悩み相談というのはむずかしい。
という出だしから、前回(→こちら)大学受験を
「モテるかモテないか」
という基準だけで語る田中康夫の『大学受験講座』などなど、実にファンキーでフリーダムな悩み相談コーナーについてお話しした。
そんな個性的な相談コーナーの中で、私がもっとも愛してやまないものが、もうひとつある。
大げさにいえば、人生のバイブルであると言い切ってもいいかもしれない。
それが、北方謙三『試みの地平線』だ。
あのバブル時代のまっただ中、世界一脳みそがチャラいといわれた妄想恋愛マニュアル誌『ホットドッグ・プレス』で連載されていた、悩み相談のコーナーである。
HDPといえば、
「アルマーニを着て、シルビアに乗って、ボッタクリ店でメシ食って、ワンレンボディコンの女子大生ナンパせえ! それができんモテへん貧乏人は最低カーストにも入れん不可触民、魚のエサほどの価値もないクズや!」
という、現代日本から見たら、
「よういうたな、オマエ」
とでもいいたくなるような、イカした雑誌であった。
私のような地味な若者には無縁であったが、
「ジーパンに白Tシャツの女は明らかに男を誘ってる!」
とか、もう『月刊ムー』なみに電波が飛びかうところは実に興味深く、散髪の待ち時間などに読んで楽しんでいたものだ。
そんなHDPの記事の中でも、異彩を放っていたのが『試みの地平線』。
こんな広告代理店の奴隷養成雑誌で、アッシーだメッシーだミツグ君などという国賊的流行に眉をひそめるハードボイルドの大家が、ヤングの悩みにお答えする。
その回答もぶっ飛んでいて、
「自分に自信がない」
「恋と受験、どっちを優先すべきか」
「転職すべきかどうか」
といった、若者たちの定番の悩みを、すべて
「ソープへ行け!」
でかたをつける。
ソープといっても今のヤングにはなんのこっちゃかもしれないが、昭和には「ソープランド」と呼ばれる施設がありまして、要するに「風俗営業店」のこと。
北方流では、世の男子の悩みの大半が、女を知らないことからの肉体的精神的劣等感からくるという。
ならば、答えはひとつしかない。
「グダグダ言わずに抱いてみろ!」
ということであって、この姿勢は終始ブレない。
そして、もうひとつの特徴が二人称。
普通の悩み相談では、読者に語りかける二人称といえば「あなた」とか「君」だが、北方先生はそんなぬるい言い方ではない。
ハードボイルドな先生の呼びかけは
「小僧ども!」
これである。
私はこれまで、人類最強の二人称といえば、ジャニーさんの「ユー」だと思っていたが、それに対抗できるのがこの「小僧ども!」であろう。
「ユー来ちゃいなよ」
「小僧ども、ソープへ行け!」
優劣はにわかにはつけがたい。それくらいのインパクトである。
そんな北方先生なので、一般にはどのページも「女を抱け」ですましているようなイメージもあるのだが、これが実際に読んでみると、案外そうでもない。
せいぜいが3回に1回くらいで(それでも充分だけど)、それ以外にもちゃんとしたアドバイスや、はげましの言葉を贈っている。
失礼ながら、イメージ以上に真摯な返答なのだ。
そんな頼れる北方先生であるが、やはりそこは普通に使える話だけでは終わらない。
一見ちゃんと答えると見せかけて、そこにはかならず北方流のキラーフレーズを放りこんでくる。
たとえば、東京から地方に転勤になり「さみしくて仕方がない」という男性には、開口一番
「女を作れ!」
まずは、地元松山の女を作れ、と。その方法に関しては、
「自分で考えろ」
まさかの相談放棄である。
まあ、そこで話は「それができないなら」と、きちんとした回答へと流れていくわけだが、締めはといえば、やはりそれも北方流。
先生は「一人で生きていることの孤独感」にふれ、「孤独を癒す拠りどころ」を見つけることを奨励し、「下宿でもしたらどうだ」というのである。
そして、締めの言葉が
「もちろんその場合は、未亡人宿にするんだぜ」
くわあ、シブい。
やはりこの本に心酔する大槻ケンヂさんのごとく、思わず語尾に(ニヤリ)とつけたくなるようなナイスな落とし方。
もうその男っぷりに、感動と爆笑は必至である。
とりあえず、こんな連載をのせていたということは、当時の編集部の人たちが、
「自分たちの作っていた雑誌のことを信じていなかった」
のだろうということはよくわかる。
きっとこの連載で、こんな電波雑誌を作らされているフラストレーションを晴らしていたのであろう。
編集者の悩みまで吹き飛ばすとは、さすがは北方先生である。
やはり人生のバイブルであると、いわざるを得ないではないか。
(続く→こちら)