三間飛車が、いつの間にか復権している。
もともと、軽いさばきを得意とする振り飛車党には人気の戦法だが、平成のころというのは居飛車穴熊に組まれやすいということで、いわゆる「勝ちにくい」戦い方を余儀なくされるイメージがあった。
そのため「スペシャリスト」である中田功八段の「コーヤン流」が孤軍奮闘しているような時代が長かったが、その後
「鈴木式早石田」
「三間飛車藤井システム」
「トマホーク」
「阪田流三間飛車」
などなど様々な試行錯誤や新アイデアがあり、今ではメジャー戦法に見事昇格。
ということで、今回はそんな三間飛車の熱局をお届けしたい。
舞台は1990年のC級2組順位戦、2回戦。
先崎学五段と小倉久史四段の一戦。
小倉と言えばコーヤンと並ぶ三間飛車のスペシャリストで、こちらは「下町流」の愛称で人気である。
当然のごとく三間飛車に振ると、先崎はこちらも得意の居飛車穴熊。
序盤でちょっかいを出した先崎だが、小倉の対応が巧みでゆさぶりに失敗する。
むかえたこの局面。
飛車がさばけそうなうえに、△58にいると金も大きく、振り飛車が指しやすそうに見える。
実際、先崎も苦戦を意識していたようだが、ここですごい勝負手をくり出す。
▲96歩と突くのが、ちょっと思いつかない反撃の筋。
位を取られたはずの端から逆襲していくのを、俗に「地獄突き」なんていうけど、穴熊からのそれなど見たこともない形。
△同歩なら、▲93歩と打って、△同香に▲66角とのぞく筋で反撃。
本人も成算はなかったというか、なかばヤケクソのような心境だったようだが、
「△96同歩とは取りにくいはず」
という目論見もあった。
なんといっても相手は穴熊だ。いくら無理攻めといっても、固さにまかせてどんな乱暴をしてくるかわからない。
そこまでしなくても指せそうだし、ましてや負けられない順位戦では、ますます取りにくいだろう。
小倉は放置して△46角とするが、先崎もあれこれ手をつくして端を取りこみ、以下▲94歩に△92歩とあやまらせることに成功。
これで優勢になったわけではないが、将棋はよく、
「たとえ不利でも、どこかで主張点を作っておくことが大事」
なんて解説されるもので、この端歩を詰めた形などがその例だろう。
9筋のかけ引きが一段落したところで、まずはオードブルが終了。
ここからはお待たせ、メインディッシュのねじり合いに突入するのだ。
(続く)