前回(→こちら)の続き。
ATPツアーファイナルズ2014で、日本の錦織圭がダビド・フェレールを破った。
これで準決勝に進出する可能性は相当に高い。えらいことになった。とんでもない快挙だ。すごい、おそるべし錦織圭の才能!
そう手放しでよろこんでいいはずなのだが、どういうわけか、マッチポイントが決まった瞬間から、私は少しばかり脱力してしまっている。
先日も書いたが、正直なところ私は今の錦織君の躍進と成長についていけていない。
ランキングで20位以内に定着して、デ杯でベスト8に入ったくらいまでかなあ。それなりに等速度でウォッチできたのは。
マイケル・チャンがコーチになったくらいからか、なんか速度感覚が変わってきたのは。
きびしいトレーニングでみるみるたくましくなって、2014年に入ってからはオーストラリアン・オープンでベスト16入りして、ナダル戦も敗れたとはいえ内容的には熱戦だった。
クレーシーズンでは大爆発して、マドリードではあのナダルをクレーコートであわや圧勝かというところまで追いつめた。
ランキングもトップ10に入って、ここくらいからかなあ、彼の活躍に現実感がなくなってきたのは。
とどめがUSオープンの決勝進出。これも前に書いたけど、アレはホント、ちっとも現実の出来事とは思えなかった。
なんの冗談かと、何度も何度もほほをつねったよ。いや、これは私だけじゃなくて、日本中のテニスファンがそうだったと思う。
なんか、あの瞬間やなあ、錦織圭が現実から伝説になったのは。
それまで錦織君は、変な言い方だが「テニスファンのもの」だった。
イチローや香川真司といった誰でも知ってる名前じゃなくて、テニスがなぜかマイナースポーツである日本では、知る人ぞ知るだけどすごいんだぜと。
みんなは試合を見たことはないだろうけど、いつかきっとでかいことを成し遂げて、テニスのおもしろさとすばらしさを皆に教えてくれる。
彼ならきっと、テニスをメジャースポーツにしてくれるという期待と夢があった。玄人のテニス好きが、ひそかにではあるが大きく誇りに思っている。そういう存在だった。
でも、あの全米決勝進出以来、きっと彼はそんな枠にはおさまらなくなってしまったのだ。
あの大会でラオニッチに勝ったときは、まだ彼は「我々のもの」だった。だが、バブリンカに勝ったところでは、すでに彼はもう「日本人全員のもの」になっていたんだ。
たぶん、そのパラダイムシフトにまだ慣れていないのだ。「朝目が覚めたら有名になっていた」という言葉があるが、まさにそんな感じ。
あの夏の日以来、彼はテニスファンという一部のではなく、日本人の共通項になった。きっとそのことに「ついて行けてない」のだ。
なんだか、それまでも新幹線くらいの速さで「すごいスピードや」と感嘆していたのが、名古屋あたりから急に第1宇宙速度を超えたみたいな。
ギュン! って衝撃を感じて、そろそろ静岡かと思ってたら、外見たら衛星軌道を回ってたみたいな。え? なんで宇宙にいてるの? 地球はいずこ? みたいな。
そんな不思議な感じなんだ。
だからなんか、この錦織君の快挙にもうまい言葉が出てこない。
すごいことなんである。快挙だ、奇跡だ、いや違う、奇跡なんかじゃない。これはまごうことなき錦織圭の実力だ。そのことはよくわかる。
でも、やっぱりうまく言葉にできない。
なんせ、静岡かと思ったら、宇宙だもんなあ。しかも、そこで終わりではなくて、さらにどんどん速度を上げて飛んでいく。
光の速さで。このまま果てまで突き抜けるんじゃないのかしらん。
なので、なんだかまとまりもないまま、ただ手なりでキーボードを打っているところです。今回はオチがないなあ。
そういえば、勝利を決めた後、勝者のお約束であるカメラのレンズにサインした言葉が良かったネ。
錦織君はたぶん「kei nishikori」と書いたその下に、こう加えたのだ。
「いえい!」
ひらがなでだ。日本のテニス界を大変動させ、今や世界をも揺るがす大仕事をやってのけた後なのに、なんともかわいらしいではないか。
流行るかもな。だから私も、とりあえずは宇宙にいることをオタオタせずに、ミーハー気分でVサインでもして、呑気によろこんでおくのが正解なのかもしれない。
いえい
ATPツアーファイナルズ2014で、日本の錦織圭がダビド・フェレールを破った。
これで準決勝に進出する可能性は相当に高い。えらいことになった。とんでもない快挙だ。すごい、おそるべし錦織圭の才能!
