三重の城郭めぐり №5-③「松坂城跡」多聞跡、櫓跡を歩く①

2022-01-13 13:36:41 | 三重の城郭めぐり
「津城跡」もそうだったのですが、伊勢側のお城造りでは、
「多聞跡」というのがあって、その下に堀がある(あった)。
二つのお城を見ただけなので一括りにするわけにはいきませんが、
その「多聞跡」は歩くことができます、怖いもの見たさで歩きますが、
やっぱり「水」はなくても足は竦みます でも歩く…

「石垣の高さ」では伊賀上野城の方が圧倒的です!
ちなみに、伊賀は「防御型」のお城で、「大阪方面の見張りのため」の城だったそうなので…
  
伊賀上野「高石垣」と「伊賀上野跡縄張り図」(※「上野城と城下町」より)

しかしここ「松坂城跡城内」の石垣も変化に富んでいて複雑だし見ごたえがあります。
そこんところを紹介できればいいなぁ…と。

では、もう一度「表門跡」からスタート、今回は「本丸」に潜入です。
その1:「表門跡」、「助左衛門御門」から「本丸下段」へ
 「松坂城跡碑
市役所の通りから入って正面に、
主碑は裏千家の千宗室の揮毫(キゴウ)、松阪開府390年記念に昭和53年(1978)に建立。

ここから入城しますが、この写真の右側には
  「井戸跡
この場所からすでに松阪市内東方面一望です。
 「表門跡
ここを「左」へ
  「助左衛門御門
ここから「本丸の下段」に入ります。
真っ直ぐ進めない「門跡」などは「桝形構造」といわれる出入口が続きます
ここで、松坂城跡案内図②を、

「多聞跡」「櫓跡」がいっぱいです、おおよそ水色部分が歩いたところ。

城内その①:「月見櫓跡」~「中御門跡」
先ず、本丸下段の「多聞跡」から松阪市内を見てみる…
 南方面

  東方面、遠くに「海」…
月見櫓跡
  
本丸下段東角にあった2層の櫓。台所棟などがあったが17世紀中ごろに大破、とのこと。
「櫓跡」から「表門」を見下ろしてます、怖いです
一旦、下に降りて周りの「石垣」を見ながら、
 
中御門跡」へ、これでもか!と曲がります。
  
蒲生時代の「野面積み」石垣です、まだ続く石段
   
やっと「本丸(上段)」に来ました。
真ん中奥に見えるもの「本丸跡」、実は「井戸跡」です。
 ふつう、覗きませんよね
でも、井戸は大事だと思います、どこのお城でも「井戸」は「命の源」かと。

次に、「きたい丸 多聞跡」へ上がります
 ここからは南側になります

城内その2:「きたい丸」~「松坂城梅林」~「角櫓跡
 
手前の建物「本居宣長旧宅(鈴屋)」、城内南側の「石垣」
きたい丸」とは、
※本丸の西にあり、曲輪の名称は、松坂城を完成させた3人目の城主、古田重勝の子どもの幼名「稀代丸」にちなみます。
 東西南北の各角に櫓が配置されています、とのこと。
ここは「松坂城梅林」となっており、春が待ち遠しいところです。
  

では、ちょっと楽しみな北側の「角櫓跡」へ
しかし、多聞跡を歩いたり、下に降りたりとなかなかの運動量になりますが、
振り返ると「ここを歩いたの?」という狭さです
この経験は貴重だと思いました。
 

さぁ、再び「多聞跡」を歩きつつ景色を堪能しましょう~
角櫓跡」から
  
石垣注意!」です…
西から北にかけて~~
  
知らない名前の山ばかりですが、とても分かり易く、
形も同じように書いてもらってあるので有難いです

北側にはグラウンド、遠くに「鈴鹿山脈」の雪
  
もう、石垣を覗きつつ、ゾクゾクゾワゾワしながら撮ってました(笑)。

長くなりました、ちょっと休憩を入れて…
ではまた
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三重の城郭めぐり №5-②「松坂城跡」 石垣巡り②

