朝から、我が鬼町の準備風景はどんなものかと偵察に…
お隣は「紺屋町」。
歴史的な流れからして「鬼面」を一番多く持つのが紺屋町。
「鬼面」はもちろん「大御幣」もここでお預かりしてもらってます。
まず、その「大御幣」が組み立て終わったところへ伺ったわけです。
(朝から、相生・紺屋・三之西の「三鬼会」町衆が手伝いに行きます)
「大御幣」は、若狭から取り寄せの高級和紙を使っているので重量感があります。
紙を迫力あるようにバラし、バランスを取っているとのこと。
「太鼓台組み立て」も同時進行。
近くの大工さんのお家では、手造り行灯。
流石丁寧に作られており、芸術作品です。
さて、こちらでは同じく「紺屋町のひょろつき鬼」演者の練習風景を…
これはね、もう「妙技」なんですよ。
練習あるのみ、決して酒に酔った千鳥足ではありません!
「役行者」さまに従っていく「鬼」であり弟子でありお付きの者
あの演技は一朝一夕にできる技ではなく、大先輩から教えられ、
なかなか真似はできなくて「手取り足取り」教えられ、お互い切磋琢磨し、
上手くいかなくても本番をこなしつつ、
子どもの健康を願って、泣いてもらわねばなりません。
そのための「妙技」だとワタシは思っています。
「釣鐘」は重い、「斧」は長くて扱い難い、
「笈持(オイモチ/相生町)」には大事な経文(経典)が入っている…コケてしまってはいけないし…
いろんな思いと動作が交錯する「ひょろつき」であります。
(2018年次の「ひょろつき鬼」風景)
現在「大御幣」はココにおわします。
「紺屋町鬼面展」に並ぶ「ほんまもんの面」です。
行列に使うのはすべて「疑似面」になります。
流石に、伊賀市や三重県に指定されている文化財なので、
これは隠さず、飾って見て頂くのが一番です。
※過去ログより「鬼面展」のこと。
一旦、ここで休憩。
お隣は「紺屋町」。
歴史的な流れからして「鬼面」を一番多く持つのが紺屋町。
「鬼面」はもちろん「大御幣」もここでお預かりしてもらってます。
まず、その「大御幣」が組み立て終わったところへ伺ったわけです。
(朝から、相生・紺屋・三之西の「三鬼会」町衆が手伝いに行きます)
「大御幣」は、若狭から取り寄せの高級和紙を使っているので重量感があります。
紙を迫力あるようにバラし、バランスを取っているとのこと。
「太鼓台組み立て」も同時進行。
近くの大工さんのお家では、手造り行灯。
流石丁寧に作られており、芸術作品です。
さて、こちらでは同じく「紺屋町のひょろつき鬼」演者の練習風景を…
これはね、もう「妙技」なんですよ。
練習あるのみ、決して酒に酔った千鳥足ではありません!
「役行者」さまに従っていく「鬼」であり弟子でありお付きの者
あの演技は一朝一夕にできる技ではなく、大先輩から教えられ、
なかなか真似はできなくて「手取り足取り」教えられ、お互い切磋琢磨し、
上手くいかなくても本番をこなしつつ、
子どもの健康を願って、泣いてもらわねばなりません。
そのための「妙技」だとワタシは思っています。
「釣鐘」は重い、「斧」は長くて扱い難い、
「笈持(オイモチ/相生町)」には大事な経文(経典)が入っている…コケてしまってはいけないし…
いろんな思いと動作が交錯する「ひょろつき」であります。
(2018年次の「ひょろつき鬼」風景)
現在「大御幣」はココにおわします。
「紺屋町鬼面展」に並ぶ「ほんまもんの面」です。
行列に使うのはすべて「疑似面」になります。
流石に、伊賀市や三重県に指定されている文化財なので、
これは隠さず、飾って見て頂くのが一番です。
※過去ログより「鬼面展」のこと。
一旦、ここで休憩。
こちらで…
ここからの引用です、あしからず。
『朝寒や白き息出す面の口』」とある。
まず「神事のねり物」とあること、ついで「面」が注目される。増長天は四天王の一つ。甲冑を身につけ、忿怒の武将形で、鉾・刀などを持つ。現在の役行者列の四天の原形ではなかろうか。ようやく鬼らしい物が登場する。」…
福居町のしるし幟山の字は芭蕉さんの字か?
https://www.ueno-tenjin-matsuri.com/onidanjiri/fukui.html
なんて記事は読みましたが、さて芭蕉さんが詠まれた句があるかどうか…聞いたことはないので、宿題ですね💦
moni5187さま、コメントありがとうございます。
上野祭りの夜店を見るのは実に47年ぶり、食べ物屋さんが目につくのは今も昔も変わらずで、
伝説の世界に旅立ったのかも知れない、射的屋さん、輪投げ屋さん、ひよこ屋さん、似顔絵屋さん、は見当たらずでした。
そして、
松尾芭蕉(1644~1694年)が活躍した時代と、上野天神祭が始まったとされる時代が、オーバーラップする事に気付きました。
※上野天神祭の公式サイト(2024年にトピックスが更新されていないのが気になります)では、
1660年に再興、(芭蕉さん16歳)、1690年に三鬼会の「役行者列」が天神祭礼に登場、(芭蕉さん46歳)
との記載があり、
芭蕉さんが、伊賀上野に在住時や帰省時に、上野祭りを詠んだ句、はあるのでしょうか?。
1672年に、29歳で上野天神宮に「貝おほひ」を奉納して江戸に旅立ったとされていますし。