前回(→こちら)の続き。
年間の成績優秀者8人しか出場できない「ATPツアーファイナルズ」で、見事アンディー・マレーを破った錦織圭。
この歴史的大勝利(というフレーズを、もう何度彼に使ったことだろう)もさることながら、そのことを極めてクールに受け取っている錦織君もすごい。
彼にとって、トップ選手に勝つことは、もうそれだけで満足していいレベルにはないのだ。
だがもちろん、見ているこっちはそんなあっさりしたもんじゃない。
正直なところ、いまだ錦織圭の飛躍について行けていない私は、勝った! 勝った! と真夜中に大騒ぎ。
日本人がこの最終戦に出てるなんて、しかもそこでマレーに勝つなんて、こんなことがあっていいのだろうかと唖然茫然。
どこまで行ってしまうんだろうなあ、この男は。すごいことしやがるぜ。
私はオリンピックのメダルやノーベル賞とかのニュースを見ても、あんまし「日本人の誇り」みたいな気分にはならないタイプなんだけど、圭君に関しては例外かもなあ。
なんかもう、泣きそうになってきたよ。
私は以前も書いたが、錦織君に関しては、ある時期からさほどまなじりを決して見ることはなくなってきた。
トップ100に入って、ソニー・エリクソン・オープンで優勝して、松岡さんの日本人最高ランキング46位を更新。
団体戦のデビスカップでも単複大車輪で戦い、悲願のワールドグループ入りの原動力に。グランドスラム大会でシードがつくようになったのは、3年ほど前のことだったか。
テニスファンは
「すごいぞ、圭ならもしかしたらトップ10プレーヤーに、いやもしかしたらグランドスラム大会の決勝の舞台にすら立てるかもしれない」
色めき立ったが、この辺りで私は、彼に関してはそれ以上の活躍を求める気にはなれなかったものだ。
といっても、別に
「錦織なんて、もうそれ以上、上に行くは無理だよ」
なんて斜に構えていたわけでも、
「期待してかなえられなかったら悲しいから、最初からハードルを下げておこう」
などと予防線を張っていたわけでもない。
というよりも、あまりにも彼のやったことがすごすぎて、行ききり過ぎて、逆に冷静にさせられてしまうというか。
今まで20年近く男子テニスを応援してきた身には、しみじみ実感する。テニスを知らない人にはピンと来なくても、上記の錦織君の戦績というのは、歴史的に見ても、これはもう信じられないくらいの大快挙の連続だ。
野球やサッカー、水泳や体操など、多くの競技で日本人が活躍する中、男子テニスだけは戦前の黄金時代以降は、あやうく100年にも届こうかというくらいの、長い長い低迷期があった。
多くの日本男子にとって、世界ランキング100以内に入ることは厚い厚い壁で、グランドスラム大会も上位進出どころか、予選を突破できたら大戦果。
その苦しさは、今年のウィンブルドンで予選を突破した杉田祐一選手(インターハイ優勝、全日本選手権V2の実績)が、実に18回目のグランドスラム予選トライの末たどり着いたものといえば、世界レベルのテニスの厳しさがわかろうというもの。
そこを18歳のデビュー以来、次々とその壁をクリア。
それどころか、その後も勢いはとどまることを知らず、デビスカップでは2連覇中のチェコにこそ敗れたもののベスト8。
苦手といわれたクレーコートでの優勝、ついにはトップ10入りを決めたかと思えば、なんとUSオープン準優勝という冗談みたいなことをやってのけてしまう。
いや、これはなかばマジで、決勝戦のセンターコートに現れた彼の姿を見て、
「え? これってギャグ?」
って思いましたもん。
グランドスラム大会の最終日に日本人選手が残っている。長らくフェデラーやナダル、ジョコビッチといった選ばれし者しか立つことが許されなかった舞台に。
なんなんだこの光景は。もしかして一応中学2年生の河川唯ちゃんが昼休みに見ていた長い長い白昼夢か、はたまた壮大なドッキリか。
マヌケなことに、いまだ、あれが現実の出来事だと実感できていないのだ。
そうして、ついには最終戦にまで選ばれることに。こんなん見せられたら、テレビとかネットなんかによくある、
「ケガが多いよ、喝!」
「テレビ放映すると、負けるんだよな」
「全米の決勝は全然たいしたことなかったな」
なんてことは、あんまし言う気にはなれないんだ。
だって、もうすでに錦織圭はどえらいことをやってのけてるんだよ。しかも、我々が想像したり期待したことの100倍くらいに、ありえないことを。
