前回に続いて、鴻巣友季子『明治大正翻訳ワンダーランド』を読む。
黒岩涙香先生は自らの本棚に「読破書斎」という、シブすぎる名前をつけていたというエピソードを前回は紹介したが、そんな探偵小説の開祖であり、ミステリファンなら足を向けて眠れない涙香先生。
この『ワンダーランド』によると、先生のすてきなエピソードが、さらに満載で楽しい。
涙香先生は作家であると同時に、海外(西欧)の作品を日本に紹介する翻訳家としての顔も持っていた。
先生の翻訳には、大きな特徴があった。
たとえば、代表作であるアレクサンンドル・デュマの『鉄仮面』。
ストーリーは、ルイ14世にひどい目に合わされた騎士「有藻守雄」(当時は外国の話でも登場人物を日本名にするのは普通だった)が、フィアンセである男装の麗人とともに、復讐を誓うところからはじまる。
それを邪魔する裏切り者「鳥居立夫」。
そこにさらに、あやしげな女占い師や王党派のスパイなどがからみあう、豪華絢爛な一大スペクタクル。
山あり谷あり、どんでん返しの連続連続また連続で、全編エンタメ魂がこれでもかと盛りこまれた娯楽作に仕上がっているという。
後半など、もう怒濤の展開で、
死んだと思っていた主人公が実は生きていたどころか、その死体は実は鳥居立夫のものだが、この鳥居も本当はまだ息があって埋葬されそうになったところを脱出して、じゃあ主人公はどうなったのかといえば別の場所で殺されており、話は終了かと思えば、それはなんと腹心の部下が身代わりになったものであり、その犠牲をともないながらもバスチーユの牢獄から劇的に脱出し、クライマックスでフランス・オーストリア国境でヒロインと劇的再会を果たし、フランスへと向かい見事復讐をやり遂げ幕を閉じる。
改行もなく、一気に書ききってしまって
「読みにくいし、展開わかんないよ!」
そうつっこまれる方も、おられるかもしれないが、安心してほしい。
書き写している私だって、ちっともわからないのだから。
ともかくも、日本の昼ドラも真っ青の、ドラマ、ドラマ、またドラマという、『鉄仮面』は「ご飯特盛り」な壮大な物語ということになっているのだ。
さすがはデュマである。これだけの活劇をひとつの物語に詰めこむのは、ただものではない。
そう感心した鴻巣氏は、職業的好奇心から、
「他の人の訳だと、どうなのだろう」
現代語訳のものを読んでみたのであったが、ここでひっくり返ることとなる。
それは物語後半部分。
涙香先生の訳では、
「途中で主人公は死んだ、と見せかけて実は生きていました」
という、どんでん返しがあって、読者はアッとなるわけだが、ところがである。
実際にデュマの原作だと、なんと主人公は本当にここで死んでいたのだ。物語はそこで終了。
え? おしまい?
そう、涙香訳ならその後に続くはずの、ドラマチックなバスチーユ脱獄劇、死体の入れ替わりトリック。
ヒロインとの再会、クライマックスの復讐劇、これすべて涙香先生の「創作」だったのである。
ひええええ、そんなことしてええんかいな。
どうも涙香先生、原作を読み終えたとき、
「なんだこれは。主人公が死ぬなんて、娯楽小説の仁義にもとる!」
大いに憤慨。
「オレ様がもっと、おもしろくしてやる!」
勢いのまま筆をとり、後半部を書き上げたそうなのだ。
すごい。まさにこれこそエンターテイナーだ。
読者がよろこんでくれるなら、著作権など風の前の塵に同じ。
納得いかなきゃ、作りゃあいい。なんて男らしい。
しかもその内容も、これでもかという「全球フルスイング」なシロモノ。涙香先生渾身の「翻訳」である。
この涙香先生、根っからのエンターテイナーで、『鉄仮面』連載中に風邪を引いてしばらく休載した時には、熱にうなされながら
「どうしたら、もっとおもしろくできるのか、どう書けば読者はよろこんでくれるのか」
そんな、うわごとをいっていたそうである。
まあ、小説を読んだり映画を観たりしながら、
「おしい、あそこを、こうやったら、もっとよくなるのに!」
なんて、野次馬的に思うことはよくあるけど、本当にそれをやっちゃうのがすごい。というか、怒られます。
やはりここは、涙香先生版『新世紀エヴァンゲリオン』を書いてもらうのがよかろう。
テレビ版のあのラストを見たら、きっと、
「娯楽アニメの仁義にもとる!」
てなって、山あり谷ありの「本当の最終回」を作ってくれるのではなかろうか。超読みたいんスけど。
(続く)