入玉模様の将棋は、頭がクラクラする。
前回は、入玉形を知りつくしたスペシャリスト中原誠十六世名人による、すばらしい妙手を紹介したが(→こちら)、今回はより独特としか言いようのない入玉の手を紹介したい。
谷川浩司名人に中原誠棋聖・王座が挑んだ、1990年の名人戦第3局。
このころの中原は、矢倉中心だった「自然流」の将棋から相掛かりを主戦場にする激しい棋風に転換し、成功をおさめていた時期だった。
このシリーズでも、独特なゆさぶりで相手を攪乱する「中原の相掛かり」が炸裂し、谷川はペースを奪われ気味だった。
だが、谷川名人も負けてはいない。
1勝1敗でむかえた第3局では、相掛かり特有の軽いフットワークをたくみにいなし、中原の攻めを頓挫させる。
攻守所を変えたが、中原も巧妙なねばりを見せ、形勢は混沌。
谷川が指せそうに見えるが、急所にヒットする攻め筋が、なかなか見えない。
むかえたこの局面。
後手の谷川が、△26桂と打ったところ。
有利の自覚はあった谷川だが、この手にはイヤな感覚をおぼえていたとか。
たしかに、こんな「桂をたらす」ような手は、シャープな寄せを持ち味とする谷川らしくないし、△37の桂ともダブっていて重く見える。
ただ、重い攻めというのは「寄せは俗手で」という格言もある様に、確実に迫っているともいえる。
ここで先手にいい手がなければ、2枚の成桂で金銀をはがして、自然に勝ちが転がりこんでくる。
先手も、そうはゆっくりしてられない局面だが「スペシャリスト」中原誠は、ここですごい手を用意していた。
並の感覚では見えない一着とは……。
▲76桂と、ここに設置するのが、独特すぎる感覚。
パッと見意味不明だが、これが後手にプレッシャーをかける、実戦的な好手だというのだ。
ねらいは次▲64桂と飛んで、飛車が逃げたら、じっと▲72桂成とひっくり返っておく。
以下、▲73成桂(▲73角成)として、△74にいる押さえの銀を取り払ってしまえば、先手は▲67から上部が抜けていて、凱旋ルートが開けることとなる。
そうなれば必勝だ。
盤面の左上が開くなら、谷川も懸念した△26桂が、ひどい手になる可能性が高い。
後手は△49の地点にねらいを定め、底をさらうように攻めるしかないのに、先手は手に乗って上部に脱出。
いわば、城に地下道を掘って攻め入ったら、大将はすでに天守閣からバルーンで逃げようとしているようなもの。まるで怪盗ルパンか、怪人二十面相ではないか。
▲76桂以下、△38桂成、▲64桂、△51飛に、やはり▲72桂成。
あせらされる後手だが、△49桂成しか手がない。
先手はひょいと▲67玉。
△48成桂引と取っても、▲75歩と押さえて、後手の攻めはまるで届かない。
銀を逃げるようでは、▲76からのルートが止められないので、谷川は△91飛と取り、▲84馬に△83銀打。
なりふりかまわず、穴をふさごうとするが、▲73馬が飛車取りでは、いつまでたってもターンが回ってこない。
入玉を防いだだけで、その後は中原が圧倒した。
とにかく、後手は2枚の成桂が、ヒドイ形なのだ。
こうして中原は、ふたたび谷川に入玉をちらつかせ、ペースを乱して勝利。
シリーズも4勝2敗で、中原が名人復位を果たすが、それにしてもこの▲76桂というのは不思議な手だ。
プロの意見でも、こういう手は見える人と、見えにくい人に分かれるよう。
こちらも、入玉が得意な島朗九段が
「これはいい手です」
太鼓判を押したとか。
やはり入玉形の将棋は、独特の感覚が必要とされそうだ。
身につければ大きな武器となりそうだけど、はてこういうのって、どうやって勉強すればいいのかしらん。
そこが問題だなあ。
(藤井聡太と佐々木大地編に続く→こちら)