台北の故宮博物院には感動することしきりだった。
海外旅行が好きな私は、友人からおすすめスポットをたずねられることなんかもあり、こないだは台湾にある龍山寺が、
「意味もなく、関羽や孔子を祀るというアバウトさがステキ」
ということで推薦したが(→こちら)、台湾といえば、もうひとつはずせないのが故宮博物院であろう。
資料によると69万個以上の美術品などを所蔵しており、もう中華好き歴史好きにはたまらない場所。
中に入るとずらりと宝物が並んでおり、郎世寧の「百駿図」とか永楽帝の壺とか、もう世界史の教科書でちらっと見た記憶のある名前が、ガンガン出てくる。
それを見ているだけでも充分に楽しいが、やはりここをおとずれたら鑑賞したいのは、これしかあるまい。
そう、白菜と豚の角煮だ。
というと、おいおいだれが昼飯の話をしてるんや、なんてつっこみを入れられそうだが、いやいやこれは別に腹が減ったわけではなく、展示物の話をしているんです。
なにをかくそうこの台北にある故宮博物院では、堂々と「白菜」と「豚の角煮」の精密な彫刻が展示されているんですね。
で、生で見たら、これがメチャクチャよくできてる。
白菜はヒスイを彫った一品で、緑の葉の部分がエメラルドみたいで美しい。
そこにチョコンと、キリギリスが乗っているお遊びがまた楽しい。
角煮の方は土色の石で、作者不明の謎のアイテム。
飴色に輝く肉と脂が絶妙の仕上がりで、もう今すぐこれをおかずに、『孤独のグルメ』の井之頭さんのごとく、メシをわさわさと食いたい。
他の「皇帝の台座」みたいなのが、しっかり作られているのは当然といえば当然だから、「すごいなあ」くらいだけど、こんな「おもしろアイテム」みたいなものに、これだけの技術を注ぎこんでいる。
というアホらしさといって悪ければ、お茶目さがいいではないか。
実際のところは、翠玉白菜は「多産の象徴」とか、一応もっともらしい由来が語られているが、もちろんのこと、そんな大仰なことでもあるまい。
この2品が作られたモチベーションは、
「中華4000年の歴史でもって、その技術の粋と膨大なる手間をかけ、作るのがあえて白菜と豚の角煮」
完全無欠の「ウケねらい」であろう。
おそらくは職人同士で、
「おまえ、今度の作品、なに作るねん」
「白菜や」
「アッハッハ、なんでやねん! おまえくらいのプロが、なんで野菜なんや!(笑)」
「それにバッタも乗せるで(キリッ!)」
「ダッハッハ! 乗せてどないする! もっとちゃんとしたもん作れよ、壺とか扇子とか(爆笑)」
「見て見てー、オレなんか角煮やねん。ほら、ホンマもんにしか見えへんやろ?」
「ナハハハハ! だから、なんで角煮やー! おまえらメッチャおもろいな! 天才か、吉本行け」
「白菜や」
「アッハッハ、なんでやねん! おまえくらいのプロが、なんで野菜なんや!(笑)」
「それにバッタも乗せるで(キリッ!)」
「ダッハッハ! 乗せてどないする! もっとちゃんとしたもん作れよ、壺とか扇子とか(爆笑)」
「見て見てー、オレなんか角煮やねん。ほら、ホンマもんにしか見えへんやろ?」
「ナハハハハ! だから、なんで角煮やー! おまえらメッチャおもろいな! 天才か、吉本行け」
みたいな会話をしていたことであろう。
嗚呼、なんてマヌケでステキなんだ、古代中華の人!
このように、故宮博物院は行く価値のある観光スポットといえる。
そこで我々が感じられることとは、中華4000年の悠久の歴史、すばらしい技術の極み。
そしてなにより、当時のマイスターたちによる
「オレたちの、おもしろセンス大爆発」
といった、古代からの中二病的メッセージなのである。