「中原誠の名人防衛は【詐欺師の手口】」と米長邦雄は言い、高橋道雄は「違う」と応えた

2021年11月19日 | 将棋・雑談

 「おいおい、【詐欺師の手口】って、なんやねん」


 この間、そんなLINEを送ってきたのは、友人フカリバシ君であった。

 先日、中原誠名人が見せた、執念ともいえる名人防衛劇を紹介したが(→こちら)、友はそこで米長邦雄九段が口にした、


 「詐欺師の手口


 という言葉にひっかかり、それってなんじゃらほいと、連絡してきたのだ。

 こちらとしては、藤井聡太三冠竜王も奪取、「最年少四冠王」で大盛りあがり、でも関西人としてはとよぴー無冠で、素直にはしゃげないなあ……。

 ……みたいなことを書こうとしてたうえに、さすが昔の話で資料も残ってないので、ここは華麗にスルーしたかったが、自分で書いたものはしょうがない。

 ということで、当時のことを思い出しながら少し説明してみたい。

 「詐欺師の手口」とは、この名人戦を総括した米長が、中原の見せた勝負術を評した言葉。

 1992年、第50期名人戦で、高橋道雄九段の挑戦を受けた中原は、1勝3敗という崖っぷちから、3連勝で奇跡の逆転防衛。

 将棋の内容的には、高橋が押していたため、これはスコア以上の大逆転感があったが、ここにひとつ、このシリーズを語るアヤがあった。

 決着後の評論観戦記などで、こう書かれることが多かったからだ。

 


 「高橋は、苦手の横歩取りをぶつけられたせいで、名人になれなかった」


 

 たしかに、結果だけ見れば、そういうことはできる。

 高橋は矢倉3勝したが、相掛かり横歩取りには1勝もできず、シリーズも勝つことができなかった。

 流れ的にも、データ的にも、それは間違っていない。

 これを後押ししたのに、米長の観戦記があり、そこで出たのがこの言葉なのだ。

 他人の、それも名人の将棋をつかまえて詐欺よばわりとは、ずいぶんと剣呑だが、そこで米長は高橋の将棋を

 


 「田舎から出てきた、働き者で実直なお父さん」


 

 に例えて話を進める。

 今期の名人戦は、高橋道雄九段が中原誠名人に、

 


 「矢倉で決着をつけましょう」


 

 と提案し、名人もそれに乗ったと。

 ところが、名人の方はいざ自分が負けそうになると、

 


 「矢倉で決めるとか、それは口約束に過ぎない」


 

お父さんが苦手とする空中戦法を駆使して攪乱。

 そのまま、上着のポケットから財布をスるようにして(と米長は例えていた)、

 

 「矢倉で名人になる」

 

 と決意していたお父さんとの紳士協定を、ごまかしてしまったと。

 おしゃべりや文章が、うまい人にありがちな、


 「気の利いたことを言おうとして、かえってわかりにくくなる」


 という、若干めんどくさい言い回しだが、要するに、

 


 「高橋君の将棋はすばらしかった。相手が堂々と戦ってくれば、君が名人だった」


 

 弟弟子をはげまし、中原には、

 


 「アンタ、名人とか言うたかって、結局は矢倉から逃げてのことですやん」 


 

 そう苦言を呈し、さらには、

 


 「でも、それでキッチリ勝ったアンタは、やっぱすごいですけどな」


 

 ついでに称賛もするという、やはりここでも

 

 矢倉は将棋の純文学

 「相矢倉戦を制してこそ、真の王者たりうる」

 

 との「矢倉原理主義」が顔をのぞかせるという、なんとも持って回った一文だったのだ。

 さすがに当時の『将棋マガジン』は手元にないから、間違ってるところもあるかもしれないけど、だいたいのニュアンスはこういうものであった。

 『米長の将棋 完全版』の2巻に、米長が名人になった期のA級順位戦(中原-高橋戦の翌期)を自戦解説している章があるのだが、そこで少しだけそのことに触れている。

 

 

 


 「なるほどねえ」というところで、一応それが「結論」ということになったのだが、話はここで終わらなかった。

 これに、高橋道雄が反論したのだ。

 たしか、その一年後に今度は米長挑戦者になったときだったと記憶するが、自分のことをフォローしてくれた兄弟子には申し訳ないけど、それはちょっと違うと。

 自分は横歩取りは苦手どころか、むしろああいう、飛車角桂で軽く飛びかかっていくような将棋は好みだし、得意でもあると。

 先輩に対して静かな口調ではあるが、ハッキリと反論。言うもんである。

 最初これを読んだときは、


 「まあ、負けてくやしいもんな。【苦手】【弱点】とか決めつけられて、ちょっと言い返したくもなりますわなあ」


 なんて「負け惜しみ」と思いこんでいたのだが、その後、高橋道雄は横歩取りの革命であった


 「中座流△85飛車戦法」


 が出てきたとき、これを見事にマスターしてA級に返り咲いたこともあった。

 

2008年、第67期B級1組順位戦の最終局。

8勝3敗で自力昇級の目を持った高橋と、キャンセル待ち3番手ながら(高橋との直接対決のため実質2番手)チャンスがある行方尚史八段との一戦。

大一番は横歩取りから難解な空中戦が展開されるも、高橋が制勝。

このころはこの形で勝ち星を稼ぎ、高橋にとってはまさに、A級復帰の原動力となったドル箱戦法であった。

 

 

 

  

 たしかに、高橋は横歩取りが「苦手」なんかではなかった。

 いや、もしかしたら若いときはそうだったかもしれないが、たとえ後付けでも、

 「有無言わさぬ結果

 で応えられたら、それには敬意を表するしかない。

 わかったようなことを言わないでほしい。オレは【苦手】をぶつけられたんじゃない。セコい手で撹乱されたわけでもない

 相掛かり横歩取りも、堂々と戦って敗れただけだ、と。

 高橋道雄の訴える声が、聞こえるようではないか。

 私だったら、すぐ乗っかって、

 

 「そーなんスよ、ヨネ兄さん! あの人、マジでヤバいっしょ。矢倉やらんとか、名人のくせにサブいですわー。逃げまくりで、棋士の誇りとか、ないんスかね?」

 

 とか絶対言っちゃうよなあ。

 だからまあ、あの七番勝負はノーカンというか「実質名人」はもうオレでええやんとか、Twitterとかでブツブツ言うぜ。

 だって、矢倉では勝ったもん! 

 それとくらべて、なんてプライドなのか……。

 とかなんとか、別に自分が負けたわけでもないのに、我が身を恥じたものであった。

 私は自分に闘争心がないせいか、こういう若者の強がりのような反応を、どこかまぶしく思えてしまう。

 だから、当時のトップ棋士の矢倉へのこだわりと、高橋道雄の意地とセットで、なんとなくだが今でもおぼえているのだ。

 

 

 


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