イップスの恐怖 1996ウィンブルドン準決勝 トッド・マーチンvsマラビーヤ・ワシントン

2016年06月29日 | テニス

 イップスというものの怖ろしさを教えてくれたのは、ウィンブルドンのある試合であった。

 イップス。

 主にゴルフパットのシーンなどに代表されるが、競技の中で緊張感が最高に高まったときに起こる、震えなどの現象。

 それなりにキャリアのあるアスリートが、ギリギリの場面とはいえブルブルとフルえ、顔面蒼白になり、時には信じられない大ポカを披露して、栄冠を逃してしまうこともある。

 こういう場面を見ると、我々素人はつい



 メンタルが弱い」

 「結局こういうところでチビってしまうのは、自分を信じ切れるほど練習を積んでなかった証拠だよ」



 なんて、したり顔で語ってしまいがちだが、ノンフィクション・ライターである中村計さんの『歓声から遠く離れて―悲運のアスリートたち―』を読むと、ことはそう単純な話ではないらしい。

 イップスというのは、才能メンタルにかかわらず誰にでもかかる可能性のあるものらしく、一度襲われると練習精神修練でも克服は困難なものとか。

 実際、イップスは試合での失敗などもさることながら、



 原因がよくわからない」

 「どうやって乗り越えればいいか、方法論がない」



 このことこそが、選手を苦しめるらしく、多くのアスリートが、わけのわからないまま煩悶することになるのだという。

 たしかに、イップスが「単にメンタルが弱い」だけでは語れないものであろうことは、理解できなくもない。

 たとえば、将棋羽生善治三冠王は最終盤に勝利の一手を指すとき、が震えることで有名だ。

 これはイップスの一種とされるが、羽生さんのような数え切れないほどの修羅場を乗り越えてきた王者が「メンタルが弱い」なんてことはありえない

 そんな羽生三冠すら、「勝った」と思ったときには自分で押さえられないくらい震えがくる。

 将棋の世界では、勝利目前にそれを意識して指し手が乱れることを文字通り「フルえる」というが、羽生さんの場合は指し手は正確なのだ。

 つまり、ビビっているわけではない

 にもかかわらず、勝利の一手を指すとき、盤上の駒がバラバラになってしまうくらいに抑えがきかない。

 将棋の場合は頭脳競技なので、手が動かなかったり、秒読みの中で駒を落とすというアクシデントがあっても、なんとかなることが多い。

 最悪、マス目を指さして「△36歩です」などと宣言すれば一応ルール的には問題ないが、これがそれこそゴルフだったらどうだろう。

 同じ手の震えでも、こっちは致命的なミスを呼ぶかもしれない。

 すると、同じ状態でも 


 「羽生はメンタルが弱い」


 などといった、ありえないことを書かれる可能性がある。

 決して「プレッシャーに押しつぶされた」からだけで震えるのではない。

 そこが、イップスの難しいところなのだ。

 そんなの多いイップスであるが、私自身が見たスポーツの試合で、一番「これは、いかついなあ」と言葉を失ったのは、1996年ウィンブルドン準決勝

 トッドマーチンと、マラビーヤワシントンとの一戦であった。



 (続く→こちら





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