能や歌舞伎の世界で「小鍛冶」といえば有名な演目ですが、
宗近は国宝の刀である「三日月宗近」を造り上げた人物として、
おおよそこんなかんじで表現されているかと…
『一条天皇の勅命を受けて刀を打つ際、
伏見稲荷大社の神様の狐に助けられて、
刀を造り上げることが出来た』
「当の刀【三日月宗近】」は国宝として現存しているのです。
さて、上野西部地区探訪シリーズでは、
≪菊岡如幻(じょげん)の「茅栗草子」(しばぐりぞうし) (1682 年刊) ・「伊水温故」(いすいうんご)(1687年刊)には、
「平安時代、京都の刀工三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が伊賀の清水に渡り住み、
伊賀小鍛冶となり、井水を用いて刀剣造りを営んだ≫とあります。
≪この「宗近」とは日本古刀界の第一人者で、代表作 には
国宝「三日月宗近」※・「小狐丸」(こぎつねまる)・ 「祇園祭長刀鉾(なぎなたぼこ)の鉾先 (長刀)」 等があります。
(他に伝弁慶の長刀・義経の刀等) ≫
加えて、
≪「三国地志」 (1763年、 藤堂元甫・元福(もととみ)共著)には「三条宗近が島ヶ原で生まれ 音羽にも住す」とあり、
「本朝鍛冶考」 (1796 年、鎌田魚妙著)では
「1300年代に宗近やその子が音羽に住した」ともあります。
果して、これらの叙述を繋ぎ合わせると、一体どのような史実が現れるのでしょうか。≫と。
あくまでも、そうかもしれない、そうであってほしい「伝説」がここ「清水谷」には残っている、
「三条小鍛冶宗近」と「伊賀小鍛冶」が同一人物なのかどうかは、
タイムスリップでもしない限り永遠の謎……
そして、上野城天守閣には、
≪「伊賀國宗近 (音羽住)」銘の脇差 (三重県指定文化財・1504 年作)が展示されている。≫とか、
これは「緊急事態宣言」が解除されたら、見に行こうと思っています。
「探訪シリーズ」のレポートを借りて文献などの紹介になりましたが、
ワタシはこの「三条小鍛冶宗近」が島ケ原に生まれ、
音羽に住んでいたかもしれない、という伝説の残る場所へ行ってみたい!
という好奇心で猪突猛進です(笑)。(訪問日:2021/9/16)
「上野西部地区・探訪レポートNo16」裏面
これらの写真を参考にしながら「伝説」を追いかけます。
いろんな人にお世話になり、そして教えられ、辿る楽しさもありました。
但し、この写真がなければワタシ一人ではどこへも行けなかった
では、生まれたかもしれない「島ケ原編」。
出発は「清水谷」から、
旧街道長田地区を通りますが、国道への合流地点で『橋本地蔵』様にご面会。(これはまた後日)
島ケ原での目的地は、「正月堂の近く」らしい、ということなので、
正月堂の駐車場辺りで尋ねました、が
「地元の人間やのに、知らなくてごめんね」とのこと。
何となく正月堂近くを歩いて回りましたが、見つけたのは
「島ケ原奥村の五輪塔石仏」
この五輪塔石仏のある所から「南山城・道の駅」へ道はつながっているし、
気になる場所もあったので、遠回りも覚悟しつつ、「島ケ原支所」を目指します。
寄り道先は「ココ」☟
『2021/8/13ブログより抜粋
島ケ原辺り、大和高原~室生火山帯、南山城村側の工事現場
全体が良く見えるので、通るたび現場の規模が大きくなっていくのがわかります、
一体何ができるのでしょうか?
(163号線ではダンプなどは通っていますが工事の様子は見えない現場です )』
まさにその工事現場が「ココ」☟
納得の現場でした
この写真の右に見えるのが「三国越林道」が通る山並み。
国道163号線に出て、島ケ原の旧道(大和街道)沿いにある「島ケ原支所」。
ここで数人の職員さんに写真を見てもらいつつ、こんな「お堂」を探しています、と。
あそこかここかといろいろ話し合いながら、
熱心に「島ケ原の風景」を思い浮かべてくださり、
「この写真には獣害対策用の『柵』が写っているから、大道のココしかない!」と。
多分、きっと、ココだと思う!という場所をスマホの google map で教えていただき、
「赤い目印を目当てに経路探索して気を付けて行ってください」と…
本当に親切に探していただき、職員のみなさまに感謝感謝です。
google navi 通り進むと、確かに「正月堂」の手前の道を「山」に向かう、
道は細くなり、その先「林道」っぽいけど、まだ進むのか?
不安になりながらも走ること支所から10分ほど、(意外と近い?)
