将棋の妙手というのは美しい。
前回(→こちら)は羽生善治九段が若手時代に見せた、すばらしい受けを紹介したが、妙手の芸術性を語るなら、この人のことははずせまい。
そう、谷川浩司九段だ。
谷川といえば、「光速の寄せ」が売り物であり、その伝説的妙手の数々は、多すぎて紹介するほうが困るほどである。
その中から今回選んだのが、1990年の第31期王位戦七番勝負。
時の王位であった谷川浩司は、佐藤康光五段の挑戦を受けることとなる。
前回の羽生と同じく、佐藤康光も「五段」とはいえ、こんなものはなんの足しにもならない情報であり(はっきりいって将棋も囲碁も、段位と実力はあんまり関係ないのです)、すでに周囲からAクラス級の実力を認められている大強敵だ。
実際、「緻密流」と呼ばれる佐藤は健闘を見せ、フルセットにもつれこみ、勝負は最終局に。
先手番になった佐藤は、矢倉模様から果敢に仕掛けていく。
そのまま優勢を築くが、そこから谷川にうまくいなされて反撃を食らってしまう。
むかえた最終盤。
ここではすでに、後手優勢になっている。
と言っても、それを見切っていたのは対局者である谷川だけで、控室の検討では、攻めをどうつなげるか、むずかしいといわれていた。
△76桂と取る手が見えるが、手順に▲61飛成と入られるのもイヤらしい。
合駒で△41香と、貴重な攻め駒を使わされるのも、いかにもシャクではないか。
天下の谷川浩司が、そんな平凡な手で満足できるわけがない。
ここで見せたのが、本人も自賛し佐藤も
「神がかり的」
と認めた、カッコよすぎる一着だった。
ドーンと△95飛と突っこむのが、まさに谷川「前進流」の面目躍如。
飛車と香の配置が逆なら、だれでも指すが、大駒から行くダイビングヘッドこそが、谷川浩司の終盤だ。
しかもこれが、ただ攻めるだけでなく、攻防兼備の一手。
先手の切り札である▲61飛成には、補充した一歩があって、△41に打つ底歩がピッタリなのだ。
これで後手玉は鉄壁になり、あとは攻めだけに専念できる。
一見派手なようで、実は「緻密流」のお株をうばう、精密な計算がそこにはあったのだ。
ここからも谷川は
「これで本当に攻めきれるのか?」
という懸念の声もなんのそので、あざやかな連続攻撃を次々とくり出していく。
手順だけ書けば(飛ばしていただいて全然かまいません)、△95飛に以下、▲61飛成、△41歩、▲95銀、△同香、▲89玉、△76桂、▲95馬、△97銀、▲77銀、△57角、▲98歩、△88香、▲同銀、△同銀成、▲同金。
収束も見事だった。
次の一手で佐藤が投了。
△97銀がきれいな捨駒。
退路封鎖の手筋で、▲同歩の一手に、△79金、▲98玉、△88桂成、▲同玉、△78金打。
ここで▲97に逃げられないのが、銀捨ての効果。
▲98玉、△89金寄まで、持ち駒ひとつ余らないきれいな必至。
▲96歩と突いても、△79角成までピッタリの受けなしだ。
並べてみると、ずいぶんと簡単に攻略しているようだが、そうではない。
将棋の強い人の終盤は、
「むずかしく見える局面を、あっさりと勝ってしまう」
という特徴がある。
よく、動画サイトにある「TAS」動画などで、
「本当は激ムズのゲームなのに、TASさんだと簡単に見えて困るな(苦笑)」
なんてコメントが流れることがあるが、そう、谷川浩司の「光速の寄せ」とは、将棋における「TAS動画」なのだ。
すごすぎて感激、てゆうか、もはや笑える。まさにこの終盤戦も、あの佐藤康光が「止まって見える」ほどの破壊力なのだ。
多くの棋士が、
「頭を割って、中を直接のぞいてみたい」
とまで感嘆した、谷川浩司のクリエイティブな終盤。
いやホント、こうして並べるだけでもカッコよすぎて、ため息が出ますよ。
(谷川編はまだまだ続く→こちら)