2022-01-12 11:39:21 | 三重の城郭めぐり
今回は、松坂城 表門跡」を正面に見て右側へ進みます。
  

  
その途中に「松阪市立歴史民俗資料館」があり、
そこで「城郭めぐりスタンプ」を自分で押印、「ご城印」(@200)を頂きました。

 城内案内図(再掲)
では、ここから「多聞跡」の石垣へ進みます。
 「表門跡」から右へ
江戸時代のものとは様子が違う「石垣」に出会います。
 長い「多聞跡」石垣
蒲生氏郷時代の石積みで、いわゆる「野面積み」
前回見てきた「算木積み」とは、やはり違います。
野性味あふれるというか、研ぎ澄まされてはいない、
けど、この台形を造る技術は素晴らしいなぁ、
石垣の隅っこがスゴい!
 
本丸「きたい丸」下の石垣です、ここから右に行く階段が見えます、
外から「石垣」を見れればいいなぁ、ということでその階段を下ります。

ここら辺の「石垣」は、
「蒲生氏郷」(ガモウウジサト)が城主であった頃の「野面積みの石垣」だと思われます。
ここで今頃ですが「松坂城跡」の歴史を少々…
 (再掲)
国史跡 松坂城跡
   指定 平成23年2月7日
   面積 47,337.30㎡
 松坂城は、蒲生氏郷(ガモウウジサト)が天正16年 (1588) この四五百森(ヨイホノモリ)に
築城した平山城である。
 蒲生氏郷が陸奥黒川 (現在の福島県会津若松市) へ移封後、
天正19年(1591) に服部一忠(ハットリカズタダ)、
文禄4年 (1595) に古田重勝(フルタシゲカツ)と城主が変わり、
元和5年(1619) に徳川頼宣(ヨリノブ)が和歌山藩主となると同時に
和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領 (松坂・田丸・白子等)
18万石を統轄
する城代が置かれてきた。
 城は北を大手南を搦手(カラメテ)とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸からなり、
本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。
 三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓(ヤグラ)がそびえ立っていたが、
正保元年(1644) の台風で天守は倒壊したと伝えられている。
また、二ノ丸には寛政6年(1794) に着工された御殿 (別名 徳川陣屋) があった。
 明治14年(1881) 松阪公園となり、現在に至っている。
   平成24年3月9日 松阪市教育委員会』

では下に降りますが、その先は「松阪公園グラウンド」。
  
城跡下に観客席もあります、
ここで野球の試合している少年たちよ、
城跡の石垣を見ながらなんてなかなかないよ
広くて素晴らしいグラウンドですね。

グラウンド沿いに進んで、見上げたら石垣の隅っこが見える
 いいねぇ

松阪公園プール」「殿町中学校」を経て、「本居宣長ノ宮」に出ます。
 「本居庵
見覚えのある大きな鳥居が見えて、ここでお城周りをグルっと一周した感じ、
「自然生のお好み焼き」で昼食、からだ元気になった気分です(笑)。

まだまだ見落としている所はあるかもしれないし、
グラウンドの外から「石垣」を見たいとも思います。
ここは一度ではムリで、できることならもっと歩きたい、と。

でもまだこれだけではないのです(笑)、
次回は城内に入り「櫓跡」や「多聞跡」など、ぶらり散策いたします。

では、まだまだ
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「三重の城郭めぐり」完了。では、№5-①「松坂城跡」 石垣巡り①

2022-01-11 12:52:35 | 三重の城郭めぐり
ここを最後まで残しておいて良かった
早速ですが「伊賀・亀山・津・松阪・鳥羽『城郭めぐり』完了の証

「松坂城跡」ご城印。

私的にちょっと感慨深いものがあります。かなり「冒険の旅」っぽかったので…
伊賀・亀山以外は初挑戦の城跡ばかり、道にも迷ってばかり
それでも頑張ったし、それぞれに感動することばかり、行って良かったなと。

