藤井聡太「二冠」って、どうすごいの? 「20歳竜王」渡辺明二冠への長い道

2020年09月05日 | 将棋・雑談

 藤井聡太棋聖王位も獲得した。

 という出だしから、ここまで

 「簡単に二冠とか取ってるけど、ホンマはメチャクチャ大変なんよ」

 というシリーズをお送りしているが、前回の羽生善治九段の「二冠ロード」(→こちら)に続いて、今回は先日ようやっと名人になった渡辺明三冠(棋王・王将)について。

 

 渡辺明といえば、小4小学生名人になり、その後、羽生や谷川と同じく2000年に「中学生棋士」となる。

 いわば、早熟のスーパーエリートだが、意外なことにデビューしたころは、それほどの爆発は見せなかった。

 C級2組順位戦では、競争相手だった野月浩貴五段との直接対決に敗れ、1期抜けのチャンスを生かせないなど、今ひとつパッとしない。

 いや、弱いわけではないのだが、勝率もそこそこで、まあ「普通に強い若手」くらいだった。

 本人の弁によると、高校生活を楽しんで将棋に力が入っていなかったそうだが、期待とくらべると拍子抜けな感じ。

 『対局日誌』で有名な河口俊彦八段が、奨励会時代から渡辺を買っていたとよく言われているが、河口老師によると、その将棋は一度も見たことがなく(おいおい……)、期待するのも、

 

 「将棋界に天才は定期的に現れるから」

 「大山康晴十五世名人に似ているから」

 

 という、とんでもなくいい加減なもので(まあ、ものすごく河口八段らしいですが)、実際伸び悩んでいる渡辺について、

 

 「彼はたいしたことないですよ」

 

 なんていう、嫌味を言われたりしたそうだ。

 そんな評価のむずかしい若手時代の渡辺だったが、高校を卒業し、本格的に将棋と向き合いだしてから、かけ上がるのは一瞬だった。

 まず、2003年の第51期王座戦で挑戦者になると、羽生善治王座相手に不利の下馬評(渡辺曰く「勝てるかって? 相手は羽生ですよ、羽生!」)をくつがえして、2勝1敗と奪取に王手をかける。

 そこから羽生が意地を見せ、逆転で防衛するが、最終局では詰ましにいった手が震えて、駒が持てないという異常事態が発生した。

 

2003年第51期王座戦五番勝負の最終局。
どっちが勝つかわからない熱戦の中、羽生の放った△11歩が手筋の受け。
これが「この手があるんですよね」と渡辺を落胆させた好手で、羽生が苦しみながら、かろうじて防衛。

 

 

 敗れはしたものの、

 

 「羽生の手をフルえさせた男」

 

 として名をあげた渡辺は一気の大ブレイクで、翌年には竜王戦の挑戦者に。

 挑戦者決定戦で、A級棋士森下卓九段をストレートで破ったときには「順当勝ち」という雰囲気だったから、いかに渡辺の評価が上がっていたか、わかろうというものではないか。

 七番勝負でも、大豪森内俊之相手にフルセットで勝利し、20歳の若さで棋界の頂点に立つ。

 そこからも、木村一基佐藤康光というビッグネームを退けて防衛(佐藤との2年連続の激闘は→こちら)。

 2008年の第21期竜王戦では、羽生善治名人永世竜王(羽生は永世七冠も)をかけた決戦を3連敗からの4連勝という、これ以上ないドラマチックな展開で制し(最終局は「100年に1度の大勝負」と呼ばれた→こちら)防衛。

 2010年の第23期竜王戦でも、リターンマッチを挑んできた羽生に、4勝2敗で返り討ちを喰らわせる。

 このシリーズはスコア的にも内容的にも、渡辺が完全に

 

 「羽生を上まわった」

 

 という印象を残し、ここにハッキリ「格付け」が決まったというか、

 

 「時代は羽生から渡辺へ」

 

