柘植地区に続き、JR関西本線利用促進を含めて秋を楽しむコースでした。
ウォーキング日和の2023年11月23日(木)、JR島ヶ原駅集合。
10時前後に三々五々と集まります。おそらく70名を超す方々の参加かと…
私的に、木曜日午後の欠かせない所用を忘れて申し込んだこともあり、
昼食休憩地の「やぶっちゃ温泉」まで家人にお迎えに来てもらうという
予定外の行動もありましたが、今回の前半ウォーキングは
トレッキングポールを持参して良かったな、と思うほどの坂道コースでした💦
語り部仲間に🚙で迎えに来てもらってJR島ヶ原駅到着は10時前。
たっぷり時間があるので駅の界隈と到着列車を撮りたく散策。
「JR島ヶ原駅」にて
この日の朝は冷え込み、おそらく早朝は「雲海」が見られたと…
その名残の朝霧たなびく山裾を遠くに眺め、
加茂からの到着列車、おっつけ亀山からも到着。
加茂に行く列車を見送って、集合場所の駅前へ。
集合近くの踏切「玄土坊」とな、名前の謂れを知りたいところですね。
≪明治30年関西鉄道の停車場ができ、貨物輸送も活発になり、
耐火粘土が産出されるようになってからは牛馬車で停車場に粘土や石材が
運び込まれるように。≫
ご挨拶などもろもろ済ませ、いざ行かん。
本日のコースは、
予定コースの「芭蕉のしりもち坂」「三本松池」は省略となり、
少し残念(一人では行けないと思っていた場所なので)な思いは持ちつつも、
今日はどんな景色が待っているのか…
駅前から島ヶ原を通る「旧大和街道」に出て『旧本陣』。
≪鉄道が開通してからは、街道往来も寂れ、牛馬運搬業や旅籠屋の転業した。
一部牛馬運送に従事していた者は鉄道に就職する者も数多く、
のちに島ヶ原村は国鉄村といわれるほど就職者が多いのもこのためである≫とか。
街道を東に進むと「木津川」に出ます。
チラッと聞くところによると、旧本陣の中の「松屋」という旅籠屋は
「鍵屋の辻の仇討ち」の相手方:河合又五郎が泊まった宿だったとか。
その河合又五郎の動向を木津川の対岸から眺めていたのが荒木又右衛門一行。
ここでその対岸の川南地区を眺めますが、山に沿うように家並みが見えます、
そのどこかに隠れ潜んでいたのかと想像は膨らみますが…
当日は穏やかな日で、川の流れもゆるやか、「水鏡」絶景に見惚れておりました
さぁ、「島ヶ原大橋」を渡る、
橋の北側でも対岸の家並みがほんとに綺麗に映り、秋ならではの景色かと。
さぁ川を渡り終え、どんな坂が待っているのか…
昔の旅人に思いを馳せることにいたします。
つづく。
ウォーキング日和の2023年11月23日(木)、JR島ヶ原駅集合。
10時前後に三々五々と集まります。おそらく70名を超す方々の参加かと…
私的に、木曜日午後の欠かせない所用を忘れて申し込んだこともあり、
昼食休憩地の「やぶっちゃ温泉」まで家人にお迎えに来てもらうという
予定外の行動もありましたが、今回の前半ウォーキングは
トレッキングポールを持参して良かったな、と思うほどの坂道コースでした💦
語り部仲間に🚙で迎えに来てもらってJR島ヶ原駅到着は10時前。
たっぷり時間があるので駅の界隈と到着列車を撮りたく散策。
「JR島ヶ原駅」にて
この日の朝は冷え込み、おそらく早朝は「雲海」が見られたと…
その名残の朝霧たなびく山裾を遠くに眺め、
加茂からの到着列車、おっつけ亀山からも到着。
加茂に行く列車を見送って、集合場所の駅前へ。
集合近くの踏切「玄土坊」とな、名前の謂れを知りたいところですね。
≪明治30年関西鉄道の停車場ができ、貨物輸送も活発になり、
耐火粘土が産出されるようになってからは牛馬車で停車場に粘土や石材が
運び込まれるように。≫
ご挨拶などもろもろ済ませ、いざ行かん。
本日のコースは、
