前日までの強風に湿気が飛ばされたか、と思うほどの快晴
若干のわた雲は、まさにザ・夏。
まぁ、クッキリすっきり見えた8/11の空と伊賀の東方面山並み。
ここは「西蓮寺」
滅多に行かない「墓地道」を左へ行くと、なんとそこには「池」。
右端に見える堤は山へと続く道にも見えましたが、
実際には行ってないので「未確認情報」です、あしからず…
話は戻って、
ここ長田の西蓮寺を訪れるたび必ず見る「ザ・伊賀盆地」の風景で、
その背後の山が「第二次天正伊賀の乱/比自山の決戦」のあった場所。
≪天正の乱で伊賀衆が最も果敢に戦ったところ≫です。
「ふるさと芭蕉の森公園」の『忍者の里看板』
帰宅して(昔、家人が買ったと思われる)「伊賀市史通史/古代・中世」など開けてみました。
全巻あるわけでなく、たまたま家にあるのが興味のある「中世」だっただけ…
そういえば、子どものころ「お墓参り」といえば「山登り!」だった記憶が蘇ります。
今ほど暑くないとはいえ、水筒や鎌・蚊取り線香持参、
急峻な狭い山道やら石段を登っての「墓参り」。
怠け者のワタシは心の中で「墓参り=辛い行事」と思っていたような。
今になって思えば「つわものどもが 夢の跡」のようなその山道こそ、
「比自山城跡」への道だったかも!と思えるようになりました、
高齢になってからの勉強のおかげか(笑)。
幼いワタシを連れて行った両親は亀山から来た人なので、
きっとそんな(信長による)「伊賀のツライ黒歴史」は知る由もなかったと思われますが、
焦土と化しても、見事復活させるのが伊賀の底力!
といえばそれは「伊賀人の誇り」にもなるかと。(個人の見解です)
墓参り後、今度はハハの所用で長田三軒家へブドウのお買い物、
(杖をついて歩く超高齢のハハを墓参りには連れて行かなかった💦いたし方のない判断です)
そして帰り道「西山の棚田」へ。
ではまた
若干のわた雲は、まさにザ・夏。
まぁ、クッキリすっきり見えた8/11の空と伊賀の東方面山並み。
ここは「西蓮寺」
滅多に行かない「墓地道」を左へ行くと、なんとそこには「池」。
右端に見える堤は山へと続く道にも見えましたが、
実際には行ってないので「未確認情報」です、あしからず…
話は戻って、
ここ長田の西蓮寺を訪れるたび必ず見る「ザ・伊賀盆地」の風景で、
その背後の山が「第二次天正伊賀の乱/比自山の決戦」のあった場所。
≪天正の乱で伊賀衆が最も果敢に戦ったところ≫です。
「ふるさと芭蕉の森公園」の『忍者の里看板』
帰宅して(昔、家人が買ったと思われる)「伊賀市史通史/古代・中世」など開けてみました。
全巻あるわけでなく、たまたま家にあるのが興味のある「中世」だっただけ…
そういえば、子どものころ「お墓参り」といえば「山登り!」だった記憶が蘇ります。
今ほど暑くないとはいえ、水筒や鎌・蚊取り線香持参、
急峻な狭い山道やら石段を登っての「墓参り」。
怠け者のワタシは心の中で「墓参り=辛い行事」と思っていたような。
今になって思えば「つわものどもが 夢の跡」のようなその山道こそ、
「比自山城跡」への道だったかも!と思えるようになりました、
高齢になってからの勉強のおかげか(笑)。
幼いワタシを連れて行った両親は亀山から来た人なので、
きっとそんな(信長による)「伊賀のツライ黒歴史」は知る由もなかったと思われますが、
焦土と化しても、見事復活させるのが伊賀の底力!
といえばそれは「伊賀人の誇り」にもなるかと。(個人の見解です)
墓参り後、今度はハハの所用で長田三軒家へブドウのお買い物、
(杖をついて歩く超高齢のハハを墓参りには連れて行かなかった💦いたし方のない判断です)
そして帰り道「西山の棚田」へ。
ではまた
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