前回(→こちら)の続き。
急な出張で、このご時世ながら、やむを得ず京都に出かけることとなった私。
空き時間をどうするかが悩みどころだったが、京都にくわしい友人スザク君によると、どこもコロナのせいでガラガラらしく、ならばと少し観光をしてみることにした。
このオペレーション「雪の嵐」では、密を避け、「このご時世に」という炎上もまた回避しながら軽やかに観光を済ませ、できれば都のおいしいものも堪能する。
という、コソコソ……もとい有事における、シブい隠密行動ということになっているということで、しっかりマスクをして、ガメラとイリスが壊したことで有名なJR京都駅に到着。
京都駅のシンボルである京都タワー。
有事には報復兵器として飛び、瀬戸内海を越え、徳島市民を恐慌におとしいれる。
今回それに挑む私は、エーリヒ・ハインツ・マリーア・フォン・リリエンシュターン武装親衛隊少尉。
遠くバンゲリング帝国の地から密命を帯びて、極東までやってきた、スゴ腕の戦車乗りという設定である。
というと、おいおい、おまえは急に何を言っているのか。
帝国とか武装親衛隊とか、その中2病的なノリはなんだ、という人はいるかもしれないが、実はこれが、なにげに国内旅行を楽しむコツ。
たしかに日本は風光明媚でご飯もおいしく、旅をするにはいいところが多い。
が、われわれ日本人には、やはり言語面でも文化面でもなじむところはあり、旅の醍醐味であるカルチャーショックのようなものは希薄だ。
そこで、いったん自分の中にある「日本人的感性」をリセットして、あたかも外国から来た旅人の目線で、日本をながめてみる。
そうすれば、そこはなじんだ「地元」ではなく、見たこともない文化を持った「神秘の国」としての一面が浮かび上がってくるのだ。
これはオススメなので、ぜひやってみていただきたいが、今回ターゲットに選んだのは二条城。
理由は仕事の行き先が烏丸御池であったということだが、これまでの京都訪問で、ここは一度も訪れたことがないため。
いや、正確には子供のころ「鴬張り」でキュッキュいうのを聞いて、
「うわー、ホンマに鳴るんや」
とか思った記憶がうっすらあるから、たぶん遠足かなにかで行ったことがあるんだろうけど、なんせまったく覚えていない。
そもそも、大阪人(少尉は浪花系帝国人なのである)にとって京都は関東の人ほどには、ありがたく感じないもの。
それはなまじ近場で、実態を知っているため幻想がないことと(姉ちゃんがいる男子が女のリアルを知ってるようなものですね)、あとは
「修学旅行や遠足でムリヤリ寺ばかり見せられて、すこぶる退屈だった」
という記憶があるせいなのだ。
大人になったら、それが楽しいのであるが、子供が神社仏閣見ても、文字通り猫にドゥカート金貨。
大阪人はたぶん、京都よりも神戸の方にあこがれている気がするから、そっちに感動がない。
てか、正直、遠足とか修学旅行は、全部ディズニーランドかUSJとかでいいと思う私なのです。
絶対そっちのほうが、いい思い出になるだろうしなあ。
それはともかく、もう30年以上ぶりくらいの訪問となれば、もはや初体験と同じ。
童心に帰ったわけでもなかろうが、なんとなくワクワクしながら二条城にと見せかけて、全然知らん公園に到着。
どこやねんここは!
ここで、久しぶりに、ハタと思いいたる。
おお、これは少尉の必殺「方向音痴」ではないか!
海外旅行が趣味であり、いろんな国をバックパッカーとして回った私であるが、こう見えてメチャクチャに方向感覚がない。
コンパスで確認しても、3回くらい角を曲がると、もうどっちを向いているかわからないという、悲惨な体内ナビ。
もちろん、地図を見るときは北を上方向にしないと読めないというスカタンであり、
「目的地はモスクワ。パンツァー、フォー!」
号令をかけ、気がつけばノルウェーのバルフィヨルドに着いている、というくらい迷子の子猫ちゃんである。
このときも例にもれず、烏丸御池から散歩がてら北西に歩くはずが、どうも北東に向かってしまったよう。
これで気づかないんだから、我が脳みそは穴だらけのスポンジである。寒さと情けなさに、しばし立ち尽くすのみ。
とはいえ、この公園もそこそこの大きさで、実は名のある場所なのかもしれない。
昔と違って、現代はスマートフォンという秘密兵器がある。
これは旅でも本当に役立つもので、地図や検索機能、ヒマつぶしのゲームなど、旅に便利な機能がたくさん。
私の買った機器は電話以外も、懐中電灯、ナイフ、縄梯子、望遠鏡、呼子の笛、時計、磁石、メモとペン、小型ピストルなどの機能を持ち合わせたスグレモノなのだ。水にも溶けるぞ。
そこでグーグルマップを開いてみると、どうやらここは御所らしい。
御所ということは、かつては天皇が住んでいた場所ということで、おお、これはなかなか神聖ではないか。
建物の中は入れないようだが、公園内は散策できる。
地図を見ると、歴史の教科書に載っていた「蛤御門の変」で有名な蛤御門があったりして、なるほど、たしかにしっかりと観光地だ。
とここで、今の京都がどうなっているかといったら、こんな感じ。
京都のラウンドワンにある「ストラックアウト」。
全然人がいない。
京都のスペシャリストであるスザク君から、聞くのは聞いていたが、それでも聞きしに勝る真空地帯である。中性子爆弾でも、落ちたんやろか。
文字通り「人類最後の男」「アイ・アム・レジェンド」となった私は、SFな気分を満喫しながら、だれもいない御所を散策。
ときおり、近所の住人らしきおばあさんが、そこらをユラユラ歩いていたりしたが、それは、
「人類が滅亡したあとも、そのことに気づかず、エネルギーが切れるまでマスターの命令を待ち続ける、老人型ビジュアルの子守ロボット」
そう解釈することによって、ますます終末SFの空気感が感じられ、この非日常感が良いものだ。
気分はネヴィル・シュート『渚にて』か、レイ・ブラッドベリ『歌おう! 感電するほどのよろこびを!』。
なるほど、スザク君はよく、
「冬の京都は、寒いけど味があるで」
なんて言ってたものだが、人がいない寒々しさが、かえって味を増している感じだ。
ミッシェル・ガン・エレファント『世界の終わり』を聴きながら、深く納得した次第である。
(続く→こちら)