弘法大師
Fujinon 50mm f1.4(M42)は、FUJICA ST701の標準レンズとして1970年から販売されたレンズで、EBCコーティングになる前のレンズ。開放測光になる前のレンズなので、爪がなくそのままM42マウントとして昔のPENTAXと併用できる。世の中ではこのレンズの後に販売されたEBC(エレクトリックビームコーティング)コーティングされたレンズの方が有名で評価されているのだが、私はややコントラストの低い旧型の50mmの方が好み。同時期に販売された55mm f1.8もあるのだが、開放での描写は両方とも似ていて柔らかくハイライトが滲む。
多層コーティングは今の時代は当たり前なのだが、私はどちらかというと昔の単層コーティングの方が好き。逆光など条件の悪い場合のフレアーはちゃんとハレ切りすれば使える。ゴーストやフレアーが出にくいレンズはレンズ設計者として今では必然なのだろうが、私にはそんなレンズで撮れた写真は写真らしく見えない。それをわかっているメーカーは、日本ではコシナだけ。そういう意味でも昔の古いレンズはもう絶対に作れないので、私にとって古いレンズはお宝なのだ。古いレンズをデジタルカメラで使う場合、露出はややアンダーで撮影し、あとで自分好みに明るさを変える方が結果が良い場合が多い。
ハッキリクッキリ収差無しの優等生レンズが仮にあるとすれば、それを人に例えると欠点の無いすべてが完璧な人間のようなもの、そんな人がもし居たら、きっと会っても面白くもないだろう。ジャンルにもよるが、音だって同じでCDの音がすべて良いと思った事はない。
世の中は解像力がどうだとか、MTF曲線がどうだとか騒いでいる人達は、レンズ性能を数値でしか見てない人達なので私は無視。全員ではないだろうが、そんな人達は撮った写真をPCで拡大してアラをさがすだけで、プリントして写真を見てない人がほとんど。
ネットの情報や写真雑誌の評価をそのまま鵜呑みにする人たちが、日本と中国には多すぎる。特に中国は誰でもレンズ交換出来るカメラを買えるようになったのは10年くらい前からなので、日本のカメラ雑誌の翻訳本やネットの情報が伝言ゲームのように拡散している。なので、日本の有名な写真家が言っていたと前置きして、レンズの話をする中古カメラ屋も多いし、プロでもちゃんと前置きして話す人はまだマシで、なかには雑誌に書かれている言葉をそのまま使って話す奴もけっこういるから笑える。
☆「アートは目で評価するのであって、耳で評価するものではない」と大昔の中国人が言った言葉は、岡倉天心の「茶の本」の中に出てくる一節だが、これは世の中すべての事に当てはまる。
最近は感度を上げてもノイズが少ないのでISO AUTOが標準設定
善通寺内にある古い方の五百羅漢
黄変していたFujinon 50mm f1.4は本日UV照射24時間経過し、約40年前の状態に蘇った。今回はX-T1で使用したのだが、次回はフルサイズのカメラで使ってみたいお気に入りレンズ。
最近のミラーレスカメラはピーキング機能があるので、MFで開放で撮っても安心だしピント合わせが楽しい。それと、昨年のファームウェアアップデートでX-T1は電子シャッター1/32000secが使えるようになったので、NDフィルターを持ち歩かなくてよいので楽。高感度のノイズレスも含めて、こんな事は10年前だと想像もつかなかった。
Fujinon 50mm f1.4 X-T1