「旅に出たい病」は不治の病である

2016年09月27日 | 海外旅行
 ファンタジー映画は『旅に出たい病』になかなか効果があると最近知った。
 
 「旅に出たい病」は不治の病である。
 
 今でこそ若いころのような
 
 「世界の果てまで行きたいぜ!」
 
 といったギラギラ感こそなくなったが、自分でも「病気やなあ」と思うのが、他人の旅行話を聞くとき。
 
 私は子供のころからあまり欲というものがなく、そのせいか人をねたんだりすることも比較的ない方だと思うが、この話題だけはダメだ。
 
 「夏休みに台湾に行く」 
 
 「お正月はローマで過ごすんだ」
 
 なんて言われると、もういけない。
 
 ふだん「彼女とディズニーランドに行く」とか「競馬でもうかっちゃった」なんて自慢されてもなんとも思わないが、このときばかりは、
 
 「ふざけるな! 飛行機落ちろ! とまでいうとヒドイし他の乗客に迷惑だから言わないけど、入国審査で手間取って、乗り継ぎの飛行機に乗り遅れかけてちょっとドキドキせえ! ついでに『フィッシュ、オア、チキン』って訊かれたから『チキン』って答えたのに、CAさんに笑顔で魚を出されろ!」
 
 くらいの呪いは心の中でかけることとなる。
 
 こんなことばっかりやってるせいで、『にけつッ!!』という深夜番組がまともに見られない。
 
 いや、千原ジュニアさんとケンドーコバヤシさんのトーク自体は絶妙で、もともとは好きな番組だったんだけど、この二人がやたらと
 
 「こないだ後輩と沖縄行ってさー」
 
 「先日、日村さんとシンガポールに行ってきたんすよ」
 
 などと自慢……もとい旅を題材にしたフリートークを展開するため、
 
 「オレの許可もなく、海外行っとるとはどんな了見や!」
 
 なんて、理不尽な怒りに燃えることとなるのだ。お二人からすれば、全力で「知らんがな」であろう。
 
 こんな悩める旅人は最近ちょっとした、なぐさめを見出すこととなる。
 
 それは「異世界ファンタジー」をあつかった映画だ。
 
 私はもともと、ファンタジー映画がそんなに好きではない。
 
 いや、もちろん世代的にドラクエはやってたし、ファンタジーブームのきっかけとなった『ロードス島戦記』も読んだ。
 
 その流れで『D&D』や『ソードワールドRPG』なんかもかなり遊び倒したけど、映像作品にはさほどのれないところはあった。
 
 特に旅行好きになってからはファンタジーといえば、
 
 「なんでどれもこれも、中世ヨーロッパ風ばっかなんや? インドは? イスラムは? チャイナは?」
 
 「封建制バリバリで住みにくそう。共和制も議会制民主主義もたぶん憲法もない世界だし、われわれ健全な市民の権利は守られた世界なんかいな」
  
 などとイヤなヤカラなど入れるようになって、ますます足が遠のいたが、先日『ホビットの冒険』をテレビで鑑賞し、
 
 「あれ? ファンタジーも悪くないや」
 
 ふいに見直す気になったのだ。
 
 今見るファンタジーのなにがいいといって、私の場合はストーリーよりも画面である。
 
 これを「異世界観光案内ビデオ」として楽しむのだ。
 
 この発想は、これまではなかった。昔なら、ただの書き割りとして見ていた「エルフの森」や「ミノタウロスの迷宮」「ホグワーツ魔法魔術学校」なんかを「まだ見ぬ観光地」として鑑賞するのだ。
 
 これがなかなか楽しい。なべても最近の映画は技術も進んで、画だけ見ていても引きこまれる。食事のシーンがあると、なおそれっぽい。
 
 私は映画に関しては脚本が命で、俳優とか派手なCGといったビジュアル面はあまり重視してこなかったが(特撮系はのぞく)、ここにきて
 
 「幻想国の本当は存在しない背景」
 
 の味に目覚めることとなった。
 
 もはや映画というより、『世界の車窓から』とか『世界遺産』を観る感覚。
 
 こうして、だれかの旅話を聞いてやさぐれているときには、『アリス・イン・ワンダーランド』や『ナルニア国』シリーズなど、これまでだと「ストーリーがねえ」と観なかったであろう作品を「環境ビデオ」として流して心を癒している。
 
 ただ問題は、これでも「旅に出たい」という衝動がおさえられないほど高ぶっているとき。
 
 これは困りものだ。だって『世界の車窓から』とちがって、こればっかりは「実際に行く」ことはできないものなあ。
 
 嗚呼、だれか私を中つ国に連れてって!
 
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
コメント
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