前回(→こちら)の続き。
酔っ払い運転にはねられて、選手生命の危機におちいったオーストリアのテニス選手トーマス・ムスター。
不条理な痛みに耐え、見事ツアーに返り咲いた不死鳥トーマスが、もっとも輝いた年が1995年だった。
得意のクレーシーズン、モンテカルロ・オープン決勝でボリス・ベッカーを破って優勝するなど好調をキープ。
勢いにのって、フレンチ・オープンでも初の決勝に進出。
ファイナルでは、6年ぶりの優勝をねらうマイケル・チャンをストレートで一蹴し、見事初優勝を飾ったのだ。
かつてのチャンピオンで、ねばり強さでは定評あるマイケルをまったく寄せつけなかったのだから、このときのトーマスは本当に強かった。
決勝戦で、マッチポイントを決めた、まわりこんでのフォアの逆クロスもすごかったが、個人的に印象に残っているのは、準決勝の映像。
そこではロシアの新星エフゲニー・カフェルニコフと相対したのだが、あまりのトーマスの頑強なテニスの前に、さしもの「殺人ストローク」が売りのカフィも、手も足も出ない状態になっていたのだ。
打っても打っても、それ以上の強烈なショットが跳ね返ってくる。
まだ中盤なのに、すでに持ち弾のなくなったカフィは、なんと意表のサービス&ボレーを披露しはじめた。
球速の遅いクレーコートで、しかも本来ならグラウンド・ストローカーのカフィがサーブを打ってすかさずネットにつく。
無謀というか、ほとんど旧日本軍における玉砕「バンザイ・アタック」と変わらない暴挙だ。
現に、ほとんどその成果は見られず、何度もパスで抜かれてカフィは大敗する。
だが、そんな奇襲というか、はっきりいってやけくそに頼らなければならないほどに、当時のトーマス・ムスターをクレーで攻略するのは困難だったのだ。
まさに、元祖「クレーモンスター」であった。
そんな強すぎるトーマスであったが、現クレーの王者ラファエル・ナダルと、少しばかり違うところはといえば、これ。
彼が本当にクレーの「スペシャリスト」だったこと。
フレンチ・オープンをはじめ、土のコートでは無敵の強さを見せるナダルだが、ウィンブルドンやUSオープンなど、芝やハードコートのビッグタイトルも手にしている。
プレースタイルこそ土が基本に置くけど、ラファはもっと幅広い世界に適応して登りつめたところが現代的だったが、トーマスの場合は本当にクレーコートこれ一本。
職人気質の専門家といえば聞こえはいいが、まあ平たく言えば土以外では並の一流選手といったところ。現に一度は世界ランキングでナンバーワンになりながらも、
「1位っていっても、クレーコートでしか勝ってないじゃん」
なんて批判されたものだ。
トーマスからすれば、別にルールに反しているわけでもないし、グランドスラムのタイトルも取っての栄冠なのだから、揚げ足を取られる筋合いはない。
わけではあるけど、まあ見ている方としては、多少は言われても、しょうがないかなという気はしないでもない。
やはり、世界ランキングナンバーワンといえば、1年を通じてオールラウンドに活躍する選手がなるイメージがある。
レンドルやベッカー、サンプラスやアガシにしても、幅広い大会でタイトルを取っているが、いかんせんトーマスはクレーコートに偏りすぎだ。
特に球速の速い芝のコートは大の苦手にしており、ウィンブルドンは4度出場して、すべて1回戦負け。
ローラン・ギャロスを取った1995年以降など、ぶんむくれて出場すらしなくなってしまったくらいだ。
そんなトーマスの極端なテニスのスタイルを象徴しているのが、たしか1997年だったかのオーストラリアン・オープンのこと。
全豪はリバウンドエースという比較的遅めのハードコートを敷いていたので、トーマスにもそこそこ戦いやすかったか2度ベスト4に入っているが、ある試合後のインタビューで記者から、
「あなたはクレーコートでは最強だが、ハードコートでもやはり、そのプレースタイルを変えるつもりはないのか」
これに対してのトーマスの返事が、
「オレは今日、3本もボレーしたんだぜ。まだ文句があるのかい?」
3本「も」というのがイカしているではないか。
これはまっすぐな回答なのか、それともひねった自虐ユーモアなのか。
なんとも判断に苦しむところが、おもしろい。
あのパワードスーツでも着こんでいるような頑強なストローク力と、耳から湯気の出そうなうなり声は、はっきりいって洗練さのかけらもなかったが、その無骨なところがトーマスの魅力でもあった。
決して華のあるタイプではなかったが、かつてのローラン・ギャロスは彼のようなプレーヤーこそが映えたのだ。
現在、後輩であるドミニク・ティームが、かつての「スペシャリスト」のような、スピンの効いたショットを武器に、クレーで好成績をおさめている。
今のところはまだ、ラファエル・ナダルやノバク・ジョコビッチ相手に授業料を払わされている段階だが、いずれ大きな結果を残せる才能であることは間違いない。
大先輩に続いて、いつフレンチのタイトルをオーストリアに持って帰れるか、要注目だ。
■おまけ 1995年フレンチ決勝の動画は→こちら