![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1c/75/1d9f59f9c916d807d274ce0855f64581_s.jpg)
昭和10年~30年初頭までは存在していた「(赤い)白鳳橋」。
夢の中でこの橋は渡ることにして…
次なる目的は『伊予之丸(イヨノマル)古墳跡』。
写真再掲、旧桃青中学校北西側傾斜地辺りですが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/10/598ba497db712a4baec400ddc2276f60_s.jpg)
明治40年ごろ、伊賀上野駅に通ずる道路改修の際、古墳の副葬品が多数見つかり、
古墳群の存在はその頃から知られていたようですが、
時の流れに少し置いてけぼりだったのかもしれません。
戦後本格的に「上野市街地の台地で円墳3基確認」され、
その存在が明らかになり検証の結果、
「5世紀後半から6世紀半ば」の古墳群が形成されていたとのことです。
詳しいことは ↓ こちらで紹介されています。
※①『伊予之丸古墳』(秘蔵の国ミュージアム伊賀より)
所在地画面をクリックして、左の「使い方」を読んでいただくと使い方がわかります。
「重ね地図」で現代と古地図を比べることができます。
おおよその場所の見当がつくので地図を見る楽しさが芽生える気がします。
※②「白銅四禽鏡(ハクドウシキンキョウ)」「円筒埴輪(鹿線刻)」など。
※③「ミュージアム青山讃頌舎特別展」より『伊予之丸古墳/鹿ヘラ描き埴輪」』も掲載。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/67/67/af44f21befe4971dac0f52c5aabdf526_s.jpg)
参考QR:三重のはにわ大集合(伊予之丸古墳出土の「蓋形(キヌガサガタ)埴輪」掲載)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/bb/e24c3dd087b2e03a843aca46cbac6809_s.jpg)
次に、だんじり会館北側の細い道を東へ進むと「桃青の丘幼稚園」への進入路に出ます。
その三叉路辺りから「(伊予之丸があった)丘」北東部を見る、ここでお話を聞いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/78/fa/16796daf44489cfb54bb06205e18e74a_s.jpg)
ここは「上野台地」の北東側の端っこみたいなところです。
説明を聞いたところは、その境目で某歯科医院のあるところ、
そこから実は階段があります、かなり段数は多いです。
その階段を下りた先には『鳴鹿坂(鳴ケ坂とも)』(ナルカザカ)と呼ばれるところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/27/2568718ef0aacbec153eefe13f9d90f6_s.jpg)
白鳳通りのある北側から見たところですが、「台地の縁」の様子です。
ここでは、上野台地からの湧き水というか地下水が音をたてて流れています。
ただ「水の流れ」を見ることはできないので「音」が頼りです。
「音」を録るには「動画」がいいのですが、話し声が入っちゃったので
また改めて録りにいこうと思っています。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/22/a8/ac0085ac4a07f04c3c01bd0b766049a1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/31/65bbbd249ad578ecbe7c659521dc90ad_s.jpg)
この坂道には「うえのし」時代のマンホールがあり、
崖部分に流水計のようなものがあり、片側は竹藪。
水の流れる音がしっかり聞こえるわけです。
「伊賀上野の城下町」に入るには『上野五坂』があります。
①車坂
②赤坂
③鳴鹿坂(鳴ケ坂)
④小六坂(小田)
⑤搭西坂(幸坂町) です。
この五坂のうちの「鳴鹿坂」は知る人ぞ知る坂ですので機会があればぜひ。
この坂は、人と自転車までは通れます。
近辺の方々にとって白鳳通りのお店に行くには近道なので意外とよく利用されています。
ワタシもお散歩時に通ったりすることもあります。
さぁ、南へ向かって少々急坂を上ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/01/12/c2c08f924ecfd67add126e38dc78c45e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/81/bafbb922116febc0e7796efdffeaa8ba_s.jpg)
金網防護柵側は江戸時代に「外堀」のあったところで「下屋敷の道」となっています。
今日は、この外堀跡まで、次回には「農人町遺跡」へ。
ではまた
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