そう手放しでよろこんでいいはずなのだが、どういうわけか、マッチポイントが決まった瞬間から、私は少しばかり脱力してしまっている。
先日も書いたが、正直なところ私は今の錦織君の躍進と成長についていけていない。
ランキングで20位以内に定着して、デ杯でベスト8に入ったくらいまでかなあ。それなりに等速度でウォッチできたのは。
マイケル・チャンがコーチになったくらいからか、なんか速度感覚が変わってきたのは。
きびしいトレーニングでみるみるたくましくなって、2014年に入ってからはオーストラリアン・オープンでベスト16入りして、ナダル戦も敗れたとはいえ内容的には熱戦だった。
クレーシーズンでは大爆発して、マドリードではあのナダルをクレーコートであわや圧勝かというところまで追いつめた。
ランキングもトップ10に入って、ここくらいからかなあ、彼の活躍に現実感がなくなってきたのは。
とどめがUSオープンの決勝進出。これも前に書いたけど、アレはホント、ちっとも現実の出来事とは思えなかった。
なんの冗談かと、何度も何度もほほをつねったよ。いや、これは私だけじゃなくて、日本中のテニスファンがそうだったと思う。
なんか、あの瞬間やなあ、錦織圭が現実から伝説になったのは。
それまで錦織君は、変な言い方だが「テニスファンのもの」だった。
イチローや香川真司といった誰でも知ってる名前じゃなくて、テニスがなぜかマイナースポーツである日本では、知る人ぞ知るだけどすごいんだぜと。
みんなは試合を見たことはないだろうけど、いつかきっとでかいことを成し遂げて、テニスのおもしろさとすばらしさを皆に教えてくれる。
彼ならきっと、テニスをメジャースポーツにしてくれるという期待と夢があった。玄人のテニス好きが、ひそかにではあるが大きく誇りに思っている。そういう存在だった。
でも、あの全米決勝進出以来、きっと彼はそんな枠にはおさまらなくなってしまったのだ。
あの大会でラオニッチに勝ったときは、まだ彼は「我々のもの」だった。だが、バブリンカに勝ったところでは、すでに彼はもう「日本人全員のもの」になっていたんだ。
たぶん、そのパラダイムシフトにまだ慣れていないのだ。「朝目が覚めたら有名になっていた」という言葉があるが、まさにそんな感じ。
あの夏の日以来、彼はテニスファンという一部のではなく、日本人の共通項になった。きっとそのことに「ついて行けてない」のだ。
なんだか、それまでも新幹線くらいの速さで「すごいスピードや」と感嘆していたのが、名古屋あたりから急に第1宇宙速度を超えたみたいな。
ギュン! って衝撃を感じて、そろそろ静岡かと思ってたら、外見たら衛星軌道を回ってたみたいな。え? なんで宇宙にいてるの? 地球はいずこ? みたいな。
そんな不思議な感じなんだ。
だからなんか、この錦織君の快挙にもうまい言葉が出てこない。
すごいことなんである。快挙だ、奇跡だ、いや違う、奇跡なんかじゃない。これはまごうことなき錦織圭の実力だ。そのことはよくわかる。
でも、やっぱりうまく言葉にできない。
なんせ、静岡かと思ったら、宇宙だもんなあ。しかも、そこで終わりではなくて、さらにどんどん速度を上げて飛んでいく。
光の速さで。このまま果てまで突き抜けるんじゃないのかしらん。
なので、なんだかまとまりもないまま、ただ手なりでキーボードを打っているところです。今回はオチがないなあ。
そういえば、勝利を決めた後、勝者のお約束であるカメラのレンズにサインした言葉が良かったネ。
錦織君はたぶん「kei nishikori」と書いたその下に、こう加えたのだ。
「いえい!」
ひらがなでだ。日本のテニス界を大変動させ、今や世界をも揺るがす大仕事をやってのけた後なのに、なんともかわいらしいではないか。
流行るかもな。だから私も、とりあえずは宇宙にいることをオタオタせずに、ミーハー気分でVサインでもして、呑気によろこんでおくのが正解なのかもしれない。
いえい