さて、石垣見たさに、ぐるっとお城周りを1周半してしまいました(笑)。
「松坂城跡」は、『国指定史跡』『日本百名城』『日本歴史公園です。
みどころたっぷり…
見上げては感動、見下ろしてはゾワゾワ感動、どこの櫓跡に立っても景色は最高
お天気もバッチリだったので、お昼を挟んで3時間半、滞在してしまいました。
写真多めに付きボチボチに整理しています。

いろいろ考えた結果、時系列ではなく
その1:「外堀跡の石垣」ぐるっと一周「表門跡」から始めます。
正直に書くと 「庭」のように日々歩いている「伊賀上野城」とは全く違います。
かなり複雑な「縄張り」で一筋縄ではいかないと感じました。
ワタシごときが書けるようなシロモノではないのですが、見たまんま…感じたまま。
🚙は「松阪市役所」に止め(無料)、案内標識を見て、そのまま真っ直ぐ進むと「表門跡」です。
(市役所カラ オ城ニ行ク!、ソレガ「城下町」ダト思ウ、個人ノ見解、アシカラズ)
  
この石垣を見て、もう目が点(笑)、カッコいいなぁ…

 「城跡案内図」
ちょっと加工して、先ず黄色い線沿いに「二ノ丸外堀跡の石垣」、
ぐるっと車道になっていますが、とても狭いし、
石垣に沿った道なので「角」がいっぱい。
地元の方含めとても慎重に運転されているなぁと感心しました、
そこをワタシのような何もわからないモノが「石垣」を見ながら通るわけですから…
迷惑かけているなぁと恐縮しつつ、前後気を付けて通らせていただきます。
  
「表門跡」を見て、左側の石垣沿い、ここは「打込みハギと算木積み」。
整然とした積み方で「江戸時代」の石積、とのこと。
3枚目は振り返って見た石垣と道路の様子、スピードは出せません!
 
築城から400年以上は経過しています。修復されているとはいえ、
松坂城は江戸時代に「紀州藩領」になっており、
江戸時代を通して「石垣の修理」は行われていたそうです。
間近で見られるので圧倒されます、素晴らしい歴史遺産だと…

次は「裏門跡」と「国史跡 松坂城跡」説明版。
 
「裏門跡」の前が有名な『御城番屋敷』のあるところ、
今回は「城跡」オンリーです、あしからず。

その2:「松坂城裏門跡」両側の石垣
  
「裏門跡」を見て、左側(隠居丸」の石垣)「常夜燈」2基が並び、
右側「松坂城跡石碑」が建ち、ここも算木積み石垣」(右側は「二ノ丸)。

 
「隠居丸」沿いの石垣、その先に「本居宣長ノ宮」。

突然ですがここでひとつ、悩ましい」と「
松阪市と松坂城跡のサカの違い?

つづく
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三重の城郭巡り№4-③ 「津城跡」石垣巡り 後編

2021-12-30 14:18:51 | 三重の城郭めぐり
長~い「北多門櫓台」(約95m)の北西側隅に『戌亥櫓(イヌイヤグラ)』
北東の隅に『丑寅櫓(ウシトタヤグラ)』が建っていたそうです。
これは上から見ていてもよくわからない、
「北多門櫓台」から見ると、「堀」の外に遊歩道っぽいのが見えます。
下に降りて、堀の外周を歩こうと思い「出口」を探していたら、
すぐそこに、
 
丸之内本丸碑」と「津城跡」説明版
 「お城公園入口」
ここが本来のメイン入城口?
(ということは、ワタシは裏口から入城していたのか?と
まぁよくあることですけど
要するに元々3カ所ほど「入城門」があったわけで、
現代では市民の憩いの場の「公園」ですからどこからでも見学できる…
なので、案内板などは多くなりますよね。
 『東鉄門跡(ヒガシクロガネモンアト)
南東部石垣上に「三重模擬櫓」が、昭和33年(1958)に建てられ、
ここの石垣は「算木積み
「矢穴」(石を割る技法)を見ることができるそうです…
 『丑寅櫓台
隅部の石垣は最も崩れにくいとされる縦横比2.5:1の直線的な「算木積みとのこと。

