大山康晴十五世名人といえば、盤外戦術である。
大山の伝記である『大山康晴の晩節』を書いた河口俊彦八段をはじめ、
「大山は盤上でも盤外でも、ライバルを徹底的に叩いて、その才能の芽をつぶしてきた」
そう語る人は多いが、たしかに大山はときに不可解ともいえる勝ち方を披露し、対戦相手や観戦者の心をざわつかせ、やりきれない「しこり」のようなものを残すのだ。
前回は、若かりしころの加藤一二三九段との名人戦で見せた、「町人根性でいたぶ」るような、残酷な指しまわしを紹介したが(→こちら)、もうひとつ、かなり決定的な将棋がある。
1983年、第41期A級順位戦。
大山康晴十五世名人と、二上達也九段の一戦。
大山は二上のことをカモにしており、通算で116勝45敗。
タイトル戦でも20回戦って、18勝2敗という、とんでもない大差になっている。
そのことをあらわすように、この将棋も大山が好きなように指して、中盤以降は大差になってしまった。
実はこの一局、負けたほうが、ほぼ降級が決まるという裏の大一番だったが、こういう勝負将棋で、無類の強さを発揮するのが、大山康晴のすごさだ。
そうしてむかえたのが、この場面。
先手は美濃の堅陣がそのままで、すべての駒がさばけて、振り飛車の理想形。
一方、後手は玉が、まるで追剥にでもあったように、裸にむかれているのにくわえ、取り残された△84の棒銀が、あまりに悲しすぎる。
ここで、先手に気持ちのいい一手がある。
これはもう、おそらく羽生善治や藤井聡太でも、駒の動かし方を覚えたばかりのアマ10級の人でも、指すのはまったく同じ手であろう。
そう、深く考えるまでもなく、▲51飛成でおしまい。
竜を作りながらの王手飛車取りで、気持ちいいことこの上ない。
こんな手で勝てれば、最高の気分ではないか。
ふつうなら、そこで投了である。
間違いなく、二上もそのつもりで、この局面を選んだはずだ。
ところが、ぶったまげたことに、大山はこの手を指さなかった。
自陣の飛車を成るところからの、王手飛車で投了。
どう考えても、将棋にこれ以上のいい手などあるはずもないのだが、それでも大山は選ばなかった。
代わりに見せたのが、驚愕の手だった。
▲53桂成と、▲45の桂を成ったのだ。
まったくの意味不明である。
前回の加藤戦での▲14銀はまだしも、ここで王手飛車が見えない、なんてことは絶対にありえない。
その代わりが、▲53桂成。
なんじゃこりゃ。
わけがわからんというか、もし若手棋士や奨励会員が指したりしたら、「破門だ」とか、怒られるような手ではないか。
この手に関しては『将棋世界』で連載されて本にもなり、増田康宏六段も愛読していたという真部一男九段の『将棋論考』(超名著です!)でも取り上げられている。
以下、少し引用してみよう(改行引用者)。
後手の悲愴な頑張りは続くが、形勢はいかんともしがたい。
数手進んで9図(引用者注・△42同飛の局面のこと)となった。
次の一手は誰の目にも明らかで、そこで終了と思われた。
だが、しかし、大山の着手は信じられない一手であった。
▲5三桂成△9二飛▲6三成桂まで、89手で大山十五世名人の勝ち
この局面、よほどのヘボでない限り、▲5一飛成と指すでしょう。
あまりに単純な王手飛車で、そこで投了となるはずであった。二上もその覚悟で△4二同飛としたのであろう。
ところが大山は、なんと▲5三桂成と指したのである。首を差し出したのに足をノコギリで切っているようなものだ。
これでは二上も投げるに投げられない。
もう一手△9二飛と指したが、▲6三成桂を見て遂に駒を投じた。
この負かされ方はキツイ、ありていに云って残酷ですらある。
それが勝負と云ってしまえばそれまでだが、これまでにもこれほど極端ではないにせよ、大山は幾多の棋士にこういった勝ち方をして相手にコンプレックスを植えつけながら巨大な存在になっていったとは考えられないだろうか。
