大阪から、京都に行ってきた。
と言っても、遊びでなく仕事の話であって、どうしてもオンラインではすませられない案件があったため、わざわざ出向かなければならなくなったのだ。
しかも、用事は2つあって、ひとつが朝一番にすませなければならず、もうひとつは夕方。
つまり、このときの私は朝一のあと、夕方6時ごろまで、ほとんど1日、京都で時間をつぶさなくてはならなくなった。
これがふだんなら、ただのラッキーである。
仕事につきものの、銀行や役所での待ち時間とは違って、京都は世界最強クラスの観光都市。
金閣寺や清水寺のような観光地のみならず、大学が多く若者でにぎわう場所なので、オシャレなカフェや、味のある古本屋さんなどもたくさん。
時間つぶしに最適というか、むしろ時間が足りなくて困るくらいなのだ。
どっこいこれが、今のご時世、そうはいかぬ。
なんといってもコロナである。このせいで、われわれは行動に大きな制限を受けているのだ。
ましてや今の大都市は、緊急事態宣言とか、都市封鎖とかロックダウンとか、一億玉砕、本土決戦と、なにかとかまびすしい。
そんな中、ノコノコ観光などして濃厚接触者になったり、能天気にグルメを堪能して密になったり、
「清水の舞台から飛び降りて落下しながら、連続写真を撮ってる人の写真の中で1枚だけ、目を合わせられるかやってみた」
みたいな動画をYouTubeにアップしたりすれば、すぐさま炎上しかねない。
そこで、京都によく出張しているという友人スザク君に電話してみると、
「あー、それやったら、ふつうに観光したらええんちゃう?」
なにを言っとるのか、この男は。
今の世で観光など楽しんでは、すぐに六波羅探題に通報されて、営巣入りの上にムチ打ち、水責め、最近見たアブノーマルな桃色動画を強制公開などの罰を受けかねない。
こういうヤカラがいるから、いつまでたっても事態が好転しないのだとビシッと言ってやると、
「大丈夫っしょ。なんせ、今の京都はどこもガラガラやし」
ガラガラ?
それはまた妙である。
京都と言えば、だれもが認める世界レベルの観光地。そこに人がいないなど、ありえるのか。
私も学生時代は、京都の大学に通う友人がいたし、ラジオ番組『サイキック青年団』のイベントを見に丸山公園には出かけた。
丸善で読めもしない洋書をあさったり、下鴨神社をはじめとする古本市も楽しみで、京都に遊びに行く機会は結構あったが、まあどこも、人が多い印象だった。
特に、一度ゴールデンウィークにガッツリ観光したときには、清水寺や金閣寺に銀閣寺など、京都のゴールデンコースともいうべき場所ばかり選んだせいで、とにかく人混みがすごくて辟易した。
昔、撮った清水寺の写真。このあと、欄干の底が抜けます
一番ビックリしたのが、河原町でバスに乗ろうとしたとき。
満員で、しょうがないので次のにしようと、食事を済ませてからバス停に戻ったら、なんと渋滞のせいでスルーしたハズのバスが、最初見た場所から、1ミリも動いていなかったこと。
これには、どんだけ人おんねんと、自分の頭数を棚に上げて、あきれ返ったものだが、それくらい京都と言えばにぎやかなのである。
それがまさかのノーマンズ・ランドとは、言われてみればニュースなどでも取り上げていた気はするが、あらためて言われると、やはりリアリティーがない。
「ホンマに? 昔、清水さん行ったときは、満員で圧死しそうやったで」
これにはスザク君もケラケラ笑いながら、
「そう思うやろ? でもそれが、ガラガラやねん」
ガラガラ。
「そう、ガラガラのスッカスカ」
スカスカ。
「でもってユルユルで、もうピーヒャララや」
ガラガラのスカスカのユルユルで、もうピーヒャララ。
信じがたい話だが、京都のスペシャリストがいうのだから、本当なのだろう。
そう聞くと、なんだか断然、行かないと損のような気がしてきた。
「ええんちゃう? 要するに、人と接触したらアカンわけやけど、どこも人おらへんねんから」
そうやよねえ。
「それに、どっちにしても、どっかで時間つぶさなアカンねやろ? それやったら、結局なんなり店とか施設とかには入るわけやし」
せやねん。
これが冬でないなら、鴨川から三条くらいまでを、のんびり散歩でもするのもええんやけど、なんせ寒いからなあ。雪も降りそうやし。
カフェや喫茶店でビバークするなら、やはり人との接触は避けられず、ならどこでも同じようなものであろう。
よし、決めた。ここは一番、京都を観光する。
もし行ってみて、人が多ければそこで方向転換をすればいいし、万一炎上しても、最悪スザク君の写真とツイッター、住所、電話番号を公開して、
「この人に、そそのかされました。つるし上げてください」
とバックレれば無罪である。
そうとなれば、善は急げ。私はこの上洛計画を「雪の嵐作戦」と命名。
一路電車に乗りこみ、約束の地、京都へと旅立ったのである。
(続く→こちら)