この石垣のある風景の周りには、各種公共施設や民間会社もあって
当たり前のようにここを往来しているようですが、
これはとても素晴らしい歴史遺産風景だと思います。
大事に残していただきたいなぁと…

さて、この石垣を見ながら左に曲がると、内堀と水鳥。
 
間近に鳥さんがいて、賑やかな様子ばかり撮ってました(笑)。

 遊歩道の『北多門櫓台』説明版

  北多門櫓台』と『戌亥櫓台
北の内堀と石垣が綺麗に見えるビューポイント
石垣の高さは約10m
あの石垣の上からココを見ていたなぁと、
こんなに長い石垣は見たことがないので距離感に圧倒されます。
これは伊賀上野城にはないなぁ(高さでは勝つけど)、
その石垣底辺部にある水面から出ている部分は「犬走り」※。
これは、
≪高虎の前任地である愛媛県今治(イマバリジョウ)において、
海城(ウミジロ)の欠点である軟弱な地盤を補強するために考案されたもの。
津城本丸を囲む広大な内堀(最大幅約100m)は沼地で、
「津城の犬走り」も同じく軟弱な地盤を補強するために設けられた、とのこと。
 (再掲)
今では「水鳥」たちの休憩所も兼ねてますが(笑)。

内堀北西の角には「津城跡北堀碑
  
西の丸石垣と犬走り」と「西の丸玉櫓台(タマヤグラダイ)」※又は「西の丸角櫓(スミヤグラ)」とも、
そして、城内に入る「橋」。この橋で元に戻ってきた感じになりました…
※鉄砲の弾丸を収める櫓。
※この部分の「犬走り」は、石垣修理と石垣崩壊防止のため明治以降に造られた、そうです。

今度は、「橋」を渡らずにそのまま小さな堀沿いに進むと、そこは
   アジサイロードと花菖蒲かな?
前にそびえるのは「NTT塔」、そして「高山神社」入口2ヶ所。
  

そのまま、本丸公園の中へ入っていきます…
そのすぐ入り口辺りに
  大天守台」※①とその「算木積み石垣」※②
※①織田信包(ノブカネ)創建の大天守台を藤堂高虎が改修したもの。
入口の切り裂きの奥には大天守の穴蔵があり、
手前右側の石垣の崩れは、天守台取付多門櫓台(テンシュダイトリツケタモンヤグラダイ)を取り払った跡、とのこと。

※②隅部をまっすぐに積むきれいな算木積みで、寛文期改修のもの。
「大天守台」の大きさは、南北16m、東西14m。

「大天守台」の隣辺りには、
 「埋門(ウズミモン)」
※津城が火災に遭った時に本丸よりの脱出口として
寛永16年(1639)に造られたそうです。

本丸内から撮ったので見にくいのですが、表から撮ると
※東側は「野面積み」、西側は「打込みはぎ」、両隅部は「算木積み」です。
これは次回来た時の宿題にします(もう一度じっくり見たいと思っています)

夕刻近くになって暗くなる前に津城を発たないと…最後に公園内をぐるり一周。
  
「藤堂高虎像」、再び「NTT塔」と「メタセコイヤ」落葉中(笑)。

じっくり見せてもらいましたが、初めての場所、勉強不足もあって
全てを見学できたわけではないので、またチャンスがあれば今度こそしっかりと、
名残惜しくはありましたが、「津城跡の石垣」は本当に素晴らしいと思いました。
行ってよかった
「ご城印」と「城郭巡りスタンプ」は「アスト津」の「観光協会」で。


