大坂なおみUSオープン優勝と、ブーイングによる「リンチ」の問題

2018年09月10日 | テニス
 大坂なおみがUSオープンで優勝した。

 もちろんのこと私もこの結果には大興奮で、早起きしてスコアのライブ中継(今WOWOWに入ってないので。見る時間がないんだよなあ……)の前で一喜一憂したのだが、ちょこちょこ動く数字の前で、

 「うおっしゃー!」

 「行ける行けるで、ここ集中!」

 「やったー! なおみちゃんサイコー! もう結婚してえええええ!!!」

 などと、うるさいのは迷惑だから、枕で口を押さえて叫びまくるのは、われながらなかなかマヌケであった。

 でもマヌケでいいもーん! 大坂ちゃんが優勝したからね! すっげ、マジで。本物やった、この娘は。そりゃ昔からすごいのは知ってたけど、こんな早く頂点に立つか……。

 日本人選手で初のグランドスラム優勝の大快挙。それも、自身があこがれてやまないと公言するセリーナ・ウィリアムズを破っての栄冠とは、これ以上ないほどの喜びと充実感であろう。

 大坂なおみは、テニスがすばらしいのは当然として、そのキャラクターがまた魅力的だ。

 インタビュー動画や雑誌の記事など読んでも、その独特で明るい言動の好感度はすこぶる高い。海外でも人気だし、テニスを知らない人でも一度見たら、好きにならずにはいられないのではないか。

 ただこの決勝戦、ひとつ気になったことがあった。

 そう、会場のブーイングだ。
 
 私はダイジェスト映像しか観ていないから、そんなにくわしくはわからないが、セリーナが審判の判定を不服とし抗議したところ、会場は歓声とブーイングにつつまれ、それは試合後のセレモニーまで続いたのだ。

 大坂なおみには、なんら責められるいわれもないのだから、とんだとばっちりだ。本来なら人生最高の日になるはずなのに。

 これは個人的な見解だが、この決勝のみならず、私はスポーツの会場での過剰なブーイングなどが好きではない。

 いや、もちろん声をあげて大応援や、相手チームに対するディスはスポーツ観戦の楽しみだし、それはある種の文化でもあることは認めるにやぶさかではない。ただ騒ぎたいだけでも、それはそれで全然アリだ。

 しかしだ、単に自分たちが「ムカついた」ことによって、試合会場の空気を壊してしまうことだけは、なんだか受け入れられないのだ。

 テニスの世界でも、たとえば1999年のフレンチ・オープン決勝でのマルチナ・ヒンギスへのブーイング。

 たしかにあの試合で、審判の判定に異議を唱えたヒンギスの態度はほめられたものではない。それ相応のペナルティはあってしかるべきかもしれない。

 だがそのことによって、彼女を追い詰め、まともな精神状態で試合をできないようにし、一時は表彰式にすら出られないほど泣き崩れたところに「ざまあみろ」と罵声を浴びせる権利は、「我々」にあるのだろうか?

 最近の甲子園もそうだ。全国から選手を集めたり、金にあかせてチームを補強する「悪役」と戦う学校を露骨に応援し、マウンド上で青ざめている投手に(まだ高校生だ)

 「勝たせたいチームをひいきするのは当たり前」

 「あいつらは卑怯だから、これくらいやられて当然だ」

 と言い切る姿は、他者にはどう映るだろう。

 少なくとも私は「なんだかなあ」と思うし、知らずにやっているところを指摘されたら「恥ずかしい」と感じるだろう。

 なぜならそれは応援や意見の表明と見せかけた、単なる「リンチ」にすぎないからだ。


 (続く→こちら


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