感動
島ケ原大道「南無地蔵尊」
本当は、「お堂の前」まで行きたかったのですが、上に上ろうとすると
「獣害柵の警報機が鳴る」のです、ワタシは猪か鹿と間違われそうなので諦めました 。
ココに見える林道をそのまま進むと「三国越林道」に入ります…
ちょっとオーバーな表現ですが、いろんな方にお世話になりつつ辿り着いた「地蔵尊」、
「刀工三条宗近」さんがここで生まれた(かもしれない)伝説の場所、
伊賀上野城下町の西の端の「清水谷」を出発して、ココに来れたこと、素直に嬉しい。
その帰り道、可愛いお地蔵様に会いました、
名前はない…
こうやって、見守ってくれるのが「お地蔵様」ですね。
今日(2021/9/19)は「お彼岸の入り」なので、こんな風景を~~
木興の田園~~
では、次回は「音羽編」。
宗近は国宝の刀である「三日月宗近」を造り上げた人物として、
おおよそこんなかんじで表現されているかと…
『一条天皇の勅命を受けて刀を打つ際、
伏見稲荷大社の神様の狐に助けられて、
刀を造り上げることが出来た』
「当の刀【三日月宗近】」は国宝として現存しているのです。
さて、上野西部地区探訪シリーズでは、
≪菊岡如幻(じょげん)の「茅栗草子」(しばぐりぞうし) (1682 年刊) ・「伊水温故」(いすいうんご)(1687年刊)には、
「平安時代、京都の刀工三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が伊賀の清水に渡り住み、
伊賀小鍛冶となり、井水を用いて刀剣造りを営んだ≫とあります。
≪この「宗近」とは日本古刀界の第一人者で、代表作 には
国宝「三日月宗近」※・「小狐丸」(こぎつねまる)・ 「祇園祭長刀鉾(なぎなたぼこ)の鉾先 (長刀)」 等があります。
(他に伝弁慶の長刀・義経の刀等) ≫
加えて、
≪「三国地志」 (1763年、 藤堂元甫・元福(もととみ)共著)には「三条宗近が島ヶ原で生まれ 音羽にも住す」とあり、
「本朝鍛冶考」 (1796 年、鎌田魚妙著)では
「1300年代に宗近やその子が音羽に住した」ともあります。
果して、これらの叙述を繋ぎ合わせると、一体どのような史実が現れるのでしょうか。≫と。
あくまでも、そうかもしれない、そうであってほしい「伝説」がここ「清水谷」には残っている、
「三条小鍛冶宗近」と「伊賀小鍛冶」が同一人物なのかどうかは、
タイムスリップでもしない限り永遠の謎……
そして、上野城天守閣には、
≪「伊賀國宗近 (音羽住)」銘の脇差 (三重県指定文化財・1504 年作)が展示されている。≫とか、
これは「緊急事態宣言」が解除されたら、見に行こうと思っています。
「探訪シリーズ」のレポートを借りて文献などの紹介になりましたが、
ワタシはこの「三条小鍛冶宗近」が島ケ原に生まれ、
音羽に住んでいたかもしれない、という伝説の残る場所へ行ってみたい!
という好奇心で猪突猛進です(笑)。(訪問日:2021/9/16)
「上野西部地区・探訪レポートNo16」裏面
これらの写真を参考にしながら「伝説」を追いかけます。
いろんな人にお世話になり、そして教えられ、辿る楽しさもありました。
但し、この写真がなければワタシ一人ではどこへも行けなかった
では、生まれたかもしれない「島ケ原編」。
出発は「清水谷」から、
旧街道長田地区を通りますが、国道への合流地点で『橋本地蔵』様にご面会。(これはまた後日)
島ケ原での目的地は、「正月堂の近く」らしい、ということなので、
正月堂の駐車場辺りで尋ねました、が
「地元の人間やのに、知らなくてごめんね」とのこと。
何となく正月堂近くを歩いて回りましたが、見つけたのは
「島ケ原奥村の五輪塔石仏」
この五輪塔石仏のある所から「南山城・道の駅」へ道はつながっているし、
気になる場所もあったので、遠回りも覚悟しつつ、「島ケ原支所」を目指します。
寄り道先は「ココ」☟
『2021/8/13ブログより抜粋
島ケ原辺り、大和高原~室生火山帯、南山城村側の工事現場
全体が良く見えるので、通るたび現場の規模が大きくなっていくのがわかります、
一体何ができるのでしょうか?
(163号線ではダンプなどは通っていますが工事の様子は見えない現場です )』
まさにその工事現場が「ココ」☟
納得の現場でした
この写真の右に見えるのが「三国越林道」が通る山並み。
国道163号線に出て、島ケ原の旧道(大和街道)沿いにある「島ケ原支所」。
ここで数人の職員さんに写真を見てもらいつつ、こんな「お堂」を探しています、と。
あそこかここかといろいろ話し合いながら、
熱心に「島ケ原の風景」を思い浮かべてくださり、
「この写真には獣害対策用の『柵』が写っているから、大道のココしかない!」と。
多分、きっと、ココだと思う!という場所をスマホの google map で教えていただき、
「赤い目印を目当てに経路探索して気を付けて行ってください」と…
本当に親切に探していただき、職員のみなさまに感謝感謝です。
google navi 通り進むと、確かに「正月堂」の手前の道を「山」に向かう、
道は細くなり、その先「林道」っぽいけど、まだ進むのか?
不安になりながらも走ること支所から10分ほど、(意外と近い?)
感動
島ケ原大道「南無地蔵尊」
本当は、「お堂の前」まで行きたかったのですが、上に上ろうとすると
「獣害柵の警報機が鳴る」のです、ワタシは猪か鹿と間違われそうなので諦めました 。
ココに見える林道をそのまま進むと「三国越林道」に入ります…
ちょっとオーバーな表現ですが、いろんな方にお世話になりつつ辿り着いた「地蔵尊」、
「刀工三条宗近」さんがここで生まれた(かもしれない)伝説の場所、
伊賀上野城下町の西の端の「清水谷」を出発して、ココに来れたこと、素直に嬉しい。
その帰り道、可愛いお地蔵様に会いました、
名前はない…
こうやって、見守ってくれるのが「お地蔵様」ですね。
今日(2021/9/19)は「お彼岸の入り」なので、こんな風景を~~
木興の田園~~
では、次回は「音羽編」。
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