「将棋は馬を作るのがいいんですね」
そんなことを言ったのは、今は亡くなってしまった村山聖九段であった。
なんでも大山康晴十五世名人と対局した際、馬を作って活用する指し回しに感銘を受けたからだそう。
たしかに馬という駒は、竜とくらべて作りやすいうえに、守備力も高くてオトク感のある存在。
前回は大内延介九段が、真部一男九段から図らずも引き継ぐことになった「幻の名手」を紹介したが(→こちら)、今回も角や馬が乱舞する将棋を見ていただきたい。
2001年の第42期王位戦。
羽生善治王位に挑戦したのは、屋敷伸之七段だった。
羽生と屋敷のタイトル戦はこれが初めて(であり意外なことに唯一となった)ということもあり、熱戦が期待されたが、当時の羽生はタイトル五冠を保持する充実ぶりで、強敵相手に2連勝の開幕ダッシュを見せる。
挑戦者が負ければ、ほぼお終いの第3局。
羽生の四間飛車に急戦を選んだ屋敷は、機敏なステップで角交換に成功し、自分だけ飛車先を突破するという、大きな戦果をあげる。
序盤でポイントを取られた羽生は、ひねった手順で飛車をさばこうとするが、屋敷も冷静に応対し微差ながらリードを保つ。
むかえたこの局面。
▲44角と打って、屋敷がやれるのではという評判だった。
直接のねらいは▲54歩で、△82玉と先逃げすれば、▲37歩と打って飛車が死ぬ仕掛け。
以下、△35飛、▲同角、△同歩、▲31飛で、あとは
「鬼よりこわい二枚飛車」
で攻めたてれば、先手陣が盤石なこともあって優勢だ。
後手は△38飛成と飛車を助けるが、やはり▲54歩がド急所の一撃。
3連敗ではシリーズが盛り上がらないと、つい屋敷に肩入れしてしまう控室の面々も思わずひざを乗り出すが、ここで羽生に好手が出る。
△35角と打つのが、なるほどと言うしのぎ。
▲11角成は攻め駒が逆方向に行くから、△57桂と攻め合って、こっちの方が速い。
▲53歩成も、△同金、▲同角成、△同角、▲52金に△43角がピッタリ。
あざやかな切り返しで、一撃必殺をねらった屋敷の意図をくじくことに。
やむを得ず、▲35同角とするが、△同竜で後手が厚い形。
ここで屋敷は自信がないと感じたという。
そこからもねじり合いは続くが、羽生がこまかくポイントを稼いでいる感じで、いつのまにか後手もちの形勢に。
当時話題になったのが、この局面。
先手陣もまだ金銀4枚が残っていて、すぐに切り崩す手はまだ見当たらないが、ここで後手に決め手がある。
△27角と打ったのが「大山流」の辛い手。
フワッとしているようだが、次に△63角成と引きつければ、後手玉は無敵状態で、まったく手をつけるところがない。
「馬は自陣に」の格言通り。これで後手は負けようがない陣形に。
以下、△26歩から、着実なと金攻めが間に合って圧勝してしまう。
この一局にはちょっとした後日談があって、勝又清和七段の本によると、将棋連盟でこの将棋を並べていたら、そこに佐藤康光九段が通りかかった。
△27角を見ると「それはいい手ですね」と感心。
さすが、トップ棋士は一目で感触の良さがわかるのだ。
そこで「羽生さんが指したんですよ」と教えると、佐藤は一瞬、
「あ、しまった」
という顔をしたそうである。
私はこのエピソードが大好きで、うっかりライバルをほめてしまった「うかつさ」に、自分で腹を立てたのだろうが、それがつい顔に出るのが、なんとも会長らしい。
今の若手でも、八代弥七段なんかが、
「(ふだん仲の良い)高見や勇気や三枚堂の活躍してるところは見たくない」
なんてインタビューで語っていたし、そういう若者の対抗心はいいもんであるなあ。まぶしいッス。
(大山康晴十五世名人の横歩取りでの受け編に続く→こちら)