前回(→こちら)の続き。
「なんで、将来のアテもないのに、そんなことしてるんですか?」
パリで出会った日本人旅行者ショウコちゃんは、同じくそこで仲良くなった旅行者ヨリコちゃんにそう尋ねた。
この質問に、場の空気が一瞬固まった。
問いの中身は、なんとなくわかる。ショウコちゃんの言葉を補足すると、こういうことになろう。
「(もうすぐ30近くて、独身女で、食えるあてもないカメラマンとかやって、それユーラシア横断とか)なんでそんなことしてるんですか?」
ここにひとつフォローしておくと、ショウコちゃんには悪気というものはなかった。
彼女の口調に、誰かをやりこめるとか、揶揄するとか、そういった響きは基本的にはなかった。
まだ20歳のショウコちゃんは、ただただごく自然に、世間的に見て不安定な生き方をしているヨリコちゃんに、素直に思ったことをぶつけただけなのである。
だが、これは取りようによっては、きびしいというか、ちょっとばかし誤解をされるようなニュアンスを感じる人も、いるかもしれない言葉である。
人によっては、傷ついてしまうかもしれない。
旅という非現実を生きている人間に、リアルという冷や水を浴びせかける行為だからだ。
ここにもうひとつ考察すると、ショウコちゃんに悪気は「基本的には」なかったと思うが、そこになんらかの
「ちょっとした負の感情」
これはあったのかもしれない。
まじめな学生さんであるショウコちゃんにとって、「世間の圧」を気にせず自由に生きている(少なくともそう見える)ヨリコちゃんは
「いい年して、ようやるぜ」
という気持ちとともに、どこか
「うらやましい」
という感情も生むのでは。
これは私自身、ヨリコちゃんほどわかりやすい形ではないけど、わりと日本人的
「和の精神という名の同調圧力」
にとらわれないタイプなので、似たようなことを言われることもある。
だから、優越半分、羨望半分の
「ええよなあ。なんにもしばられんと、楽そうに生きて」
みたいな言葉にこめられたものには、多少敏感なのである。
それを、ここで出すかあ。せっかく、みんなで楽しく観光してるのに。
ちょっとまずいかなあ、フォローしたほうがええんやろか。
なんて、お節介なことを考えていたのだが、ここでの答えがふるっていた。
ヨリコちゃんは動じることなく笑みを浮かべると、ビシッとウィンストン・チャーチルばりのVサインを決めて、
「そんなの、楽しいからに決まってるじゃん!」
その瞬間、頭のうしろあたりでスコーンという乾いた音が聞こえたような気がした。
楽しいからに決まっている。
こらまた、なんと明快なお答えであろうか。
そしてまた、これ以上ないくらいに、わかりやすく「正しい」回答である。
なるほど、そうなのだろう。
ショウコちゃんは
「なんで?」
という素朴な疑問を無邪気にぶつけてきたのだが、ヨリコちゃんからすると、その
「《なんで?》という疑問こそが《なんで?》」
だったのかもしれない。
だって、楽しいからに決まってるから。
結局のところ、人が他人から「なんで?」と首をかしげられる生き方や行動をする理由は、これしかないのだ。
楽しいからに決まってる。それがすべて。たったひとつの冴えたやりかた。
『ローラーガールズ・ダイアリー』のドリュー・バリモア姐さんや、『桐島、部活やめるってよ』の野球部キャプテンみたいに。
それ以上でも、それ以下でもない。
あとは聞いたほうが、「陰であきれる」なり「自分もやってみる」なり、礼儀の範囲内で(「目の前で否定する」「説教する」のような迷惑なことはしないように)好きなリアクションを選べばいい。
ショウコちゃんは鳩が豆鉄砲でも食らったような顔で、そのまま「はあ」と黙りこんでしまった。
私が目をやると、ヨリコちゃんは「決まったね」とでもいいたげに、こちらに小さくウインクしてきた。
ヨリコちゃんは、次の日の朝食の席へとあらわれなかった。
なんでも、朝一番の列車で、ドイツのケルンへと旅立っていったらしい。
それは残念だ。出発するなら、その前に言っておいてくれればいいのにとは思うが、その薄情さがバックパッカーらしいといえばらしく、そのらしさが、私は好きだ。
それに、黙って行ってくれてよかったかもしれない。
もし事前に聞いていたら、トチくるって、万難排してケルン行きの切符を取り、後を追いかけていたかもしれない。
いや、もしかしたら、そうすべきだったのかも。
能天気な私は日ごろから人生に後悔とかを、あまりしない方だが、このときだけは、ちょっぴり悔いを残したかもしれない。
それくらいに、その振る舞いはあざやかだった。
だからシャンゼリゼ大通りと言えば思い出すのは、オシャレなカフェでも粋なパリジェンヌでもなく、彼女のさわやかな笑い声だ。
地域や民族、時代や性別を問わず、あまねく存在し、いつでもどこでも不思議そうに
「なぜ?」
そう問われ続けているであろう、世界中の「ヨリコちゃんたち」に心からのエールを送りたい。