そこまで登りつめたのに、それ以上のことができなかったからって「ふがいない」とは、あんまし思えない。
変な例えだけど、家の庭から油田が出てきたのに、
「なんで温泉もわいてこないんだ。喝だよ!」
「サウジアラビアと比べたらたいしたことない、しっかりしろよ」
なんてこと、人はたぶん言わないじゃん。それみたいなものというか。
だから、錦織圭の活躍に関してはデ杯ベスト8くらいで
「ごちそうさまでした、ありがとうございます、充分満足させていただきました」
とお腹いっぱい状態。
あとは、負けてもいいわけじゃないけど、結果が出せなくても一喜一憂しない。もし勝てたら、あとは得するだけの「ボーナスゲーム」ととらえて応援することにした。
ところがどっこい。この錦織圭という男は、私のような「並の幸せ」(といっても充分たいしたもんなんだゼ)でおさまっている器の小さい男とは才能も心持ちも違った。
テニス人生のマックスとも思われた全米決勝後も、燃えつきることなくマレーシアとジャパンオープンで優勝し、そうしてついには最終戦でもマレーに完勝。
まいりました。シャッポを脱ぎます。錦織君、あなたは私が思ってるよりも全然突き抜けてます。どこまで行くのか、想像もつかない。
「ボーナスゲーム」どころか、私の想定したゴールが下手すると「前振り」くらいのものなのか。なんか、そうなっても今さら驚きもしないよ。
いやホント、これから世代交代が進んで、今のテニスを2,3年維持できたら、本当にグランドスラム優勝をねらえるかもだ。
ほんの数年前は、まだそういうのは「リップサービス」ではあったが、もう錦織圭はすでにして我々の想定などはるかに越えた次元で戦っている。
本田や香川、羽生結弦や内村航平もすごいけど、錦織圭だって負けてないんだぜ!
もう一度言うが、本当にどこまで行ってしまうのか、この男は。
もし彼がこの勢いで最終戦の優勝を果たしたとしても、それほど驚かないくらいの準備はしておいたほうがいいかもしれない。
そんな夢物語的妄想すらふくらましてくれる。それが今の錦織圭がいる場所なのだ。
(続く【→こちら】)
年間の成績優秀者8人しか出場できない「ATPツアーファイナルズ」で、見事アンディー・マレーを破った錦織圭。
この歴史的大勝利(というフレーズを、もう何度彼に使ったことだろう)もさることながら、そのことを極めてクールに受け取っている錦織君もすごい。
彼にとって、トップ選手に勝つことは、もうそれだけで満足していいレベルにはないのだ。
だがもちろん、見ているこっちはそんなあっさりしたもんじゃない。
正直なところ、いまだ錦織圭の飛躍について行けていない私は、勝った! 勝った! と真夜中に大騒ぎ。
日本人がこの最終戦に出てるなんて、しかもそこでマレーに勝つなんて、こんなことがあっていいのだろうかと唖然茫然。
どこまで行ってしまうんだろうなあ、この男は。すごいことしやがるぜ。
私はオリンピックのメダルやノーベル賞とかのニュースを見ても、あんまし「日本人の誇り」みたいな気分にはならないタイプなんだけど、圭君に関しては例外かもなあ。
なんかもう、泣きそうになってきたよ。
私は以前も書いたが、錦織君に関しては、ある時期からさほどまなじりを決して見ることはなくなってきた。
トップ100に入って、ソニー・エリクソン・オープンで優勝して、松岡さんの日本人最高ランキング46位を更新。
団体戦のデビスカップでも単複大車輪で戦い、悲願のワールドグループ入りの原動力に。グランドスラム大会でシードがつくようになったのは、3年ほど前のことだったか。
テニスファンは
「すごいぞ、圭ならもしかしたらトップ10プレーヤーに、いやもしかしたらグランドスラム大会の決勝の舞台にすら立てるかもしれない」
色めき立ったが、この辺りで私は、彼に関してはそれ以上の活躍を求める気にはなれなかったものだ。
といっても、別に
「錦織なんて、もうそれ以上、上に行くは無理だよ」
なんて斜に構えていたわけでも、
「期待してかなえられなかったら悲しいから、最初からハードルを下げておこう」
などと予防線を張っていたわけでもない。
というよりも、あまりにも彼のやったことがすごすぎて、行ききり過ぎて、逆に冷静にさせられてしまうというか。
