「旧伊賀街道の野仏の道」は、昔は軽トラくらいなら走っていたかもしれませんが、
今は、山からの湧き水や大雨などで崩れかけたり、
狭くなっているところもあるので、車ではなく徒歩でぜひどうぞ…
あくまでもウォーキングコースです。
左に流れる「服部川」、流れを遡る感じで歩いています、
なので上流に進むにつれ石の形状が変化していきます。
そういう様を見ながら進むのも面白いです。
山側は谷筋が多く、大きな石がゴロゴロ、
これらの巨石が川に落ちていったのかと思える風景もあります。
落ちずに済んだ巨石に仏様や神社跡の文字などどんどん出てきます…
ここに、「神社?」「お寺?」と思うとゾクゾクしてきます。
この風景の先
⑤「七体地蔵」(本尊と六地蔵とも)
幾度となく繰り返されたであろう大雨による土砂の流入などで、
どんどん埋もれて行ったのではないかと思われます。
仏様たち、肩から頭部にかけてしか見ることができません。
真ん中は「本尊」ではないかとのことですが、ワタシには??
この先少し進むと
「石垣」(谷積み?)
これは、崩落防止用でしょうか?
江戸後期には≪築石の対角線が垂直になるように積んでいく≫工法が合ったようで、
「谷積み」とか「落とし積み」とも言うそうですが、これは一体?
ここにお城があったとも思えませんが…(まったく個人の見解なのでスミマセン )
「旧伊賀街道」も中間地点くらいかな
「急傾斜」あり、対岸の「岡山」か、「巨岩群」のあと「竹林」に入ります。
道は狭いですが「竹」の地下茎に守られてる気がするし、
見上げれば陽の光が当たって神々しくエエかんじです(笑)。
この竹林まで諸石仏たちと、変化する風景を見ながらゆっくり進んで約25分。
ここから先、なんと文字岩(磨崖碑)出現!
おっと、菩薩様です。
⑥「弥勒菩薩」
「弥勒菩薩」も竹に守られておられます。
左の服部川、穏やかそうです…
ここら辺の山側には中世寺院跡でもある「大乗寺」というお寺があったそうな。
(「野仏の道」の解説によれば、
≪大乗寺跡のふもとには「鳥居の礎石」と思われるもの、
この神社の上に「大乗寺跡」がある≫と書かれておりました。)
では、三つの磨崖碑をどうぞ~~
⑦「八幡宮岩」
⑧「太神宮岩」(ダイジングウイワ)
「寛永六年 上野宮前 太神宮・・・」などの文字が読まれるとのことですが…
⑨磨崖碑「春日宮」(マガイヒ カスガグウ)
落葉や木々を見ると、知る人ぞ知る「紅葉スポット」のようです、
今年の晩秋にでもいかがでしょ?(笑)。
そして、確かめようはありませんが、
寛永21年(正保元年、1644年)に生まれた「芭蕉さん」、
江戸など往来する時、この「伊賀街道」を通っていたはずです、
ここに建っていたであろう「上野宮」や「大乗寺」にお参りされていたのではないか?
と、勝手に想像しています…
まだ「石仏群」は続くので、今日はここまで
ではまた
今は、山からの湧き水や大雨などで崩れかけたり、
狭くなっているところもあるので、車ではなく徒歩でぜひどうぞ…
あくまでもウォーキングコースです。
左に流れる「服部川」、流れを遡る感じで歩いています、
なので上流に進むにつれ石の形状が変化していきます。
そういう様を見ながら進むのも面白いです。
山側は谷筋が多く、大きな石がゴロゴロ、
これらの巨石が川に落ちていったのかと思える風景もあります。
落ちずに済んだ巨石に仏様や神社跡の文字などどんどん出てきます…
ここに、「神社?」「お寺?」と思うとゾクゾクしてきます。
この風景の先
⑤「七体地蔵」(本尊と六地蔵とも)
幾度となく繰り返されたであろう大雨による土砂の流入などで、
どんどん埋もれて行ったのではないかと思われます。
仏様たち、肩から頭部にかけてしか見ることができません。
真ん中は「本尊」ではないかとのことですが、ワタシには??
この先少し進むと
「石垣」(谷積み?)
これは、崩落防止用でしょうか?
江戸後期には≪築石の対角線が垂直になるように積んでいく≫工法が合ったようで、
「谷積み」とか「落とし積み」とも言うそうですが、これは一体?
ここにお城があったとも思えませんが…(まったく個人の見解なのでスミマセン )
「旧伊賀街道」も中間地点くらいかな
「急傾斜」あり、対岸の「岡山」か、「巨岩群」のあと「竹林」に入ります。
道は狭いですが「竹」の地下茎に守られてる気がするし、
見上げれば陽の光が当たって神々しくエエかんじです(笑)。
この竹林まで諸石仏たちと、変化する風景を見ながらゆっくり進んで約25分。
ここから先、なんと文字岩(磨崖碑)出現!
おっと、菩薩様です。
⑥「弥勒菩薩」
「弥勒菩薩」も竹に守られておられます。
左の服部川、穏やかそうです…
ここら辺の山側には中世寺院跡でもある「大乗寺」というお寺があったそうな。
(「野仏の道」の解説によれば、
≪大乗寺跡のふもとには「鳥居の礎石」と思われるもの、
この神社の上に「大乗寺跡」がある≫と書かれておりました。)
では、三つの磨崖碑をどうぞ~~
⑦「八幡宮岩」
⑧「太神宮岩」(ダイジングウイワ)
「寛永六年 上野宮前 太神宮・・・」などの文字が読まれるとのことですが…
⑨磨崖碑「春日宮」(マガイヒ カスガグウ)
落葉や木々を見ると、知る人ぞ知る「紅葉スポット」のようです、
今年の晩秋にでもいかがでしょ?(笑)。
そして、確かめようはありませんが、
寛永21年(正保元年、1644年)に生まれた「芭蕉さん」、
江戸など往来する時、この「伊賀街道」を通っていたはずです、
ここに建っていたであろう「上野宮」や「大乗寺」にお参りされていたのではないか?
と、勝手に想像しています…
まだ「石仏群」は続くので、今日はここまで
ではまた
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