真部九段のおっしゃっていることは、河口俊彦八段と同じだ。
「わざといたぶって、相手を徹底的に侮辱する」
ネット将棋などで嫌われるマナーの悪い人みたいだが、その屈辱感や痛手が、二上や加藤という「将棋に真摯」なタイプには、ことさら効くことを、大山は知りつくしていた。
彼らが盤上に描こうとする「芸術作品」に落書きをし、せせら笑いながらホワイトで塗りつぶしていく。
同じ将棋を指すものとして、その「残酷」さが、真部九段や河口八段には理解できるのだろう。
真部は、よほどこの将棋のインパクトが強かったのか、別の場所でも語っていて、そこでは、
ここは▲5一飛成で二上投了となる筈。ところが大山は何と▲5三桂成といたぶったのだ。
これでは大山を好きになれという方が無理だ。
かなり、きびしい言い方をしている。
「好きになれという方が無理」。
理想主義的で、将棋に美学を持っている真部九段(今で言えば郷田真隆九段か行方尚史九段のようなイメージか)のような棋士にとって、
「わざと正着を指さない」
というのは将棋の神様に対する冒涜とさえ感じたかもしれない。
ましてや、負けを認め、頭を下げる相手を嘲笑しながら足蹴にし「いたぶる」勝ち方など、論外なのだろう。
実際、この局面を盤に並べてみてほしい。
▲51飛成をわかったうえで、スルーして桂を成るというのは、ムチャクチャに違和感がある。
いやホント、「指が拒否する」というくらい、指しにくい手なのだ。
だって、返し技もなにもない、純粋な王手飛車なんだぜ!
しかも、それで投了してくれるっていうのにさ……。
だが大山にとっては、そんな声など「負け犬の遠吠え」くらいに感じていたのだろうか。
むしろ、語られれば語られるほど「効く」ことに確信を持ったかもしれない。
大山はまさに、その「嫌われている」(ファンサービスに厚かったので、その方面では人気があったが)ことや、人気者に対する嫉妬、劣等感をパワーに転化できたタイプの棋士であった。
時代が変わり、ネット中継も増えた今では、もうおそらくこういう手は指されないし、観戦者もゆるさないだろう。
なにかこう、「昭和将棋の業」というものを感じさせる深い闇があるが、もしかしたら本当に、王手飛車をウッカリしてただけだったりして。
こういう盤外のかけひきは、将棋の魅力の中でもかなりマニアック、かつ文学的(妄想的?)なものなので、楽しんでいただけると、すごく嬉しいです。
文中にもあるように、大山先生はハッキリ言って嫌う人も多かったんですが、それでもそんな敵対する人たちも含めてリスペクトされていることも事実です。
それはやはりこういった「全身将棋指し」といった、人生のすべてを将棋と勝利に費やすことのできた姿勢に、畏怖と憧れを感じているからなのでしょう。
大山名人と升田幸三九段の将棋や勝負観は、今でも(少なくとも平成の将棋界には)有形無形で多大な影響をあたえているため、掘ってみる価値は大ということで、また色々紹介してみたいです。
今この瞬間だけでなく、未来に向けても勝ち続けるためとは言え、大山康晴氏の余りにも常軌を逸した執念、正直感動いたします。
「日常、是即ち実戦」これを最も徹底した人なのかもしれないですね。
気が向いた時に再度同シリーズを投稿してくだされば幸いです。
まあ、やってましたよねえ。大山先生は公開対局に反対してたそうですが、そういう心理戦が使えなくなることを嫌がったらしいですし。
ソフトに関しては、すぐれたものはどんどん取り入れること自体いいことだと思います。
むしろ、閉鎖的な将棋界に新しいアイデアを多く生み出してほしいと期待しています。
先人へのリスペクトは、ないということは、さすがにないでしょう。
ただ、時代的に彼ら(彼女ら)の同時代におけるヒーローは変わってきているかもしれませんね。