観光協会で頂いたパンフレット「津城跡 石垣めぐりマップ
  
そして、
 「津城復元図

参考資料(津市HPよりリンク)
津城の大改修
藤堂高虎略年譜

見たままの事しか書けていないので、上記資料を参考にしてください。

「城郭巡り/津城編」は終了。
いよいよラスト1日、過ぎれば正月だぁ、ではまた

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三重の城郭巡り №4-②「津城跡」石垣巡り 前編

2021-12-29 13:18:19 | 三重の城郭めぐり
お城公園内に移築されている「旧藩校有造館の『入徳門」から入り、
 (再掲)
冬の庭園は色彩が少し寂しいですが、
むしろ木々の葉っぱに邪魔されずに遠くまで見通せます。
 「日本庭園」
遠くに少し「石垣」が見えます…
庭園のその先を進めば、アジサイの植栽がとても多く、
来年のために「アジサイ」の手入れはされており、梅雨時が楽しみになりました…

その先に、と書いたその「石垣」は、
 『西多門櫓台
説明には多くの「刻印」が見えるとのことでしたが、これは次回への宿題かな…
そこには「西鉄門(ニシクロガネモン)及び伊賀櫓(イガヤグラ)」があったとのこと。
ということは「西の方角に伊賀」という位置なんでしょうか?
 

  場所を変えていろいろ

 
最後の紅葉が眩しかったですし、いろんな角度から撮ってみました(笑)。

初めての津城跡の石垣見学なので、高山神社で頂いた地図を頼りに進みますが、

歩いてる途中は、方角もなかなかわからず、とりあえず写真を撮って
あとでゆっくり振り返ることしかできなかったのですが、
津城跡の石垣」はいろんな工法のオンパレードだな、と思ったのは事実。

初冬の紅葉が見えた場所から北側の長~い石垣沿いに進みます、
これは「本丸内」から見ています。
  「北多門櫓台
野面積みに近い打ち込みはぎ」で「転用石」も多いとのこと。
この「石垣」の上には、幅約6m、長さ約95mの長大な「多門櫓」が建っていたそう。
時代を遡って見てみたい気がします。
このまま石垣沿いに進むと上に登れるので行ってみますが、
 なんと「三重櫓」が見え、
登って近づくと
 中には入れなさそう…
説明書によると「三重模擬櫓(サンジュウモギヤグラ)」とのことです。
南東部の石垣上に昭和33年(1958)に創建されています。
ここの「石垣(丑寅櫓台)」は、後編でじっくり。

では、例の長~い石垣の上を歩いてみますが、なんとビックリ
「水鳥」ちゃんがいっぱい優雅に泳いでますし、
 
しかも、ここはワンちゃんたちのお散歩コースでもありました(笑)。
厳(イカ)ついだけの石垣ではなく、市民の「憩いの場」っていうのがいいですね。

 戌亥櫓台」の石垣
内堀からこの石垣の上までは約10mの高さだそうです。
ここは、実際に堀の外から見られそうなので、後で行きます。
約100mの石垣の上を歩いて、「戌亥櫓台」です。北と西の角かな?
 
左側が「本丸」です。
この「戌亥櫓」は高虎さま考案の「層塔型三重櫓(ソウトウガタサンジュウヤグラ)」だったそうです。

だんだん楽しくなってきました、ほんと石垣見本市みたいで(笑)…

では、一旦ここで休憩、後編はまた…
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三重の城郭巡り №4-①「津城跡」訪問の前は「高山(コウザン)神社」へ

2021-12-27 14:32:07 | 三重の城郭めぐり
やっぱりね、伊賀人としてはお参りしておきたいところ…

高山神(コウザンジンジャ)】(津市丸之内27-16)
≪津城址にある神社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
同市の市役所近くにあり、藤堂高虎を祀る
同社は津市発展の礎を築かれた開祖として「高山居士」のおくり名に由来。
商工業の守護神、市民の氏神として現在も信仰を集めている。≫とのことです。
津では高虎さまは「神様」です

