「これは辛い手ですねえ」
解説者が感嘆したり苦笑したりするのは、将棋の終盤戦でよく見る光景である。
将棋というゲームは王様を詰ませれば勝ちだが、局面によっては一気に攻めかかるよりも、「辛い手」を出した方が、結果的に早く勝てるというケースが結構ある。
前回は若き日の森内俊之九段と、佐藤康光九段の熱戦を紹介したが(→こちら)、今回は手だけでなくシチュエーションも「辛い」将棋を紹介したい。
2012年、第70期B級1組順位戦で、藤井猛九段は試練にさらされていた。
前期、10年定着していたA級から陥落し、出直しとなったB1でも、開幕6連敗という絶不調に見舞われていたのだ。
陥落の憂き目にあったとはいえ、
「藤井なら、1期ですぐ戻るだろう」
そう予想されていただけに、まさかといったところだが、そこはさすが、トップ棋士の底力。
急ブレーキをかけて、そこから3連勝と星を戻していく。
だが悪い流れは完全には止まりきらず、そこからさらに2つ黒星を食らって3勝8敗で最終戦に。
これに負けると即陥落で、仮に勝っても、競争相手の鈴木大介八段に勝たれると、やはり落ちてしまう。
そうなれば、悪夢の2期連続降級。
A級棋士が、たった2年でB2まで落ちてしまうのだから、不調の波というのはおそろしいものである。
剣が峰の藤井は、最終戦で行方尚史八段と戦うことに。
これがまた組み合わせの妙というか、藤井と行方とは、ふだんは仲の良い間柄で、最近では文春のインタビュー記事にもなっている(→こちら)。
行方といえば、その鋭い終盤力や、ねばり強さとともに語られるのが
「振り飛車破りの達人」
であることだが、それは藤井相手に山ほど、対抗形のスパーリングを積んだから、といわれているのだ。
2002年の銀河戦における、行方-藤井戦。
▲45桂の「富沢キック」(かつて富沢幹雄八段が得意とした「飛び蹴り」とも言われる奇襲)を、藤井は軽視していた。
以下、△同歩に▲33角成、△同桂、▲24歩から飛車先を破って、難解ながら先手ペース。
また、この2人の順位戦には因縁があり、数年前に行方はA級に昇級するも、2勝7敗という成績で「日帰り」を余儀なくされた。
このとき、8回戦で行方に引導を渡したのが、藤井猛の振り飛車穴熊であったが、数年後には立場が逆転しての勝負。
2012年のA級順位戦。
行方は負ければ即降級で、藤井も勝たないと、わずかながら落ちる目がある大一番。
▲85桂と跳んだのが疑問で、ここは▲94歩、△同歩を入れてから、▲85桂打なら熱戦が続いていた。
単に▲85桂だと後手陣にアヤがついていないし、▲77の桂がいなくなることで、先手陣がうすくなりすぎている。
以下、△58角成、▲同金、△48竜、▲同銀、△49角、▲57金、△67香成と猛攻をかけて、後手勝ち。
まさに「血涙の一戦」で、戦型は藤井が角交換振り飛車から、ふたたび穴熊にもぐると、行方もまた「あのとき」と同じく銀冠に組む。
途中、藤井は指せると見ていたようだが、実際は難解だったようで、行方がリードを奪って終盤戦へ。
2枚飛車が強力で行方が優勢。
ただ後手も馬を引きつけ、金底の香もあって、まだ攻略に時間がかかるかもしれない。
一目は▲71銀のような手だが、△76桂と打たれるのも怖い形。
それでも勝ちだが、ここで行方が選んだ手が、まさに「激辛」だった。
▲77歩と、急がず自陣に手を入れる。
これで後手から速い攻めがなく、あとは、敵陣のと金を活用していけば、自然に勝ちが転がりこんでくる。
困った藤井は、△72金右と割打ちを防ぐが、次の手がまたエグイ。
▲87銀と、さらに補強するのが、激辛を超えたデスソース。
絶対に負けませんという手で、行方の強い意志を感じる。
そういえば行方の師匠は、大山康晴十五世名人だったなあとか、そんなことを思い起こさせる、トドメの一撃だ。
最後に残された、望みの綱ともいえる△76桂を消すだけでなく、強靭な銀冠まで再生して、これで後手に指す手がない。
力なく△74桂と打つが、▲44飛成、△64銀、▲42と、△65銀、▲64香で藤井投了。
文字通りの
「友だちをなくす手」
で地獄に落とされた藤井だが、
「落ちたら、何度でも上がればいい」
力強く宣言して、翌年のB2順位戦では、昇級候補の筆頭だった豊島将之に快勝するなど、9勝1敗で、見事に1期での復帰を達成する。
また、このころB1に定着してしまった感のあった行方も、なにかが吹っ切れたのか、翌年には11勝1敗のぶっちぎりで、A級にカムバック。
それどころか、A級2期目には名人挑戦を果たすなど、大爆発を見せてくれたのだった。
(羽生善治と大山康晴の異筋の角編に続く→こちら)
(藤井猛がA級から叩き落とされた将棋は→こちら)