元町の野菜産直のお店で、セリが売られていました。懐かしいセリご飯の香りが 思い出されて買い求めました。
私が小学校三年の時、当時福岡市内から 大牟田線で15分位の片田舎に引っ越しました。
父が経営していた、菜種を原料とした食用油を製造する 小さな町工場に続く住宅でした。
周りは殆どが田圃と畑で、油の原材料の菜の花と麦畑が広がる 筑紫平野です。
今頃の時期、学校帰りの田の畔に 田セリが沢山 生えていて始めて食べたセリご飯が すっかり気に入り 母に度々「セリご飯を作って・・」とねだりました。
母は「花てぼ」と言う小さな籠と、竹のへらを出してくれて妹を連れて 菜摘みに出掛けました。
畦道の横を流れる小さな用水は、とても奇麗で流れがキラキラしていたのを 思い出します。
採ってきたセリは井戸端で奇麗に洗い、ざるに上げて母に渡すまでが 私の仕事でした。
後に、この籠は八女の特産であることを知りました。今でも作られている様です。
遠い懐かしい 思い出です。
花材 ・菜の花 ・つばき
花器 ・織部創作花器 (山田修作)
私が小学校三年の時、当時福岡市内から 大牟田線で15分位の片田舎に引っ越しました。
父が経営していた、菜種を原料とした食用油を製造する 小さな町工場に続く住宅でした。
周りは殆どが田圃と畑で、油の原材料の菜の花と麦畑が広がる 筑紫平野です。
今頃の時期、学校帰りの田の畔に 田セリが沢山 生えていて始めて食べたセリご飯が すっかり気に入り 母に度々「セリご飯を作って・・」とねだりました。
母は「花てぼ」と言う小さな籠と、竹のへらを出してくれて妹を連れて 菜摘みに出掛けました。
畦道の横を流れる小さな用水は、とても奇麗で流れがキラキラしていたのを 思い出します。
採ってきたセリは井戸端で奇麗に洗い、ざるに上げて母に渡すまでが 私の仕事でした。
後に、この籠は八女の特産であることを知りました。今でも作られている様です。
遠い懐かしい 思い出です。
花材 ・菜の花 ・つばき
花器 ・織部創作花器 (山田修作)