前回(→こちら)の続き。
1988年度の全日本プロトーナメント決勝で相対する、谷川浩司名人と森内俊之四段。
森内リードで終盤戦をむかえるが、谷川も次々と勝負手をくり出し、ただではやられない。
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上図は谷川が△87飛成と竜を作ったのを、森内が▲78金と打って、しかりつけたところ。
竜を逃げるのは勝ち目がないが、ここで後手はまたしても、ギリギリですごいワザをひねり出してくるのだ。
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竜当たりにもかわまず、△67銀と再度ここに打ちこむのが、逆転の念をこめた渾身の一撃。
▲同金左は△59竜と金をさらって、△78に頭金で詰み。
▲同金右も△59竜と取られ、▲69合駒に△88金。
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▲同金に△69竜から△67竜の「一間竜」で詰み。
▲87金と要の竜を取るのも、△59竜から手順は長いが、比較的やさしい詰み。
そう、秒読みの中放たれた、このアクロバティックな銀打ちは、処理を誤ると一撃でおしまいの、すごい時限爆弾だった。
ただ、この絶体絶命に見えるこの局面、実を言うとすでにはっきりと、先手が勝ちなのだ。
ただしそれは、ここに埋まった3手1組の好手順を掘り当てることができてのこと。
それ以外だと、「光速の寄せ」の刃が体にくいこむこととなるのだが、このとき森内はすでに1分将棋。
60秒未満の爆弾処理で、果たして正解を発見できるのか。
みなさまも考えてみてください。ヒントはななめ駒じゃないと……。
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答えは▲77金打と受けること。
と言っても、これだけではピンとこないところもあって、後手は△78銀不成と取って、再度△67金と打ちこむと、同じような形でまだ受かっていないように見える。
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だが、おどろいたことに、これですでに後手に勝ちがない状態になっているのだ。
最初の図と比較してみよう。
ちがうところは、要するに△67の駒が銀から金に代わったこと。
いわゆる「金銀の両替」をしただけだ。
ポイントは、それによって△76の地点から、後手の勢力が消えたこと。
以下の手順を追えば、答は明白だ。
今度は勇躍▲87金と竜を取り、当然の△59竜に取れば頭金だから、▲88玉と逃げる。
さらに△58竜と、金を2枚もボロっと取られて大ピンチのようだが、ひょいと▲97玉と、かわした図を見ていただきたい。
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この場面、もし後手の△67の駒が銀なら、△85桂と跳ぶ。
▲86玉に、△75金と強引に王手し、▲同歩に△76金と打って先手玉は詰みなのだ。
以下、バラして△78竜としてピッタリ。
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△67にある金を銀のまま進めると、△75金、▲同歩に△76金と打てる。
▲同金、△同銀成、▲同玉に△78竜の一間竜で詰み。
どっこい、△67の駒が金だと、△76へのななめの利きがないから、どうやっても詰みがない。
△85桂に▲86玉、△75金に今度は▲同歩で、なんでもない。
金か銀かが天地の差。まるでパズルのような手順ではないか。
この将棋を観て、かつて三冠王にもなった、元名人の升田幸三九段は、
「名人が四段に負けちゃいかん」
と言い残したそうだが、それはちがうと思った。
将棋界の大レジェンドに、私ごときがこんなことを言うのもはばかられるが、それでもやはり思うのだ。
ちがうよ、升田先生、そうじゃない。
たしかに森内俊之はまだ四段だ。でもそれはただの四段ではない。段位なんて関係ない。
森内は、いやさ羽生は、佐藤康光は、郷田は、四段にして、いやそれどころか奨励会時代からすでに、タイトルホルダーと互角以上に戦う力を持っていたのだ。
それを、段位などという「名誉職」みたいなもので計っても、意味がないのだ。
それくらい、若いときから彼らの強さは際立っていた。それは、将棋の内容を見れば、明白ではないか。
名人が四段に、負けてはいけないかもしれない。
でも、私は谷川名人のことを、責める気にはなれない。
谷川はその地位にふさわしい将棋を披露したが、このときは森内がそれを紙一重で上回った。
名人とか四段とか関係なく、ただそれだけのことなのだから。
(佐藤康光編に続く→こちら)