「おいおい、【詐欺師の手口】って、なんやねん」
この間、そんなLINEを送ってきたのは、友人フカリバシ君であった。
先日、中原誠名人が見せた、執念ともいえる名人防衛劇を紹介したが(→こちら)、友はそこで米長邦雄九段が口にした、
「詐欺師の手口」
という言葉にひっかかり、それってなんじゃらほいと、連絡してきたのだ。
こちらとしては、藤井聡太三冠が竜王も奪取、「最年少四冠王」で大盛りあがり、でも関西人としてはとよぴー無冠で、素直にはしゃげないなあ……。
……みたいなことを書こうとしてたうえに、さすが昔の話で資料も残ってないので、ここは華麗にスルーしたかったが、自分で書いたものはしょうがない。
ということで、当時のことを思い出しながら少し説明してみたい。
「詐欺師の手口」とは、この名人戦を総括した米長が、中原の見せた勝負術を評した言葉。
1992年、第50期名人戦で、高橋道雄九段の挑戦を受けた中原は、1勝3敗という崖っぷちから、3連勝で奇跡の逆転防衛。
将棋の内容的には、高橋が押していたため、これはスコア以上の大逆転感があったが、ここにひとつ、このシリーズを語るアヤがあった。
決着後の評論や観戦記などで、こう書かれることが多かったからだ。
「高橋は、苦手の横歩取りをぶつけられたせいで、名人になれなかった」
たしかに、結果だけ見れば、そういうことはできる。
高橋は矢倉で3勝したが、相掛かりと横歩取りには1勝もできず、シリーズも勝つことができなかった。
流れ的にも、データ的にも、それは間違っていない。
これを後押ししたのに、米長の観戦記があり、そこで出たのがこの言葉なのだ。
他人の、それも名人の将棋をつかまえて詐欺よばわりとは、ずいぶんと剣呑だが、そこで米長は高橋の将棋を
「田舎から出てきた、働き者で実直なお父さん」
に例えて話を進める。
今期の名人戦は、高橋道雄九段が中原誠名人に、
「矢倉で決着をつけましょう」
と提案し、名人もそれに乗ったと。
ところが、名人の方はいざ自分が負けそうになると、
「矢倉で決めるとか、それは口約束に過ぎない」
お父さんが苦手とする空中戦法を駆使して攪乱。
そのまま、上着のポケットから財布をスるようにして(と米長は例えていた)、
「矢倉で名人になる」
と決意していたお父さんとの紳士協定を、ごまかしてしまったと。
おしゃべりや文章が、うまい人にありがちな、
「気の利いたことを言おうとして、かえってわかりにくくなる」
という、若干めんどくさい言い回しだが、要するに、
「高橋君の将棋はすばらしかった。相手が堂々と戦ってくれば、君が名人だった」
弟弟子をはげまし、中原には、
「アンタ、名人とか言うたかって、結局は矢倉から逃げてのことですやん」
そう苦言を呈し、さらには、
「でも、それでキッチリ勝ったアンタは、やっぱすごいですけどな」
ついでに称賛もするという、やはりここでも
「矢倉は将棋の純文学」
「相矢倉戦を制してこそ、真の王者たりうる」
との「矢倉原理主義」が顔をのぞかせるという、なんとも持って回った一文だったのだ。
さすがに当時の『将棋マガジン』は手元にないから、間違ってるところもあるかもしれないけど、だいたいのニュアンスはこういうものであった。
『米長の将棋 完全版』の2巻に、米長が名人になった期のA級順位戦(中原-高橋戦の翌期)を自戦解説している章があるのだが、そこで少しだけそのことに触れている。
「なるほどねえ」というところで、一応それが「結論」ということになったのだが、話はここで終わらなかった。
これに、高橋道雄が反論したのだ。
たしか、その一年後に今度は米長が挑戦者になったときだったと記憶するが、自分のことをフォローしてくれた兄弟子には申し訳ないけど、それはちょっと違うと。
自分は横歩取りは苦手どころか、むしろああいう、飛車角桂で軽く飛びかかっていくような将棋は好みだし、得意でもあると。
先輩に対して静かな口調ではあるが、ハッキリと反論。言うもんである。
最初これを読んだときは、
「まあ、負けてくやしいもんな。【苦手】【弱点】とか決めつけられて、ちょっと言い返したくもなりますわなあ」
なんて「負け惜しみ」と思いこんでいたのだが、その後、高橋道雄は横歩取りの革命であった
「中座流△85飛車戦法」
が出てきたとき、これを見事にマスターしてA級に返り咲いたこともあった。
2008年、第67期B級1組順位戦の最終局。
8勝3敗で自力昇級の目を持った高橋と、キャンセル待ち3番手ながら(高橋との直接対決のため実質2番手)チャンスがある行方尚史八段との一戦。
大一番は横歩取りから難解な空中戦が展開されるも、高橋が制勝。
このころはこの形で勝ち星を稼ぎ、高橋にとってはまさに、A級復帰の原動力となったドル箱戦法であった。
たしかに、高橋は横歩取りが「苦手」なんかではなかった。
いや、もしかしたら若いときはそうだったかもしれないが、たとえ後付けでも、
「有無言わさぬ結果」
で応えられたら、それには敬意を表するしかない。
わかったようなことを言わないでほしい。オレは【苦手】をぶつけられたんじゃない。セコい手で撹乱されたわけでもない。
相掛かりも横歩取りも、堂々と戦って敗れただけだ、と。
高橋道雄の訴える声が、聞こえるようではないか。
私だったら、すぐ乗っかって、
「そーなんスよ、ヨネ兄さん! あの人、マジでヤバいっしょ。矢倉やらんとか、名人のくせにサブいですわー。逃げまくりで、棋士の誇りとか、ないんスかね?」
とか絶対言っちゃうよなあ。
だからまあ、あの七番勝負はノーカンというか「実質名人」はもうオレでええやんとか、Twitterとかでブツブツ言うぜ。
だって、矢倉では勝ったもん!
それとくらべて、なんてプライドなのか……。
とかなんとか、別に自分が負けたわけでもないのに、我が身を恥じたものであった。
私は自分に闘争心がないせいか、こういう若者の強がりのような反応を、どこかまぶしく思えてしまう。
だから、当時のトップ棋士の矢倉へのこだわりと、高橋道雄の意地とセットで、なんとなくだが今でもおぼえているのだ。