城山稲荷神社

ふつうに境内が契約駐車場にもなってるので…
決まられたところにしか駐車はできません。
「御祭神」の高虎様にお参りし、「ご朱印」をいただき、
「津城跡」へ行きたい旨お伝えすると、
「津城の石垣は有名ですから、是非ゆっくりと見学して来て下さい」と

神社で頂いた地図より
(実は、津市街地の事はあまり詳しくなく、
行くたびに迷子になる=ナビでも無理!という始末なので…)
 「津城跡(お城公園)」はココです。

 「津城址案内図」です。

そのまま、神社の駐車場に止めさせていただき、
津城跡」へ、いざ行かん。
 「津城址説明」
津観光協会HPでは、
≪織田信包(ノブカネ)が創築し、築城の名手・藤堂高虎に大改修され、
天守台や櫓(やぐら)もあり、本丸と西之丸の連なる石垣は見事≫とのこと、
また
≪春の桜、初夏のアジサイ、秋の紅葉など、四季折々の情緒ある風景が広がる≫と。
この自然は歩いていて良く分かりました、特にアジサイの植栽が多かったです、
きっと来年初夏はここのアジサイを見たいなと思いました…

伊賀と同じく「藩校」があったようで
 「藩校有造館入徳門」(ユウゾウカンニュウトクモン)

 藩校入り口の『入徳門
この門のみ現存、津市指定史跡。

では、この入徳門をくぐって「日本庭園」を過ぎる辺りから「石垣」が…

今日は、ここまで
ではまた
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三重の城郭巡り №3-③「伊賀上野城」広場いろいろ

2021-12-25 15:17:03 | 三重の城郭めぐり
ご参考に「お城の石垣は崩れずに現代まで残っているの?」(城びとHPより
大阪城や伊賀上野城の石垣が掲載されていますし、
石垣の「基礎のキ」がわかるような気がします。
伊賀上野城の北側辺りには基礎に使われた石なのか、
栗石(グリイシ)と言われる石なのか、多数残っています。

お城の北側を通った時にこんな「赤い実」を見つけました。
 
撮影に何度挑戦しても後ろのお城の基礎部分にピントが合っちゃって、
肝心の「赤い実」はボケます、下手ですねぇ
ダメなものはダメと諦めますが、
まん丸ではなく丁度「小豆」のような形で
わずかに残るこの実は「アズキナシの」と教えてもらいました。
知らなかったです、5月頃に可愛い白い花が咲いているのに
気が付かずに素通りしていたようです…来年こそきっと見ますよ「花」!
その木の根元に注目!!
 松に絡まる「小豆梨」(漢字で書くとこうなる)の木
すごい寄り添い方ですよね、笑っちゃいました、お互い頼りにしてるのね(笑)。

伊賀上野城に登城して、楽しみな景色を見ます。
いろいろお宝はいっぱいあるのですが、撮影禁止のお宝も多いので
ワタシは「景色」に特化しようと思ったわけです。
この天守閣が建設途上に暴風雨で倒壊しなければ、
高虎さまは、どんな景色をここに見ようとしていたのだろうと…
(多くの大工たちが犠牲になったことに哀悼の意を表しつつ)
では、東側の山々から、雲の影がかかる山が「南宮山と岡山」
その後ろが「霊山」、そのまた後ろは鈴鹿の霊峰群


北側(高旗山・お斎峠の山並みと伊賀上野方面)
 

西側(上野高校グランドから長田方面)
 

南側(城下町の町割りや遠くに布引山系)
 
山の名前がわかるかと思ったら「布引山系」と一括りだったのでちょっと残念
なので後日「竜王山」へ登ったのでした、、、

何十年ぶりかにお城に登りましたが、いいですねぇ、
三層目の天井は『折り上げ格天井(オリアゲゴウテンジョウ)』といい、
大変珍しく、風格もあり、その「天井絵」も素晴らしい!