予定コースの「芭蕉のしりもち坂」「三本松池」は省略となり、
少し残念(一人では行けないと思っていた場所なので)な思いは持ちつつも、
今日はどんな景色が待っているのか…
駅前から島ヶ原を通る「旧大和街道」に出て『旧本陣』。
≪鉄道が開通してからは、街道往来も寂れ、牛馬運搬業や旅籠屋の転業した。
一部牛馬運送に従事していた者は鉄道に就職する者も数多く、
のちに島ヶ原村は国鉄村といわれるほど就職者が多いのもこのためである≫とか。
街道を東に進むと「木津川」に出ます。
チラッと聞くところによると、旧本陣の中の「松屋」という旅籠屋は
「鍵屋の辻の仇討ち」の相手方:河合又五郎が泊まった宿だったとか。
その河合又五郎の動向を木津川の対岸から眺めていたのが荒木又右衛門一行。
ここでその対岸の川南地区を眺めますが、山に沿うように家並みが見えます、
そのどこかに隠れ潜んでいたのかと想像は膨らみますが…
当日は穏やかな日で、川の流れもゆるやか、「水鏡」絶景に見惚れておりました
さぁ、「島ヶ原大橋」を渡る、
橋の北側でも対岸の家並みがほんとに綺麗に映り、秋ならではの景色かと。
さぁ川を渡り終え、どんな坂が待っているのか…
昔の旅人に思いを馳せることにいたします。
つづく。
母は相可で生まれているようで、転勤族だったのでしょう、線路のある限り三重県内あちこち移っていたと。海の傍で育ったのでカルシウムは幼いころからたっぷり摂取していたと(笑)、だから丈夫なのだと自画自賛している母も93歳になってます。
国鉄華やかなりしころの話、その程度の聞いた話しか思い出せませんが…
今晩のニュースで関西本線の赤字が大幅に増えているとチラッと耳に入りましたが、大丈夫なんでしょうか?(家事をしながらなので詳しい数字などわかる由もありませんが)
「都市部の収益で地方の分を補填」ってそれでいいんでしょうか?ちょっと心配のタネですが…
moni5187様、コメントありがとうございます。
正 '23年度は更なる増収増益の見通し
誤 かつて「国鉄村」と呼ばれたは所は
正 かつて「国鉄村」と呼ばれた所は
リーディンググラスで何度も見直したのですが、誤りがあり訂正いたします。
JR西日本の利用者も、かなり戻り'22年度は黒字回復したそうで「関西本線木津亀山間活性化」と固苦しく考えなくとも、
'23年度は更なる増益増益の見通しのようで、都市部の収益で地方の分を補填。という従来の方式で何とかなると思います。
https://toyokeizai.net/articles/-/715947?page=2
JR上場4社、通期予想に「上振れ余地」があるのは? 東洋経済ONLINE
かつて「国鉄村」と呼ばれたは所は全国各地にあって、旧の三田村や新居村界隈もその一つだったような気がします。
小学校のころ4人に1人は国鉄職員の子で、数年後に伊賀上野(駅)から乗ると、そんな子ばかりが多く乗っていました。
当時、関西本線(やま線区間)は、実は職員さんの通勤利用が多くて、車内で同窓会になった国鉄に行った旧友は、
今の時間帯に乗ってくるのは、ほとんど「テツ」(鉄道ファンではなく国鉄マンの意味)やな、と言ってましたし。
その後、JRに行かなかった方が結構いらしたようで、利用者減に繋がってしまったように思います。
旧島ヶ原村の場合は、やはり有名だったようで、実際に聞いたこともあり書籍化もされていました。
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I2546722-00
統計風土記-13-三重県・島ケ原村--"半農半鉄"の昔はいずこへ--国鉄とともに歩んだ村
現在は、Wikipediaをはじめ「鉄道村」という表現が多くなったようです。