 という空気感はバリバリだったのだ。

 だが、その後もうひとつ「渡辺時代」とならなかったのは理由がハッキリしていて、羽生の巻き返しもあったが、なかなか竜王以外タイトルを取れなかったことも大きかった。

 2007年の第78期棋聖戦で挑戦者になるも、佐藤康光棋聖に敗れる。

 2011年の第36期棋王戦でも、久保利明棋王に退けられ、またも二冠のチャンスを逃す。

 

 

 久保利明との棋王戦。久保が2勝1敗リードの第4局。

 渡辺必勝の終盤戦だったが、▲73角成で勝ちのはずが、△75にいる玉を△76に早逃げするのが「詰めろ逃れの詰めろ」になることを見落としていて大逆転。

 フルセットの決戦になるはずが、急転直下のシリーズ終了で、さすがの渡辺も呆然とするしかなかった。

 

 

 竜王はのちに9連覇を果たすのに、そもそも奪取どころか、タイトル挑戦回数も少ないというのが解せないところだ。

 そんな渡辺が壁を超えたのは、棋王戦敗退後の王座戦

 ここで羽生王座をストレートで降し、ようやっと二冠

 これは羽生の王座連覇を19(!)で止めたところも価値が高かった。

 このあたりから渡辺もタイトル戦の常連になり、2年後には三冠王となる。

 そして今では名人なのだから、河口老師のテキトーすぎる見立てはともかく、モノが違ったのは確かだ。

 そんな男が二冠になるまで初タイトルから8年、デビューからは11年もかかっているとは、おどろきだ。

 それを見れば、18歳で二冠になった藤井聡太が、いかにスゴいことをやってのけたか、よくわかるではないか。

 

 

    (元祖「さばきのアーティスト」大野源一の振り飛車編に続く→こちら)  

 


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2 コメント

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Unknown (なお)
2020-09-06 22:13:45
こんばんは。いつも有難うございます。numberなんかも将棋特集をして増刷されたみたいですが藤井の確変はまだまだ始まったばかりなのに大丈夫なのかなとアンチながら心配しています。numberを読んでも礼賛一色で白旗を上げてる感じでした。1人だけ引退してタレントしてる人が互角にやれるって言ってましたね。渡邊に関しては例のソフト疑惑があった時から、もうこの男の応援をするのはやめようと固く誓いました。あの時連盟は一定期間全ての公式戦に出場させないくらい強く出ないといけなかったと思います。三浦さんは一度殺されたようなものです。あの事件を誰かまとめてノンフィクションで出せばいいと思うんですけどね。
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Unknown (sharon106)
2020-09-07 01:05:15
なおさん、こんばんは。

『Number』はすごいですねえ。20万部って、まさにこれこそ確変。

私はまだ買ってないんですよ。

『Number』はもともと苦手な上に、将棋のライター陣も、最近よくポエムっぽい文章を入れてくるから、それがちょっと……(苦笑)




渡辺明は本当にアレで評価を下げましたね(あと後藤元気さんとか)。

私は棋譜に罪はないと思ってるで、渡辺将棋は紹介します。

とはいえ、それこそ藤井フィーバーで、この件がウヤムヤになったのは将棋界としてはホッとしてるかもしれませんが、心あるファンはモヤモヤが残るでしょう。

私自身、あの事件では、どう考えていいかわからないことも多かったので、

「証拠が出るまでは(あるいはないと判明するまで)、勝手な憶測で話さない」

「どちらに非があっても、必然的に起こるであろうリンチに加担しない」

ことだけは心してましたが、そもそも今でも、なんであんなことが起こったのか理解できず、その点でも腑に落ちない。

だから、誰かがノンフィクションを書いてくれたら、私も読みたいです。

棋士も連盟も協力しないだろうし、藤井フィーバーに水をさすから、むずかしいでしょうけど、ねらっている作家やライターはいるのではないでしょうか。

もっとも、三浦九段の立場を想像すると、あまりにも気の毒な話なので、その部分を読むのがつらくなりそうですが……。
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