オーストリアの元祖「クレーキング」トーマス・ムスター

2017年05月25日 | テニス

 クレーコートの王者といえばトーマスムスターである。

 テニスの世界にはのコートで無類の強さを発揮する「スペシャリスト」が存在する。

 彼らのことを知りたければ、フレンチオープンの歴代優勝者のリストを見れば話が早く、9度(!)の優勝を誇るラファエルナダルや、やはり3度優勝のグスタボクエルテン

 その他カルロスモヤフアンカルロスフェレーロセルジブルゲラなど主にスペインの選手が目立つわけだが、私が個人的に

 

 「クレーの王者」

 

 と聞いて思い浮かべるのは、世代的にトーマス・ムスターだ。

 ムスターは1980年代後半から、90年代にかけて活躍したオーストリアの選手。

 クレーコーターらしいタフなプレースタイルと、サウスポーから繰り出されるパワフルなフォアハンドが持ち味だった。

 トーマス・ムスターと聞いては、まず、あの悲惨な事故のことからはじめなければなるまい。

 1989年リプトン国際で、トーマスはトーナメントの山をかけ上がり、準決勝でフレンチ・オープン優勝経験もあるヤニックノアを破って決勝に進出する。

 だがそこに、まさかの悲劇が待っていた。

 試合を終えたほんの数時間後、トーマスは酔っぱらいの運転するにはねられて、を負傷してしまうのだ。

 当然、イワンレンドルが待ち受ける決勝戦不戦敗に。

 いや、それどころか想像以上の大ケガであり、ツアーから長期離脱を余儀なくされたのである。

 半年近くコートに立てないこととなったトーマスは、回復どころか、選手生命の危機ともささやかれたが、ここからコート上で見せる以上の、不屈闘志を発揮し周囲をおどろかせることになる。

 車いす生活を送りながらも、カムバックにそなえ上半身だけでトレーニングを行った。ラケットを握って、腕だけで貪欲にボールを打ち続けた。

 試合や練習でのケガならともかく、愚かな酔っぱらいの過失だ。あまりにもバカバカしい人生の不条理。
 
 並の精神なら、自らの運命を呪い、やけっぱちになってもおかしくないというのに、トーマスはそれを受け入れた

 そしてただ、黙々と練習とリハビリに打ちこむのだ。

 泣き言を言っても仕方がない。なげいて歩みを止めれば、その分時間を無駄にするだけ。

 だったら、すぐに回復のため努力するのが正解なのは道理だ。

 もちろん、理屈ではそうであろうが、人間なかなかそう簡単に割り切れるものでもないはずだ。

 だが、トーマスはそれをやり遂げた

 彼はその疲れを知らないテニスのスタイルでもって

 

 「ターミネーター」

 「ダイ・ハード」

 

 あるいは怪物並のタフさから

 

 「ムンスター」

 

 などと呼ばれたものだが、それはただ彼がコート上で強かっただけではなかったのだ。

 静かな努力が花開いて、トーマスは見事にコート上に返り咲く

 いや単に戻ってきただけではない。より強く、よりタフになって帰ってきた。

 彼はその年、第一線から遠ざかっていた鬱憤を晴らすようにフレンチオープンベスト4に進出。

 その他の大会でも、離脱前におとらぬプレーを披露し、見事1990年ATPカムバック賞を獲得するのだった。


 (続く→こちら








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