矢倉は先に攻めたほうが有利 羽生善治vs佐藤康光 2002年 第50期王座戦 第1局

2022年01月27日 | 将棋・好手 妙手

 「矢倉は先に攻めたほうが有利」

 

 というのは、平成矢倉戦でよく聞いた言葉である。

 それは多少のなど気にしなくてもよいらしく、一時期あった

 「銀損定跡

 など、銀を丸一枚しても、バリバリ攻めていったりするのだから、ほとんど「穴熊の暴力」みたいなノリである。

 

 

  2012年の王座戦第4局。あの伝説の「△66銀」による千日手を受けての指し直し局。

 序盤ですでに、銀を一枚くれてやる気前の良さだが、ここから▲35歩、△55金に、じっと▲34歩と突くのが、佐藤天彦九段が披露した格調高い手で、以下端からどんどん攻めて先手が圧倒。

 


 ところが上には上がいるもので、銀損を超えた、もっとすごい形で突貫する乱暴者もいる。

 前回までは、大山康晴十五世名人引退にまつわるドラマを紹介したが(→こちら)、今回は激しい矢倉戦を紹介したい。

 

 2002年、第50期王座戦第1局

 羽生善治王座と、佐藤康光棋聖王将との一戦。

 佐藤の先手で相矢倉から、おなじみの▲46銀▲37桂型に組んで先攻。

 先手は3筋からをぶつけていくが、後手もその銀で、相手の攻め駒を責めていく。

 むかえたこの局面。

 

 

 後手が△28銀成としたところ。

 まだ戦いがはじまったばかりなのに、すでに先手の飛車がお亡くなりになっている。

 教科書だと「これにて攻めが失敗」の図であって、先手陣はにもアヤがついており、このままだと苦しそう。

 が、これが指しているのが佐藤康光となれば、そんな簡単に決まるわけもない。

 ここで冒頭の一文を、思い出してほしい。

 とにかく矢倉は……。

 

 

 

 

 ▲12歩成、△同香、▲15香が、すごい手順。

 なんと「銀損定跡」どころか、飛車を一枚、まるまるあげてしまおうという手だ。

 まともな感覚なら、苦しまぎれの「バンザイアタック」にしか見えないが、佐藤康光はここをねらっていた。

 後手も△18成銀と取るしかないが、▲12香成、△同玉に、▲33歩と打つのが痛烈な一発。

 

 

 まるで、撃たれてもかまわず、ナイフで腹をえぐりにくる、ヤクザの鉄砲玉のようだが、おそろしいことに、なんとこれで後手は受けが難しい。

 △同桂は▲13角成、△21玉、▲12銀詰み

 で取るのは、どちらでも▲13銀と浴びせ倒しを食らって、とてもしのぎ切れないだろう。

 そう、これが「緻密と見せかけて乱暴」という、佐藤康光のバイオレンス将棋である。

 こんな負かされ方をしたら、相居飛車の後手番なんて、やってられへんわ! 

 なんて、ふてくされたくなるなところだが、そこは天下の羽生善治である。

 ここで見事な受けを披露し、猛獣佐藤のかぶりつきを、ヒラリとかわしてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 △22玉と寄るのが、思わず「え?」となる手。

 いや、金タダなんスけど……と心配はご無用で、もちろんこれは、後手の読み筋。

 先手はもちろん、▲32歩成と取るが、それを△同玉と、取り返した形を見ていただきたい。

 

 

 

 △32と言えば、矢倉囲いのカナメ駒であり、急所中の急所。

 その守備隊長を、こんな形でボロっと取られて大丈夫なのかといえば、次にきびしい攻めが存外ないというから、おどろきである。

 だいたいが、むこうは飛車損で攻めているのだから、これでもまだ後手が駒得だし、先手は歩切れなのも痛い。

 しかも、後手玉は左辺が広く、手順にそちらに逃げているのが大きいのだ。

 ここで先手の次の手が、▲97桂なのだから、羽生の判断が正しいことがお分かりであろう。

 この▲97桂というのは、実にさみしい手で、いわば

 

 「自分の攻めは間違ってました。読み負けてました。完敗です。もう一回、やりなおさせてください」

 

 というもの。つまりは土下座である。

 ここは、理想を言えば先手先手で攻めまくって、その反動で相手にも駒を渡すけど、

 

 「最後に▲97桂と取る手が、一歩を補充しながら自陣を安全にする【詰めろのがれの詰めろ】になってピッタリ」

 

 みたいになればいいなとか、そんな流れを想像してみたくもなるところ。

 それを、攻めが切れそうだから「勘弁してください」と▲97桂としなければならないとは、あんまりといえば、あんまりな展開である。

 さらに数手進んで、この▲12銀という手を見れば、いかに羽生の対応がすばらしかったかがわかる。

 

 

 土台がヨレて、今にもペシャンコにされそうな先手陣にくらべて、後手玉は広々として、手のつけようがない。
 
 この銀打ちも、後手が左辺に逃げていくのが見え見えなのに、反対から攻めていくなど無筋にもほどがあるのだが、それ以外に手がないのだ。

 佐藤康光ほどの使い手が、こんな空を切ったパンチを打たされる。

 それだけ、羽生のしのぎが際立っていたということだ。

 逆に言えば後手は△22玉という好手がなければ、そのまま持っていかれた可能性は大なわけで、その意味では攻めが通るかどうかは、まさに紙一重

 達人クラスでなければ、あそこからわずか数手で、後手投了してもおかしくなかったのだ。 

 それを見切った羽生が、やはりすごすぎである。以下、△97香成、▲同歩、△95桂と上部から押しつぶして圧勝。

 その後もゆるまず3連勝で、三冠をねらった佐藤康光の野望を打ち砕いたのであった。

 

 (藤井猛を脱帽させた羽生善治の受け編に続く→こちら

 


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