斎藤美奈子『男性誌探訪』でわかる、「男って、ホントは女にこう思われてるよ」の恐怖

2016年09月20日 | 
 斎藤美奈子『男性誌探訪』を読む。

 斎藤さんといえば、『文章読本さん江』で第1回小林秀雄賞を受賞し一気に名をあげたが、私は彼女のファンであり、出ている本はこれまでだいたい読んでいる。

 その理知的な分析力でもって、ときには切れ味鋭く、ときにはぐうの音も出なくなるほどのミもフタもないボキャブラリーで「急所に蹴りを入れる」技術は見事の一言。

 その「つっこみ力」には舌を巻くほかなく、コラム類はもう読むたびに爆笑し、ジェンダー論などは男として逃げ出し……もとい考えさせられるところも多いのである。

 この『男性誌探訪』も、彼女必殺の「男(特にオヤジと呼ばれる人種)に対する冷徹なつっこみ」がさえまくっている。

 たとえばキャッチフレーズが

 「Art of Living」

 という、しゃらくさい雑誌『エスクァイア』を取り上げるとどうなるか。

 私は不勉強にも知らなかったが、アメリカで出されていたカルチャー雑誌だとかで、具体的に目次を取り出してみると、


「バリへ

 王子が語り、詩人が詠い、画家が描く悠久の島、バリ。お前に会いに行く。

 シチリアより愛をこめてワインと太陽に魅せられたファッショントラベローグ。

 ゲイ・タリーズ「父から受け継いだイタリアンスタイル」



 まあ、こういう内容らしい。

 これだけでも、すでにしてトホホ感がただよっているが、このようなスットコ、じゃなかったスコット・フィツジェラルドか片岡義男のごとき陶酔にひたっていると、


 「こんな特集を夫がソファに寝っ転がって読む横で「ちょっとどいて」とかいいながら妻がガーガー掃除機をかけている情景が目に浮かぶようである」


 けんもほろろに一蹴されてしまう。

 まさにミもフタもない一撃だが、笑ってしまうのもたしかだ。そりゃ、家に「ファッショントラベローグ」を語る男がいたら、めんどくさそうだもんなあ。

 「男の料理」を売りにする雑誌『ダンチュウ』では、


 「船上の漁師めし。(中略)夏の炎天が照りつける船上で、滝のように流れる汗をかきながらハフ、ハフッと食べる食事もまた格別の味である。ちょっとばかりカッコつけていうと、それは海の男の労働の味、とでもいえばいいのだろうか」



 などとワイルドなスタイルを語ってみると、


 「よくいうよ。あなたは労働しないで食べたいだけじゃん」


 バッサリだ。それをいっちゃあだが、やはり爆笑である。

 たしかに、「言うてるだけ」だもんなあ。ぐうの音も出ない。

 我々が自慢げに語る「男の○○」が、女性陣に(世間に)どう失笑されているか、この一発で白日の下にさらされるわけだ。おー、ハズカシ。

 また、「反オヤジ」を標榜し、あたかもヤングたちの意見を代弁しているかのような『週刊プレイボーイ』も、スポーツといえば巨人、ドラマといえば『スクール★ウォーズ』、宮崎駿を語るのに「学生運動の敗北」を例に挙げるところなどから、


 「大人になりそこねた団塊雑誌」


 と鼻であしらい、ナンパ雑誌『ホットドッグ・プレス』には、


 「(出会い、口説き、セックス」の三位一体行為がHDで定義する「ナンパ」だが、)「ホットドッグ」のナンパ作法は出会い(出発点)とセックス(到達点)だけが詳細で、その間をつなぐプロセスがない。ところが、女の子雑誌の作法は逆である。重要なのはプロセス(「恋愛」)なのだ」。


 的を射すぎている分析を披露し、不倫のガイドブックともいえる『日経おとなのOFF』に対しては、


 「釣った魚か釣りたい魚かでエサ(引用者注・雑誌で紹介される料理のこと)のランクが決まるのだ。「夫婦向け」とは「たいしたことない」の婉曲表現ですかね」


 との手厳しい意見も。これは読者も編集者も、苦笑するしかあるまい。

 斎藤本の魅力のひとつが、こういったつっこみによる「よう言うてくれた」感。

 私自身、ここでさらされている「昭和のおじさん的センス」が皆無なので、なに言われてもさほどダメージはなく、ただおもしろいだけだが、言われた「愛読者」たちはそうもいくまい。

 おそらくは怒りで顔を真っ赤にしながらも、心の中では震えていることであろう。

 だって、ページの向こうから斎藤さんの、いや世間の大半の女性や若者からの冷たい声が、するどく突きつけられているのだもの。

 「おまえら、カッコつけてるけど、ホンマはこう思われてんぞ」と。


 (続く→こちら





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