前回の続き。
2009年の第57期王座戦で、初のタイトル戦登場を決めた山崎隆之七段。
王座戦18連覇(!)をねらう羽生善治王座(名人・棋聖・王将)相手に、初戦は敗れたものの山崎流の独創的な将棋は見せてくれた。
顔見せもすませて、さあ、ここからだぞと続く第2局が、少しばかり波乱を呼ぶ展開となった。
もっとも、将棋自体は良い内容で、最後こそ山崎がポッキリ折れた感もあったが、途中までは、どちらが勝ってもおかしくない接戦だった。
では、一体なにが波乱なのかと問うならば、当時話題になったある出来事。
それが、
「羽生善治ブチ切れ事件」
といっても、羽生のキャラクターを知る人からすると「はあ?」という話であろう。
羽生は怒るどころか、不機嫌な顔すら見たことがないという温厚で、飄々としたタイプだ。
それが「ブチ切れ」とは、話を盛るのはいいけど「創作」はアカンで。サムネ詐欺ですやん。
なんて、それこそ怒られそうだが、たしかにこれは多少の「盛り」はあるかもしれないが、決して「作り」ではない。
これには深いわけがあり、おそらく将棋ファンならその理由を聞けば、
「あー、そういうことね」
「なんか、羽生さんらしいなあ」
そう納得していただけるのではあるまいか。
それは後の話として、まずは将棋の方だが、後手になった山崎が当時の人気戦法であった一手損角換わりを選択。
羽生はシンプルな棒銀で仕掛けて行き、山崎は手に乗って金銀を盛り上げ、馬も作って押さえこみにかかる。
むかえた、この局面。
玉が動いていないのが、いかにも山崎流。
今でこそ居玉で戦うのは、わりとよく見るようになったが、この当時では「藤井システム」など定跡化されたものをのぞけば、相当にめずらしかった。
押したり引いたりの難解なやり取りが続いていたが、ここでは控室の谷川浩司九段、大盤解説の久保利明棋王ら検討陣の見解は一致してたそう。
「難解ながらも山崎良し」
ただし、少し手にした模様の良さを具体的に「優勢」「勝勢」に結び付けるのは、きわめてむずかしい作業。
これはおそらく、将棋というゲームが存在するかぎり、未来永劫言われることとなる「あるある」なのだ。
事実、この局面で山崎の手が止まった。
長考に沈みこみ、次の手を指せずに苦悶する。
この将棋の観戦記を書いた梅田望夫さんによると、山崎は羽生がトイレに立ったところで急に独り言を言い出したという。
その内容というのが、
「30分ですか」
「30分ねえ」
「30分かあ」
「30分かあ」
「30ぷーん」
「30分」
「30分か」
記録係から「残り30分です」と告げられたことに対するボヤきだ。
必死で戦う山崎には申し訳ないが、いかにも情景が想像できるというか、やってそうやなー。
今なら、コメント欄やSNSで山崎ファンが
「出た、山崎節!」
「何回30分言うねんw」
「アカンで山ちゃん、羽生はそういう逡巡を察知して、突いてくるのがメッチャうまいんや! ポーカーフェイスで行かな!」
なんて大盛り上がりになるところだろう。
次の手は△37桂不成で、それは悪い手ではない。
ただ、ここで40分も消費してしまったことは山崎の精神状態と、この後の展開に暗い影を落とすこととなる。
少し進んで、この局面。
ここでは山崎に「本局最大のチャンス」がおとずれていた。
ここでは△22飛と、遊んでいる飛車を活用すれば山崎優勢がハッキリしていた。
だが、ここでさっきの40分が効いてくる。
すでに残り2分になっていた山崎は、1分将棋になるのを恐れて、△15歩という精査を欠いた手を指してしまう。
これも悪手ではないのだが、「優勢」が「混戦」になってしまい、またここで腰を落とせなかった後悔も、山崎の背中にのしかかる。
「やった瞬間に気づいて後悔してるんですよ!」
感想戦でも、頭をかかえていた。
そうして、クライマックスがここだった。
山崎の次の手が敗着になり、そこから、あっという間に将棋は終わってしまう。
まあ、それはしょうがないにしても、問題はその後だった。
山崎が投了したとたん、羽生は梅田さんの言葉を借りれば「かなり強い口調」で、敗者に詰め寄ることになるのだ。
(続く)
おお、するどいですね!
第2局については、あらかじめ3回に分けて書いてますが、『リボーンの棋士』についてもふれてます。
だれしも、連想するのは同じですね。
やっぱり、あの川井くんとのシーンはこの将棋がモデルなのかなあ。
それとも、たまたまというか、ふつうの対局でも「よくあること」なのか。
われわれでも、ウッカリで将棋が終わったとき、
「結果はこっちの負けで(勝ちで)いいから、こっから続きやらへん?」
て言うことありますもんね。
監修の鈴木肇さんに、訊いてみたいですね。
この相手にはもう逆転は無理だ、と思って相手を信用して投了したら、実はそんなに悪くなかったということもあるみたいですね。