大山康晴といえば盤外戦術である。
いまはあまり聞かなくなったが、かつての将棋界では盤上の棋力だけでなく、それ以外の場面でのやりとりも、勝負に関わっていた面があったという。
大山康晴十五世名人はその達人であり、ただでさえ圧倒的な強さを誇るのに、そのうえ心理戦など各種の「勝ち方」にも長けているとあっては、攻略するのは至難である。
私が将棋に興味を持ったころは、すでにキャリアも晩年だったが、それでもときおり、
「おお、これが噂の」
思わせる事件もあったもの。
前回は田丸昇九段が、人生最大の大勝負で食らった精神攻撃を紹介したが(→こちら)、今回はあの「天才少年」すら被害にあった一例を。
1988年の第38期王将戦で、大山康晴十五世名人と羽生善治五段が当たることとなった。
かつての大名人と、次世代王者候補の若者とあって、注目度の高いカードだったが、この一局は内容以上に、その大山の不可解な行動によって話題を集めた。
なんとこの対戦を2日制にしようと提案したのだ。
この将棋自体、王将戦のリーグ戦でも挑戦者決定戦でもない、ただの予選にすぎない1局である。
それを将棋会館で途中まで指して中断し、わざわざ封じ手を行って、次の日に青森に遠征。
そこのイベントで公開対局にし、決着をつけようというのだ。
羽生からすれば、「急になんでやねん」という話だし、まだ高校生だから学校もあるしで(実際、羽生はいそがしすぎて全日制の都立高校を卒業できなかった)、嫌がらせのようにしか思えまい。
しかもえげつないのが、対局開始が5月の21日。
すぐ移動して、青森での公開対局が次の日で、23日がまた移動日。
そしてなんと、休む間もなく翌日の24日が、富岡英作六段との竜王戦4組決勝。
160万円の賞金と、本戦トーナメント出場をかけた大一番だったのだ。
まるで最近の、藤井聡太七段のような日程だが、もちろんコロナ騒動などなく「大山の意向」でこうなった。
負担の大きすぎるスケジュールで、こんなことをする意味などまったくないはずだが、大先輩である大山の威光に、いかな羽生といえども逆らえるわけもない。
結局そのイベントは敢行されたが、振り回された羽生は力を出せなかったか、不出来な将棋を見せてしまうことに。
中盤戦。大山が△57歩の軽手を放ったところ。
これが、指した本人も自賛する好感覚で、飛車の働きに差があり、後手が優勢。
このあとも、後手にだけ気持ちのよい手が連発し、若き日の羽生を圧倒。
投了直前の図だが、これを見るだけで、いかに大山が好きなように指したかわかる。
もともとからしてハードなスケジュールに移動の疲れ、また青森のファンサービスなど気も使い、将棋も完敗。
さしもの未来の七冠王も、グッタリさせられたそうな。
この強引、かつ今ひとつ真意の見えない行動の意味はわからないが、大山(だけでなく当時の有力棋士や評論家の多く)は、もちろん強さは認めながらも、羽生のことをあまり買ってなかった。
それは今思えば、羽生の将棋やキャラクターが、あまりに昭和の将棋界と価値観が違いすぎたことも一因だが、そのへんのことを鑑みれば、まあ好意的な話ではないだろう。
これだけ見れば、ワケの分からない出来事だけど、前回の田丸昇八段とのやり取りもつい最近のこと。
となれば、この一連の騒動も「盤外戦術」のひとつだったかも、と子供心に思った記憶がある。
もしそうなら、自分の孫ほどの年齢の子にも「仕かける」心意気は、ある意味すごいかもしれない。
もう60代もなかばだったのに、現役感バリバリではないか。
ちなみに、『大山康晴名局集』に掲載された自戦記で、大山はこの将棋を取り上げているが、手の解説に終始し、青森に遠征うんぬんについては、まったく触れられていない。
なんとも不自然で、このあたりも、ますます「やってんな」感を深めるところだ。
ただ、羽生も負けてないのは、続く4組決勝だ。
強敵、富岡を相手に難解な終盤戦を戦い、むかえたこの局面。
△35銀と打たれて、飛車が死んでいるうえに、▲88にいる角もブラになって、△65で重しになっている敵の銀を取ることもできない。
先手ピンチを思わせるが、ここですばらしいカウンターがあった。
▲77角と上がるのが、妙手一閃。
これでバラバラだったはずの先手の駒が、見事な連結を発揮することに。
次、▲65金と取られると、△77角成に▲同玉と取り返した形の上が抜けていて、先手玉に寄せがなくなる。
かといって、ここで△66銀と取ると、よろこんで▲同飛と取られ、死んでいたはずの飛車が逃げられるうえに、△同角には▲同角で、責められるだけだった大駒2枚が見事にさばけてしまう。
それでも富岡は△36銀とするしかないが、やはり▲65金と銀をはずされて攻めが薄い。
一回△48飛と王手して、▲67玉に、△77角成とするが、▲同玉で後続がない。
以下、上部脱出を果たして羽生が制勝。
さすがの強さで、大山の存在感も健在だが、羽生の胆力も並ではなかった。
まだ10代なのに、負けてませんねえ。
以前、藤井聡太七段に対して、
「もっとイベントなどに出席しなさい」
などと注進した棋士がいたらしく、
「学業との両立にいそがしい藤井君に、変な負担をかけるな」
ファンがそう反論したという出来事があったが、もし大山先生が今でも生きてたら、全然そんなん言うてはったんでしょうね(笑)。
(羽生善治と森内俊之の早指し新鋭戦編に続く→こちら)