です。
妍子が御簾から出てきて敦明に「好き」。
こんな大胆な行動する女性がいたのか?甚だ疑問です。
止めたのは敦明の母である娍子でした。
藤原通任を参議にすると帝が言い出しました。通任の後任者として、明子を母とする藤原顕信を蔵人頭にすると言い出します。
道長は、顕信のことを固辞します。
父に道を阻まれたと思った顕信は、出家します。びっくり。
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