「この世界に足りないのは、ド外道っスよ!」
前回(→こちら)そんなことを言ったのは、後輩ハナタグチ君であった。
彼は映画やマンガが好きなのだが、最近そこで出てくる悪者に不満があり、
「頭脳明晰な殺人者」
「完全なる悪」
「弱者による世界への復讐」
のような、人生哲学や感情移入を誘発するヤツはアカンと。
「もっとシンプルに、平松伸二先生の『ブラックエンジェルズ』に出てくるような、心の底からブチ殺したくなる、わかりやすい悪がええんです」
というのが彼の望みなのだ。
ハナタグチ君の望むカタルシスはこれです
そこで今回もステキなド外道についてだが、悪党は暴力的な男だけではなく、もちろんのこと女にもいる。
西部劇のように拳銃を振りかざしたり、マフィアのように密輸や暗殺したりもしないが、知恵と色気で周囲を惑わす悪女というのは存在感抜群だ。
たとえば『シカゴ』に出てきたロキシー・ハート。
『シカゴ』といえば、ブロードウェイでも大ヒットしたミュージカルの映画版。
ストーリーはスターを夢見るロキシーが、彼女をだまして、もて遊んだ男をカッとなって殺害するところからはじまる。
当初は正当防衛を主張して罪を逃れようとしたロキシーだが、浮気の事実が夫にバレたことから断念。
そこでリチャード・ギア演じる敏腕弁護士のビリーに助けを求め、彼と二人三脚。
ロキシーを極刑にしようと奔走する検事や、一筋縄ではいかない刑務所長や女囚相手に、あの手この手で無罪を勝ち取ろうとするが……。
といったあらすじを見ればおわかりのように、この映画は登場人物が悪役ばかりで、彼ら彼女らがそのエゴをむき出しに、走り回るさまが楽しいコメディーだ。
そんなナイスな小悪党たちの中でも、ひときわ光るのがロキシーの「やな女」ぶり。
もともと、「そこそこにはかわいい」程度の容姿なうえに、歌もダンスも十人並みの彼女がスターうんぬんというのもドあつかましいが、それ以上に性根が腐りまくっているのがステキだ。
いい顔してます。
そもそも殺人の動機も、「芸能界にコネがある」と男にだまされたことによる自業自得とも言えるものだし(「枕営業」ってやつですね)、旦那がお人好しで自分にべた惚れなのをいいことに、ふだんからバカにしまくっている。
ビリーの策略によって、刑務所内で「悲劇のヒロイン」になれば、それにひたりきって、周囲の人間をアゴで使う。
世間の同情をひくため「子供ができた」とウソを言い、反省どころか、
「これを利用してスターになれる!」
とか、ぬかりなく考える。
あまつさえ、裁判でいい印象をあたえるため用意された衣装を、
「こんなダサい服で写真に撮られたくない」
そう拒否したうえ、「おい! オレは弁護のために、知恵しぼってこの服も選んどるねん!」とキレるビリーに、
「ウチはスターなんやで? もっと態度をわきまえなあかんのとちゃう?」
などと言い放って解雇するなど、もうやりたい放題。
殺人の重み? 罪の意識? 夫への贖罪?
知るかいな! そんなもん、どこの国のケチャップぬったアメリカンドッグやねん! と。
もう、見ていてメチャクチャに腹が立つというか、上映中の2時間ずっと、
「この女を高く吊るせ!」
という気分にさせられるのだ。
で、この映画のすごいのは、そうやってさんざん
「このクソ女がいつ死刑になるか」
という興味で引っ張っておきながら(←いや、歌とかダンスとかもあるだろ!)、最後の最後は彼女がハッピーになったことで、思わず祝福の拍手を送ってしまうこと。
いやホント、その演出はすばらしいものがあった。途中、あんだけ
「法が裁けないなら、オレが踏みこんで討つ!」
な義憤に駆られていたのに、見事な大団円。
マジで、最後のナンバーのあと、「やったぜロキシー!」って気分になるのだ。あれはやられました。
最初の1時間50分は、
「この女、ぶっ殺す!」
残りの3分が、
「ロキシー最高! アンタに心底惚れましたわ!」
このギャップがたまらない。
ふつうは、こんなヤな女が成功したら、モヤモヤしてカタルシスもなさそうなもんなのに。レネー・ゼルウィガー、すごいなあ。
やはり男とちがって、女の悪役は魅力的でもないとあきません。
だまされて、裏切られて、それでも懲りないわれわれ男子。
バカで安っぽく、それでもたくましいロキシー・ハート嬢こそ、まさに最高のド外道女ですねえ。
(松岡茉優編に続く→こちら)