サマセット・モーム『月と六ペンス』は私的に共感度大の物語である。
モームといえば学生時代に、『雨』『赤毛』などの短編を読んでから、お気に入りの作家。
この『月と六ペンス』はまた、著者お得意の「イギリス流アイロニー」が、これでもかと炸裂しまくった、全編苦笑いでしか読めない大傑作だ。
ロンドンに住む主人公の作家は、あるパーティーでチャールズ・ストリックランドという男と出会う。
妻子を養うため、日々まじめに仕事に出かけるだけの平凡な男に見えたストリックランドだったが、ある日突然、すべてを投げ打って失踪することとなる。
わけもわからないまま消えた彼に当惑する家族や友人は、主人公に帰宅するよう説得の依頼をするが、パリへ渡っていたストリックランドはそれを拒否。
彼は絵描きになることに決め、もはや家族も地位も名誉も友人も、何にも価値を見出すことはないとキッパリと宣言するが……。
というのが導入部。
この物語のキモは、やはりチャールズ・ストリックランドのエキセントリックな魅力であろう。
「絵を描く」ことに人生をささげた彼はゴーギャンがモデルらしいのだが、それはそれとして、なんとも無茶な人である。
だれに対しても態度は悪いし、ロクに仕事もしない。
友人(とストリックランド自身が思っていたかどうかは別として)の妻を寝取って、その彼女が自殺未遂をしても、へとも心揺るがすことがない。
そもそも、彼女を本当に愛していたわけでもなさそうで、「誘われたから、抱いただけやん」と、どこまでも他人事な態度なのだ。
そもそもが「つかみ」で、妻と小さな子供をほっぽらかして「勝手に生きればいい」と突き放すところからして、女性からしたら好感度ゼロであろう。
もっとも、ストリックランドの嫁と子もまた、「わかりやすいなあ」と苦笑いするほど見事なくらいの俗物で、ここもモームのクールな意地の悪さが存分に発揮されていていると同時に、彼が「通俗作家」と批判される面でもあるのだろうが。
なんかねえ、意地悪が「わかりやすすぎる」んですね。そこが軽く見られるのでは。
ともかくも、彼の中にあるのは絵を描くことのみで、それ以外はどうでもいい。
金にも名誉にも愛にも、興味がカケラもないにもかかわらず、その一点に関してはおそろしいほどにエゴイスティック。
要するに、我々の中にある典型的な
「わがままな天才」
のイメージ。それこそが、この物語の主人公チャールズ・ストリックランドなのだ。
それゆえこの物語は、一応ストーリーはあるものの、読み所自体はストリックランド自身のキャラクターに負うところが大きい。
奇行の人ではあり、行動も周囲には迷惑千万だが、決して悪人ではない。
いやむしろ、「絵を描く」ことに特化すれば天才であるし、その情熱や周囲を顧みない「強さ」は日々をなんとなく生きる我々には、ある意味「うらやましい」とさえいえる。
実際、語り部である作家の「私」がこのストリックランドを変なヤツと思いながらも、全然否定しないというか、一応はストリックランドが誰かに迷惑をかけると
「ひどいと思わないのか」
なんて詰問するが、すぐその後で、
「だが、義憤なんてものは結局『自分はこのような出来事に腹を立てられる心の優しい人間だ』ということを確認する自己満足に過ぎない」
みたいなスカした言葉で、一人納得していたりする。
作者はストリックランドのことを、ちっとも「変人」「悪人」だとは思っていない。
「ひどいと思わないのか」というのも、
「あんまりクールすぎると読者のテンションも下がるだけだろうから、一応は怒ったフリをしときまーす」
くらいのエクスキューズ付な義憤であって、そのことで物語が大きく動いたりしないのだ。
その意味では彼は登場人物ですらない、便利な「つっこみ」というか「解説」役。副音声みたいなものなのだ。
彼は「作家」であるが、最後までどんな小説や戯曲を書いているかという描写がない。
その設定や人間性、さらには彼の意見までもが、この物語ではほとんど必要とされていないからだ。
作者は徹頭徹尾レポート役にすぎず、そのことは
「作家は断罪しようなどとは思わない。ただ知りたいと思う」
というセリフに、はっきりとあらわれている。
この、「ただ知りたいと思う」というフレーズは、個人的にもっとも印象に残ったところ。
というのも、私の友人知人の中には、いわゆる「変わった人」というのが、ちょいちょいいるからだ。
ストリックランドのような、いわゆる「芸術家」もいるし、その他にもおかしなというか、世間的な常識に照らし合わせると浮いていたり、生き方が独自路線すぎて理解されない人などが目白押しだ。
で、そういう人とつきあっていると、よく聞かれるわけだ。
「なんでそんな人らと仲いいの?」と。
特にリア充系の人から、彼ら彼女らよりも「ストリックランドたち」の誘いを優先したりすると、心底不思議そうに。
たしかに、「奇人」とつきあうより、彼らと飲み会やスポーツ観戦や鍋パーティーでもしたほうが、普通に見て楽しそうなことは間違いない。
そもそも、変人と言われがちな彼ら彼女らと「仲がいい」かも、あやしいもんだ。
でも、その理由はこの『月と六ペンス』の中で、モームが簡潔に解説してくれている。
私は作家ではないけど、「ただ知りたいと思う」から。
モームは『お菓子と麦酒』という小説でも似たようなテーマをあつかっているから、同じようなことを訊かれて当惑している人は、存外に多いんだろう。
これがなかなか、わかってもらえないものなのだなあ。
(続く→こちら)