再度、「石垣」撮影スポットから


堀の下に降り、その前の広場の松の木
 
松の木「右」に捻れる、なんでかな?
そして、松に寄り添う木、
ずっとこんな感じで仲良く育ってきたのでしょうか…

最後に、後日改めて「伊賀上野城ご城印」をいただきに行きました。(@200)


では、今度は「№4「『津城跡』の石垣」書けたらいいなぁ
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三重の城郭巡り №3-②「伊賀上野城」

2021-12-24 15:46:18 | 三重の城郭めぐり
見慣れた光景とはいえ、上野地区に住む者として、
これは伊賀市代表のランドマーク だと勝手に思っています。

 西側から

 表から(南側)
当時、もしこのお城が完成していたら…
階段はなく、「縄梯子」で登ることになっていたとか、
徳川の世になると「城は護るもの、攻撃のためではない」と。

堀の上を歩いてみますが、ここは本来入ってはいけないところ、自己責任で…

やっぱり何度訪れても堀を覗こうとすると足は竦みます
なので、この場所から堀は撮れません!

ここからは、一番きれいに見られる(撮れる)ところです。
 「算木積み石垣
高虎殿様自慢の高石垣です。
大阪城の石垣と一・二を争うと言われていますが
これは水面下から図るとどうなるか?という問題かもしれません(笑)。
では、水面から見えるところに移動しまして
 「算木積
見本のような石垣ですが、所々崩れそうになっているのが心配、
自衛隊員さんに草木を刈ってもらったのでスッキリ見えます、いいですねぇ。

堀の見える下の道に下りて、ワタシが好きな場所からは、
 水面に映る石垣
奥に見えるは上野高校図書館辺りかな、
この位置からだと「算木積み」の石垣は隠れてしまいます。
でも水面に映るこの石垣もスラっと伸びて綺麗だと思いますが…いかがでしょ?

今回はここまで、
ではまた
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三重の城郭巡り №3-①「伊賀上野城」と「筒井天守跡」

2021-12-23 16:16:17 | 三重の城郭めぐり
久しぶりです、「三重の城郭巡り」シリーズ
2週間ほど前にとある研修に参加させていただき、
改めて「伊賀上野城」を見学しました。
知っているようで知らないことがいっぱいありましたが、
ワタシ自身もう一度勉強するつもりで「伊賀上野城HP/三つの天守閣」を読んでました。

「伊賀・亀山・津・松阪・鳥羽の城郭巡り」を始めたものの、
ぼちぼち完結しないとなぁと思っていたところに研修のお話があって、
楽しく上野公園界隈を歩いていました。

今回は、その時に撮影した石垣などを中心にしております…
伊賀のお城は残っているとはいえ「昭和のお城」です。
でも「石垣」は幾多の歴史をみている素晴らしい歴史的建造物だと思っています。
昨日「津城跡」も行きましたので、まさにどちらも「高虎遺産」のような気がします。
(詳しいことは何も知らないのですが)「石垣」を見る楽しさが少し芽生えた気がします。

では、上野公園へ入る前段から(笑)…
(但し、12/5と12/14の2日分の写真入り乱れです)
 地元の方はよくご存じの「蛇池」(12/14)
ここの松、多分電線に配慮して伐採されたのでしょう、
水面に映ってもやはり奇妙な格好ですが、松に罪はないし、
夕闇の松と蛇池、綺麗だったので、つい。

公園入口の駐車場横から入場すると、左側土手沿いに
  「伊賀笹」と呼ばれているとか
触って見ると葉っぱの裏がすべすべです、
普通の笹は毛があるのでザラザラするようです。
 最後の紅葉(12/5)