今まで20年近く男子テニスを応援してきた身には、しみじみ実感する。テニスを知らない人にはピンと来なくても、上記の錦織君の戦績というのは、歴史的に見ても、これはもう信じられないくらいの大快挙の連続だ。
野球やサッカー、水泳や体操など、多くの競技で日本人が活躍する中、男子テニスだけは戦前の黄金時代以降は、あやうく100年にも届こうかというくらいの、長い長い低迷期があった。
多くの日本男子にとって、世界ランキング100以内に入ることは厚い厚い壁で、グランドスラム大会も上位進出どころか、予選を突破できたら大戦果。
その苦しさは、今年のウィンブルドンで予選を突破した杉田祐一選手(インターハイ優勝、全日本選手権V2の実績)が、実に18回目のグランドスラム予選トライの末たどり着いたものといえば、世界レベルのテニスの厳しさがわかろうというもの。
そこを18歳のデビュー以来、次々とその壁をクリア。
それどころか、その後も勢いはとどまることを知らず、デビスカップでは2連覇中のチェコにこそ敗れたもののベスト8。
苦手といわれたクレーコートでの優勝、ついにはトップ10入りを決めたかと思えば、なんとUSオープン準優勝という冗談みたいなことをやってのけてしまう。
いや、これはなかばマジで、決勝戦のセンターコートに現れた彼の姿を見て、
「え? これってギャグ?」
って思いましたもん。
グランドスラム大会の最終日に日本人選手が残っている。長らくフェデラーやナダル、ジョコビッチといった選ばれし者しか立つことが許されなかった舞台に。
なんなんだこの光景は。もしかして一応中学2年生の河川唯ちゃんが昼休みに見ていた長い長い白昼夢か、はたまた壮大なドッキリか。
マヌケなことに、いまだ、あれが現実の出来事だと実感できていないのだ。
そうして、ついには最終戦にまで選ばれることに。こんなん見せられたら、テレビとかネットなんかによくある、
「ケガが多いよ、喝!」
「テレビ放映すると、負けるんだよな」
「全米の決勝は全然たいしたことなかったな」
なんてことは、あんまし言う気にはなれないんだ。
だって、もうすでに錦織圭はどえらいことをやってのけてるんだよ。しかも、我々が想像したり期待したことの100倍くらいに、ありえないことを。
そこまで登りつめたのに、それ以上のことができなかったからって「ふがいない」とは、あんまし思えない。
変な例えだけど、家の庭から油田が出てきたのに、
「なんで温泉もわいてこないんだ。喝だよ!」
「サウジアラビアと比べたらたいしたことない、しっかりしろよ」
なんてこと、人はたぶん言わないじゃん。それみたいなものというか。
だから、錦織圭の活躍に関してはデ杯ベスト8くらいで
「ごちそうさまでした、ありがとうございます、充分満足させていただきました」
とお腹いっぱい状態。
あとは、負けてもいいわけじゃないけど、結果が出せなくても一喜一憂しない。もし勝てたら、あとは得するだけの「ボーナスゲーム」ととらえて応援することにした。
ところがどっこい。この錦織圭という男は、私のような「並の幸せ」(といっても充分たいしたもんなんだゼ)でおさまっている器の小さい男とは才能も心持ちも違った。
テニス人生のマックスとも思われた全米決勝後も、燃えつきることなくマレーシアとジャパンオープンで優勝し、そうしてついには最終戦でもマレーに完勝。
まいりました。シャッポを脱ぎます。錦織君、あなたは私が思ってるよりも全然突き抜けてます。どこまで行くのか、想像もつかない。
「ボーナスゲーム」どころか、私の想定したゴールが下手すると「前振り」くらいのものなのか。なんか、そうなっても今さら驚きもしないよ。
いやホント、これから世代交代が進んで、今のテニスを2,3年維持できたら、本当にグランドスラム優勝をねらえるかもだ。
ほんの数年前は、まだそういうのは「リップサービス」ではあったが、もう錦織圭はすでにして我々の想定などはるかに越えた次元で戦っている。
本田や香川、羽生結弦や内村航平もすごいけど、錦織圭だって負けてないんだぜ!
もう一度言うが、本当にどこまで行ってしまうのか、この男は。
もし彼がこの勢いで最終戦の優勝を果たしたとしても、それほど驚かないくらいの準備はしておいたほうがいいかもしれない。
そんな夢物語的妄想すらふくらましてくれる。それが今の錦織圭がいる場所なのだ。
(続く【→こちら】)