前回の続き。
彼女と口論になったとき、「かわいそうだね」と責められて、ため息をつくことになった後輩ヒラノ君のお話。
こういった《かわいそうマウント》による議論をすり替えで、いつも思い出すのが、高校2年次の文化祭のシーズン。
文化祭といえば、文化部以外でもクラス単位で様々な催し物が出され、お化け屋敷や喫茶店など、皆様にも楽しい思い出があることだろう。
ただ、ときおりひっかかるのが、そういった企画を考えたり実行したりするメンバーが、たいていがクラスの中心の、いわゆる「リア充」な子たちなこと。
活発で人気者の彼ら彼女らが、祭りをひっぱってくれるのはいいが、時にはそれが仲良しチームだけが楽しい「身内のノリ」に終始することも。
そのときの出し物も、クラスの人気男女数人が主導権を取って勝手にやることを決め、彼ら彼女らが主要メンバーとして出演することに。
残った面々は、大道具や衣装など裏方スタッフにまわることとなった。特に話し合いなどもなく。
一応、ここに当時のクラスメートをフォローしておくと、彼ら彼女らは別に性格が悪いとか、嫌がらせとかで、そういうことを言っているのではなかった。
ただ、「自分たちのステキな思い出作り」にしか目が行っていないのと、スクールカースト(なんて言葉は当時なかったケド)上位の
「悪気のない無神経」
が炸裂しただけだが、まあモブキャラあつかいをされたクラスメートたちは、おもしろくないかもしれない。
さらには、
「クラスの一体感を出そう」
という理由から、
「クラス全員おそろいのチェックの服を着る」
ということになったのだ。
そんな不思議な光景になったのは、クラス1の人気者だったマリコちゃんという女子が、藤井フミヤさんのファンだったから。
いや、フミヤさんがどうこうではなく、マリコちゃんとゆかいな仲間たちが、そこに縁も興味もない他のクラスメートたちにチェッカーズ(フミヤさんが以前やっていたバンド)の格好をさせて「一体感」とは、今思い返しても、
「【イケてる人たち】って、すげーなー」
苦笑を禁じ得ないところだが、もちろんのことそこに、悪気といったものはカケラもなく、彼ら彼女らはただただ「それが楽しい」と思っているだけ。
「自分たちが、こんなに充実しているのだから、きっとみんなもそうに違いない」
そういうことなのだ。善意の恐ろしさである。
それ以降、私は「一体感」とか「統一感」というのが、
「空気が読めない多数派や権力者のエゴ」
というものにすぎないことに気がつかされ、この手の言葉を使う人を、まったく信用できなくなった。
人生とは勉強の連続であるなあ。
と、ことここにすべてが決まってしまっては、することはひとつであろう。
そう、とっとと逃げだす。
私は彼ら彼女らに恨みはないが、「善良」だからといって、彼ら彼女ら「だけ」の遊びのために、貴重な青春の時間と労力を取られるのは、なんといってもバカバカしいではないか。
幸い、私は文化部所属であり、学校のルールでは
「文化祭で活動する、文化部の仕事や練習がある場合は、クラスよりもそちらを優先していい」
ということだったので、ありがたくエスケープすることにしたのだ。
ビバ! 万年1回戦負けの運動部より、文化部の方がレベルの高い、わが母校!
というわけで、今日も今日とて「クラブがあるんで」と放課後とっとと消え、部活に精を出していたところ、こんな声がかかったのだ。
「ちょっと〇〇君(私の本名)、なんで先に帰っちゃうの?」
振り向くとそこには、クラスの女子2人が立っていた。
「いやあ、部活がいそがしくてね」と適当に流そうとすると、彼女らは
「でも、クラス行事だから参加しないと」
「みんなでやらないと、意味ないよ」
などと私を道連れ……もとい引き留めようとするのだが、興味もない行事には参加したくないし、押しつけられた服も着る気はない。
それにそもそも、祭を仕切ってるのみなさんも、私のような地味な生徒のことなど気にも留めないので(実際「放課後、抜けます」「いいよ、別に」で、なんのおとがめもなかった)、もういいんでね?
そういったことを伝えてみると、彼女らは不服そうに「ふーん」と言った後、ポツリとこうつぶやいたわけだ。
「なんか、そういうの、かわいそうだね……」。
(続く)