  
旧筒井城の空堀跡。

   
石仏様たち、真新しい赤い前垂れのお地蔵様や不動明王様
伊賀流忍者博物館」のくノ一さんが毎日お参りされているそうです。

 筒井城代屋敷跡の広場、
ここも最後の紅葉

  
ここの広場には旧水道タンクがあります、
その横に小さな入口、そこを登ると『筒井天守跡』があります。 
この城代屋敷跡を南方面に下りると石垣が見えますが、
 ここまで12/5撮影分
これは「城代屋敷跡の野面積み石垣」(ノヅラヅミ)。
☟12/14の晴天の日に撮った石垣です、
  筒井城野面積み石垣
直に下から見上げるとなかなかの迫力、
緻密に細かい石が挟み込まれています。
この石垣の上に、昔「城代屋敷」があったとのこと。
  「筒井城表門跡
この石段登ったところに「表門」と書かれた敷石があります。

では、次回は高虎さま城主として指図した「高石垣」へ
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三重の城郭巡り №2「伊勢亀山城跡」へ(亀山編②)

2021-10-15 15:55:35 | 三重の城郭めぐり
ココの「城跡」は、いつでも行けるから後回しにしよう!と思っていたら、
突然のチャンスに恵まれちゃって(自分で作った出会いかもしれないけど…)。

亀山にも「アサギマダラ」が飛来してくることが分かったので、一安心。
来年もきっと来てねと して、
次の目的地へ 🚙で走ること数分、「亀山市役所」前を通過、
亀山神社」の駐車場に車を止め、まずお参り。
   
「亀山城楠門跡」と「機関車」、「亀山神社」鳥居、

  
鳥居をくぐると、「大久保神官家棟門」(市有形文化財建造物)と「拝殿」
車がよく通る道の傍に鎮座してますが、静かで穏やかな空間です。

※ここら一帯は広い「亀山公園」(リンクは地図)の端っこでもあり、
(実は)近くの亀山菖蒲園」は、季節訪問定番地だったりします(笑)。

エラそうなことを書いてても、
「櫓」の周りをじっくりと歩いたことがないので…
いろんな角度から「多門櫓と石垣」を見てみました。
 
神社側から見てみると…「櫓」を城内から見た感じかな??

 
「櫓」への階段、池と市内一部が見えます…

  
右に見える階段は、さっき上った石段、
西側に回って「史跡亀山城跡石碑」、
「石垣」を下から見たくて坂を下りる感じで歩くと、
すらっと綺麗な流れの石垣です。
  「多門櫓」と石垣全景。
「伊勢亀山城」パンフレットより
「亀山城」は、
≪天正18年(1590)に岡本良勝(宗憲)が亀山古城の東に新たに築城したとされる。
(中略)
伊勢亀山城の天守は、寛永9年(1632)に幕府から「丹波亀山城の天守を解体」するよう
命じられた出雲松江藩主・堀尾忠晴が、間違えて『伊勢亀山城の天守』を取り壊してしまうという
大失態を犯してしまいます。(忠晴は翌年死去し、大名家は廃絶)
それ以降天守の再興はない。
但し、天守の規模・形状・位置など事実関係は一切不明≫とのこと。

「旧亀山城多門櫓」は、
≪多門櫓本丸東南隅の石垣と、この上に残る建造物の総称。
三重県下では、石垣上に現位置のまま城郭建築が遺存する唯一の例。
寛永9年(1632)頃に築造されたとみられ、県史跡に指定されている。≫
「石垣」は、
≪外側高13.5m 内側高3.5mで、石垣を多用しない亀山城内では最大の規模。
石材は長大な自然石を多用した野面積み、宝篋印塔(ホウキョウイントウ)等の転用も見られる。
石積技法に多様性が見られ、この石垣全てが天正18年(1590)の築城時のものというわけではない≫らしいです。

知らないことも多く、なかでも「解体現場取違事件」があったとは…
これは、誰も見ていないし、わからない…
この「多門櫓」と「石垣」が現存していることこそが「城郭巡り」のポイントですね。

「城郭巡り」スタンプは「亀山市役所」で押印、
「登城記念ご城印」(200円)は、近くの「しぼりや」さんでゲット。



もう少し続く、アサギマダラ追っかけ旅、
次回は「曽爾村伊賀見」へ、
今日(10/15)あまりにもいいお天気だったので「霊山」上っちゃいました…)
コメント
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