「オレにカレーを食わせろ!」。
そんな歌を歌ったのは、筋肉少女帯の大槻ケンヂ氏である。
『日本印度化計画』と題されたそれは、学生時代ヒマをぶっこいて学食で1日4回(!)もカレーを食していたというオーケンが、その明日をもしれぬ暗いモラトリアムの閉塞感を、
「こんな日本なんて、インドになってしまえばいいのだ!」
腐った社会ごと、ぶっ飛ばすべく歌った名曲だ。
一見コミックソングに見えて、実は国家転覆を思いっきり訴えた、熱く危険な革命のアジテーションなのである。
そんなカレーに熱いオーケンであるが、カレーといえばやはりはずせないのが、クリス・コーラー氏の話であろう。
クリス・コーラー。
アメリカで、主にゲームについての記事を書いている記者であるが、この人がもうひとつ語られるべきは、そのカレーライスへの熱い愛。
日本に留学経験もあるクリス氏は、日本のカレーが大好き。
そのブログには、若大将のジャイアンツ愛ならぬ、カレー愛について語っている。
たとえば、
30歳になる前に心臓発作が起きてもかまわない人は、カツとチーズを一緒に注文することができる。
私は、そういう食べ方が可能と知って以来、ずっとそうしてきている
さすがは、アメリカ人である。
カツカレーにチーズのトッピング。たしかにうまいのは認めるが、ちょっと重い感じがする上に、健康的にはどうなのか若干心配だ。
「心臓発作」覚悟で、このメニューに挑むというのが良い。
いきなり死を覚悟という、カレーに対する、命知らずな冒険野郎なところを見せている。なかなか熱い。
また続けて、
ニューヨーク発――日本のカレーは、世界で最も完成されたカレーだ。
これに異を唱える人がいるとすれば、理由はただ1つ、日本のカレーを食べたことがないからだ。
いきなり断言するクリス氏。
日本のカレーは世界一ィィィィィ! 日本人としては、なんともうれしいお墨付きだが、インド人が怒ってこないか心配である。
ちなみに、インド人も、たいてい日本のカレーは好きらしいが、ひとつ条件として、こんなのがつくそうだ。
「カレーだと思わなければ」
どれだけうまくても、「これはカレーではない」という、本場者のプライドである。
まあ、我々だってどれだけうまくても、カリフォルニアロールは寿司じゃない気もするから、そのあたりの「愛国心」は世界共通なのだろう。
またクリス氏は、インドやタイの辛いカレーは邪道で、また外国にある日本食レストランもいかんという。
そのあたりのことは氏によると、
「ランチメニューがカレーしかない日本のカレー専門店でカレーを食べたことがなければ、この至高の料理を味わったことがあるとは言えない」
とここで、私はスココーンとコケそうになった。
ちょう待て、お前のいうカレーはチェーン店のカレーかい!
カレーといえば日本では、隠れた「おふくろの味」。
昔、ラーメン屋は多くあるのにカレー屋というのが、なかなか流行らなかったのは、
「どんなにがんばっても、家で作るカレーにはかなわないから」
という説があったくらいだ。
「なんやかやいうても、ウチで作るカレーが一番うまい」
というセリフは、日本料理を語るにおいてもはや定番。
今の子には、みそ汁よりも母の味は、もはやカレーかもしれないのだ。
だが米国の人であるクリス氏には、そんな古い因習に囚われた発想は存在しない。
おふくろさんなどフルスイングで無視して、ニューヨークに進出した『ゴーゴーカレー』のすばらしさを讃え、こう言い放つのだ。
なぜそんなことが言えるかといえば、私が重症のカレー中毒だからだ。
ヘロイン中毒者がヘロインを注射するのが大好きなのと同じように、私は日本のカレーを愛している。
ヘロイン。
何にたとえているんだ。普通こういうのは、
「煙草が、どうしてもやめられない喫煙者みたいなものだね」
くらいの、マイルドな例え方をするのではないのか。
というか、ヘロイン中毒って最後は死ぬし。大麻はいいけど、ケミカルなドラッグは本当にダメだってば(←大麻もダメだっつーの!)。
だがクリス氏はさわやかに、
ヘロイン中毒との唯一の大きな違いは、ヘロイン中毒は長期間ヘロインを断てば中毒でなくなる点だ。
いったん日本風カレーの中毒になると、米国に帰っても中毒が治ることはない。
もう一度日本のカレーを食べたいと願いながら日々を過ごし、また東京に行って日本のカレーをもっと食べられるよう貯金に励むことになる。
不治の病である。
禁断症状をおさえるために、せっせと貯金もしている。たしかに依存症かもしれない。
クリス氏は続けて、日本のカレーとの最初の出会いを、熱く語りはじめるのである。
(続く【→こちら】)